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第三章 見知らぬ惑星(ほし)で

6 ヴォルフパパ

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「遠いとこ、よく来たな。迷わなかったか? ってああ、そうか。あの宇宙艇がナビで連れて来たって寸法だな?」
 少年が何か言う前から、男の口からはそんな言葉がぽんぽん投げかけられてくる。
「ん? 俺の言葉、分かんねえ? フランに習って、ちょっとはしゃべれるようになったつもりなんだけどよ──」

 すっかり目をまん丸くして何も言えなくなっていたら、とうとう背後からフランパパの溜め息が聞こえた。

「ヴォルフったら。嬉しいのは分かるけど、少しは彼の話も聞いてあげてよね」
「ん? お前が聞いてたんじゃねえのかよ」
「まだ途中だったんだよ。それなのに、いきなり入って来ちゃうんだから。まったくもう……」
 フランは片手で額をおさえている。
「そうなのか? 外でちいっと聞いてた分にゃあ、ほとんど終わってたみてえだけどな」

 そう言って、男は少年に向き直った。細めた両目は、やっぱり優しく笑っている。

「けどよ。悪いがさっきのフランの言葉は訂正させろ。フランは何も悪くねえよ。あん時ゃこいつ、大怪我しててよ。宇宙艇の《胎》の中で、完全に意識もなくしてたんだ。ありゃあ、いくらなんでも不可抗力だろ」
 少年は驚いて男を見返した。
「そうなの……?」
「そうだよ。あれじゃあどんなに追いかけたくたって無理だった。俺はあいにくただの人間なもんで、あんな翼を生やす特技はねえしよ。あの野郎、ちゃっかり宇宙艇の航路も設定してロックまでかけていきやがったし。それで赤ん坊の卵……つまりお前を抱いて、あっという間に飛んで逃げやがったんだからな」
「そんなの──」
 言い訳にもならないよ、と泣きそうな顔でフランパパが言いかけるのを、男はでかい手でぱっと制した。
「うるせえっつの。そうなんだよ。何度も言ってんだろ? あれはお前のせいじゃねえ。こいつを連れてったのは、あの野郎の意思じゃねえか。俺らは連れて帰るつもりだったってのによ。ほとんどかっさらわれたみてえなもんだ。お前が謝る道理はねえよ」
 男はそこで、自嘲気味な笑いを唇の端にちらりとのぼせた。
「まあ百歩譲って、だれかに罪があるとすんならよ。それはあの時、たとえ死んででもあの野郎を止められなかった、ボンクラな俺のほうだろうさ。間違ってもフランじゃねえよ」
「そんな……」

 それでとうとう、フランパパは悲しそうに項垂れて黙りこんでしまった。
 そこから大男──ヴォルフという名前らしい──は、手みじかにその時の状況を少年に説明してくれた。
 かつてあの惑星に、ヴォルフたちの乗った宇宙船が漂着したこと。そこでヴォルフと仲間の乗組員たちがフランやアジュールに会い、どんなことが起こったかを。

「最終的に、俺らはあの惑星から強制的に離脱させられた。お前も知ってるだろうが、あの惑星にはすげえステルス機能がある。あの兄貴が望まねえ以上、俺らが二度と戻れねえことは分かってた。まあ、あの宇宙艇を除けば、だがな」

 そしてあの宇宙艇も、フランの体が治り、この惑星を見つけて定住することを決めた時になって、突然この地から勝手に飛び去っていったらしい。まるでその時期を見計らったような、絶妙なタイミングでだ。アジュールがそこまで計算して事前に設定しておいたのだろう、というのがヴォルフの意見だった。
 そうして空っぽの宇宙艇だけがあの惑星に戻ったわけだ。

「それでまあ、俺はしばらく、ここで働いてフランとガキどもの面倒を見ることにしたわけよ。まずはフランとガキどもの居場所を作るのが先決だしな」

 聞けば、そもそもこの人は生物学の博士らしい(いや、ちっともそんな風には見えないけれど)。だが今の彼は、その恵まれた体格と頭脳を生かして、この近くの鉱山やら農場やらの仕事を掛け持ちして働いているというのだ。
 なにしろ彼らの子供たちの成長は異様に早い。あと二年もすれば最初の子、つまり先ほどのセディが成人するはずだし、下の子にもそうそう手間はかからないだろうという話だった。驚いたことに、彼らはここからまだまだ生むつもりでいるらしい。
 ヴォルフは短髪の頭をボリボリ掻いて口の端をひん曲げた。

「とはいえ、いずれはもとの職種に舞い戻ろうとは思ってんだよ。あのときのゴタゴタで、かなり心配かけちまってる奴もいるしな。俺らが無事だってことだけでも知らせてえし。仕事のほうも、さすがに同じポストは残っちゃいねえだろうが、探しゃあなんとかなんだろ、ってな」

 要するに、彼は今のところ公式には「あの惑星での行方不明者」という扱いになっているらしい。名前などは変えていないが、こんな辺境の惑星にたまたま同姓同名の男がいるからといって、「もしやお前が」などと訪ねてくる者などまずいないのだ。

「いざとなったら、『あの星から逃げ出すのにえれえ苦労しちまって~』とか、『やっと逃げられたはいいが、しばらくショックで記憶を失くしちまってて~』とかなんとか、ウソ八百並べりゃいいだろ。ま、なんとでも言えらあな!」
 そううそぶいて、男は豪快に笑っている。隣で黙って聞いていたフランがまた小さくなって、男に「ごめん」と言ったのが聞こえた。
「バーカ。謝んなっつってんだろが。何百万回言わせるんだっつの。俺だって、子供はたくさん欲しいしよ。そりゃもう三人と言わず、五人でも六人でもな!」
 ヴォルフは相変わらず、くははは、とでかい口を開けて笑うばかりだ。
 それを見て、何故かフランはぱあっと頬を赤らめた。

「こっ、子供の前でなに言ってんだよ、君は!」
「んお? 別に変なこたあ言ってねえぜ~? 普通に健全に『子だくさん希望!』っつて主張してるだけじゃねえのよ」
「いや、だからっ……」

 フランが口をぱくぱくさせている。男はちょいと首を傾け、にいっと笑ってそんな彼の顔を覗きこんだ。

「ん~? 今の話のいったいどこいらへんに、『子供に聞かせらんねえ話』があったよ? そのへん、くわ~しく教えてもらいてえもんだな? 
 男が軽くウインクなど飛ばして意味深な目で見つめると、フランはもう耳や首筋まですっかり赤くして俯いてしまった。
「もうっ。バカ……」
 それを見て、男がまたがはははは、と大笑いする。

(なんだか……)

 少年は不思議な気持ちになって二人を見つめた。
 なんだろう、この感じ。胸の奥がだんだん、ぽかぽかしてくる。
 この二人の間には、底の方でとても温かくて安心できる何かが流れている。
 優美なフランとこの屈強な大男の組み合わせは、最初はちょっと奇妙な感じもしたけれど。
 この二人がお互いの隣にいる姿は、とてもとても自然に見えた。

 なんだか嬉しいような切ないような妙な気分になって、少年は手元のココアのカップにあまり意味もなく口をつけた。
 それが「羨ましい」という感情なのだと彼が知るのは、そこからまだずっと未来の話である。

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