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第四章 この宇宙の片隅で

2 翼の樹

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 地上の砂漠世界は、地下世界とは比べものにならないほどの広大な領域をもつ。なにしろ、この星全体に広がっているからだ。高速で移動でき、優秀なレーダーを備えた宇宙艇でも、こんな世界で男の姿を発見することは難しかった。
 少年は空中に開いたいくつものモニターを前に、焦燥感にさいなまれていた。かちかちと親指の爪を噛みつつ、じっと表示を睨みつけている。

(ああ。僕にも翼があればいいのに……!)

 そうすれば、自分もみずから空を飛んで男を探すことができただろうに。
 だが、ない物をねだったところで仕方がない。自分はあの男やフランパパとは違う。あの「ヴォルフパパ」や子供たちと同じ、ただの人間なのだから。
 そして脳裏には、かつての男の声が再生されている。

『絶対に無理はするな』
『俺の目の届かない所で、勝手に崖から飛びおりたりするなよ』──。

 今にして思えば、これがその理由わけだったのだ。あの男がこれまで、あれほどそう言って心配してくれていたのは。
 フランパパが教えてくれた通りだった。あの男はこれまでずっと、自分のことを本当に大切に気遣いながら育ててくれていたのだ。彼自身とはまったく違う、ただの人間にすぎないこの自分を。

(パパ……!)

 まだ十分に体も治っていないのに。あんな風に《胎》を破壊してまで出て行くなんて。こんな無茶をするなんて、普段は基本的に冷静沈着で聡明なあの男からは考えられないことだった。
 その理由をちょっと想像するだけで、少年の足はすくんでしまう。
 だって、もしも自分が彼の立場だったら。いったい、どう思っていただろう。
 こんな、他にだれもいない砂漠の星にたった一人で取り残されて。しかも自分はあの時、男に何も言わずに逃げてしまった。その前に起こったことを考えれば、彼に嫌悪感を覚えたからだと誤解されていたっておかしくない。

 もしあの男がそう思って姿を消したのだとしたら──?
 少年の脳裏には、嫌な予感がつぎつぎに渦巻くばかりだ。

(どうか無事でいて。パパ、お願い……!)

 ぎゅっと目を閉じ、どこにいるとも知れない何者かにそう祈った時だった。
 AIが遂に、機械的な声で告げた。

《アジュール様を発見しました。前方、二時の方向──》

「パパっ……!」

 少年は飛び上がり、窓にかじりついて外を見た。
 AIが示した方向。前方、右側。
 そちらにふわふわと、輝く何かが育ち始めている。

 それは最初、地上から生え出た真っ白に輝く翼のように思われた。それがちょうど双葉のように大きくふたつに開いて、見る間ににょきにょきと育っていく。それはまるで、実際の樹の映像を何百倍もの早回しにしたかのようだった。
 一見樹木のように見えたけれども、明らかにその色や耀きは普通の樹木とは違っている。育つにつれてその光はどんどん増していき、やがて目もくらむほどになった。

(パパ……!)

 疑いようがなかった。
 あれは、あの男だ。
 彼が何か特殊な能力を発動させて、ああいう姿になったのに違いない。
 少年は、その「樹」の近くで飛行艇が着陸するのを今や遅しと待ち構えた。そうして船体が停まった途端、一目散にハッチから飛び出した。





 さらさらと崩れて足にまとわりつく忌々しい砂を蹴散らしながら、やっとのことでその傍にたどりついた時、樹はすでに何十ヤルドもの高さにまで成長してしまっていた。見上げるような巨木だ。
 近くで見ると、その幹は金剛石か何かのように透き通っており、太陽光をとりこんで内側から微妙な七色の光を放っていた。表面は非常に硬く、まさに宝石でできた彫刻のようだ。だが、ただつるりと美しいものではなく、全体に爬虫類の体表のようなひびが不規則に走っていた。
 少年はその幹にとりついた。

「パパ! パパ……! そこにいるんでしょ? 僕だよ、フランだよっ……!」

 声を限りに叫ぶけれど、樹はうんともすんとも言わずにまだ成長を続けている。足もとの砂を押しのけ、幹がどんどん太くなっていき、そのために少年の体は外側へ外側へとじわじわ押しのけられていった。
 幹はあっという間に太く大きくなって、すぐに大人が三十人ほどでやっと抱えこめるぐらいになってしまった。それでもまだまだ成長は止まらない。

「パパ! パパあっ……! 聞いてよ。帰ってきたんだよ? 僕、帰ってきたんだよっ……!」

 少年は拳で闇雲やみくもにその幹を叩きまくった。不思議なことに、叩くとそこは金属のような澄んだ音を立てた。
 無我夢中で叩いているうちに、あっさりと皮膚は裂け、いつかのようにまた流血し始めた。金剛石の幹のひび割れに、赤い筋がいくつも走った。

「イヤだ! 出てきてよっ……パパ、パパあああっ!」

 樹はまったくの無反応だった。そもそもこんな大木なのだ。この樹からすれば少年など、小さな羽虫程度のものだろう。こんな矮小な少年の声が中の男まで届いているかどうかなんて、もちろん確かめようもなかった。
 少年は必死で嗚咽をかみ殺しつつ、急いで宇宙艇に駆けもどった。手首の通信機でAIを呼び出す。

「あれを攻撃できる? この船にそういう武器かなんかはないの?」
《レーザービームがございます。攻撃は可能かと》
「中にいるパパだけは傷つけたくない。なんとか、パパだけは避けてうまく攻撃できない?」
 AIはそこでしばらく黙った。
《……出力を調整すれば可能かと思われます。アジュール様の正確な位置は確認済みです。その周囲、五ヤルド(メートル)を残して削れば達成可能》
「それでいい。やって! すぐ!」

 少年の叫びからほんの十数秒後。
 その「攻撃」は始まった。
 宇宙艇の側部と下部に、レーザーの発射口があるらしい。黄金色や薄緑色、紫に光る四条のまぶしい光の帯が、軽い音をたてて次々に発射されていく。
 レーザーはまず巨大な樹木の枝の方から狙い撃ち、少しずつそれを削り始めた。
 当たった箇所は、きいんと澄んだ音をたててぱっと飛び散り、次の瞬間にはきらきらと光りながら空気に溶けるようにして見えなくなっていく。あれも男の体が発生させたなんらかの物質なのだろう。もともと万全でない体調で作り出したものだからなのか、見た目よりはずっと脆弱であるようだった。

 レーザーは空気そのものを焦がしながら何十発、何百発と発射されていく。そのたびごとに大樹は外側から削られていき、その姿を小さく変えていった。
 やがてそれがとうとう十ヤルド四方ばかりの金剛石の塊のようなものに変貌したのを見届けて、少年は再び宇宙艇を着陸させ、外へ出た。
 
 周囲の空気は、いままで嗅いだことのないような焦げ臭いにおいを放っている。発生した大量の煙のために、頭上の恒星が灰色に霞んで見えた。
 少年は焼け焦げた砂に埋もれるようになっている、とろけた物体に駆け寄った。
 物体の表面からは、まだしゅうしゅうと蒸気がたちのぼっている。溶けて歪んだ表面からでは、中の様子はよく見えなかった。だが、恐る恐るそばに寄ってじっと目を凝らしてみると、どうやらその真ん中に人影らしいものがやっと見えた。

「パパっ……! あっ!」

 思わずその石に両手で触れたら、手のひらがじゅっと音を立て、凄まじい痛みが走った。即座に手を離したが、表面が焼けただれている。異様な高温になっているのだ。
 そういえば、船から飛び出す前にAIが何かに気を付けるようにと言っていたのをちゃんと聞いていなかった。が、時すでに遅しだ。
 少年は呻きながら自分の手首を掴むと、手首の通信機に向かって叫んだ。

「冷やして! なんとかこれを冷却してよ!」
《……了解しました》

 AIは少年にいったんそこを離れるように促すと、今度はビームの発射口から石に向かって雪の粉みたいなものを噴霧しはじめた。

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