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第六章 新たな命
3 条件
しおりを挟む「……おい。これ、一体どういうことだ……?」
「え? なにが?」
当のフランはきょとんと見返してくる。その目の前では、つい先日生まれたばかりの赤子が、もうそこいらを元気に這いまわっていた。
「だあ」とか「あぶう」とか、きゃっきゃと機嫌のよい声をあげてにこにこしている。
「ちょっと待て。なんか、育つの早すぎねえか?」
「え? そうかな。普通、こんなものだと思うけど」
フランはけろっとしたものだ。
聞けばフランたちは、人間に比べると異様に成長が早いのであるらしい。
最初の一年で人間の四、五歳ぐらいの姿になり、三、四年もすればもう成人の年齢に達してしまうのだという。未知の世界で「最初の人」となるフランとアジュールは、過酷な環境に適応しなくてはならないぶん、早く成長するように設定されているらしい。
「まあもっとも、これは第一世代の子たちだけなんだけどね」と、フランは笑って教えてくれた。つまり、フランとアジュールから直接生まれた子供たちだけは、こんな風に異常な速さで育つのだと。
速く育つということは、その分、大人になるための知識や経験も大急ぎで身につけなくてはならないということだ。そのために、例の「知育訓練室」とやらが大いに活躍するというわけだろう。
その施設のことを思い出し、遂にヴォルフはその話をきちんとしようという気になった。
「あのよ……フラン」
「ん?」
もちろん、自分とタチアナがあの地下世界で、フランの兄に遭遇したという一件をだ。
ただしヴォルフは、敢えてピットという男の件については伏せた。つまり、彼の兄がその男を惨殺したらしいことについては。それを今さら言ったところで、彼の心の負担になるだけだと思ったからだ。
「な……ヴォルフ、それって──」
最初のうち、子供を眺めながら穏やかな顔をして聞いていたフランは、あっというまに青ざめて震えだした。
彼はどうやら、兄の治療にはもう少し時間がかかると踏んでいたようだ。
「どうしてそれ、もっと早く言ってくれなかったの」
「いや。赤ん坊が生まれて、お前もそれどころじゃなかっただろ。新生児をあんな砂漠に放り出すわけにもいかねえし。ほら、生まれてすぐは色々抵抗力も弱いっていうしよ。だから、せめてもう少し落ち着いてからと──」
「なに言ってるの! そんな場合じゃないよっ……!」
そう叫ぶと、フランは急に立ち上がって衣服を身に着け、赤子を布でくるみ始めた。その横顔は血の気がうせて真っ白だ。必死の形相で、額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいる。
「なんだ、フラン。どうすんだ」
「出て行く。すぐに、ここを出て行かなくちゃ……!」
「フラン……!」
「放して!」
思わず彼の肩を掴んだ手は、あっさりとはねのけられた。
「なんでだ。子供まで連れていこうってのか? 無事で済むわけがねえだろうが」
こんな赤子、あの怪物に見つかったが最後、ものの一秒でズタズタだろう。なにしろこの赤ん坊の父親はこの自分なのだから。
「そうかもしれない。でも、この子は僕が、自分の命に替えても守るよ。それだけは約束する」
「いや、待てよ──」
「いいから。君たちは早く逃げて。一刻も早く、この惑星から離れてよ!」
「そんなわけに行くか! このバカ!」
思わず大声を上げたら、赤子が一瞬、びくっと硬直した。そして次には、もう火がついたように泣き出してしまった。
「ああ、ごめんね……」
フランが慌てて子供を抱き上げ、ゆすってあやす。
「びっくりしたね。泣かないで……?」
赤子はすぐに泣き止んだが、今度は不安げな目でこちらを窺っているのがわかった。
「……悪い」
なんだか所在をなくしたような気になって、ヴォルフは自分の顔をつるりと撫でた。フランは力なく首を横にふった。
「君は……兄をわかってないよ。彼が、どんなに恐ろしい生き物か」
「フラン──」
「どうなると思ってるの? 彼がここの人たち……特に、君が僕にとってどんな人かを知ったら」
その声はどうしようもなくひび割れている。
「だれも、だれひとり生き残れない。僕にだって、本気で怒った彼は止められないんだ」
「…………」
「みんな、ズタズタにされる。瞬きするほどの時間も与えられない。だから逃げて。もう、だいぶ修理は進んだんでしょ? すぐにマレイアス号を発進させて。大佐さんにそう頼んで、今すぐに! お願いだよ……!」
片手で胸元につかみかかられ、ヴォルフは太い息を吐きだした。
確かに、彼の言には一理ある。いまここで詳しくは語れないが、そいつの恐ろしさについてはヴォルフとて十分に身に染みているのだ。脳裏には鮮やかに、あの夜の光景が再現されている。銀色と血の色にまみれた凄惨な場面。美しくも凄絶な、あの兄の姿が。
フランは今にも泣きそうな顔だ。しかし必死に歯を食いしばり、涙はこらえている。
しばしの睨み合いの果て、ヴォルフは遂に溜め息とともにこう吐き出した。
「わかった。ただし、条件がふたつある」
「え?」
そこでヴォルフは彼の手首をつかまえ、もう片方の腕を背中に回して、赤子ごとぐいと抱き寄せた。
額が触れるほどに顔を近づけて彼の瞳を覗きこむ。
「言ってみろ。俺は、お前にとってどんな人だ?」
「え……」
途端、彼の目が見開かれた。頬がさっと赤くなる。あからさまに「しまった」という顔だった。
やっぱりだ。どうやらさっきのは、つい口を滑らせてしまったということらしい。
「な、なに言って──」
「いま言ったろう。俺がお前にとってどんな人間だから、お前の兄貴に目をつけられる話になるんだ。なんだって、命まで狙われることになる?」
「……えっと。べ、別に大した意味はないよ。この子の、父親……なんだから。『協力者』だから! それだけだよ」
そう言いつつも、フランの目はちらちらと彷徨っている。
「それだけだって、あの兄は十分激怒するんだ。決まってるでしょ?」
(嘘つけっての)
見るみる耳まで羞恥に染めて、目をそらしておきながら。
そんなもの、誰が信じるか。
まったく、素直じゃない奴だ。
赤子を抱いたまま身をよじって逃げようとするフランの体を、ヴォルフはさらに力を込めて抱きしめた。彼の顎に指をかけ、ぐいと顔を寄せて囁く。
「……キス、していいか」
フランは目を閉じて、ぐっと顔をそむけてしまった。「ダメ」と小さな声が聞こえる。なんだか泣きそうな声だった。言葉とは裏腹に、耳や首まで真っ赤に染まっている。
「手……はなしてよ。痛い」
「ハイハイ」
ヴォルフはあっさりと彼の体を解放した。
その代わり、にやりと口角を引き上げて、目の前に二本指を立てて見せる。
「んじゃ、『条件その二』なんだがよ──」
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