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第五章 主従

5 愛撫

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 今日の接吻くちづけは、前回とは異なっていた。
 藍鉄は瑠璃の唇を何度かついばみ、やがてしっかりと触れ合わせてきた。何度か角度を変えてそうしてから、分厚い舌がぬるりと口の中に入ってくるのを感じて、瑠璃はびくんと身体をすくませた。

「……んっ」

 それでも藍鉄の手はゆるまない。瑠璃の身体を抱きしめたまま、上唇を軽く咥えてから歯を舐め、舌に舌を絡ませてくる。優しく触れられた場所が次々に、じんじんと奇妙な快楽を生んでいく。頭の中心が痺れていく。
 藍鉄の熱い舌はさらに口の奥に進んできて、口蓋の裏を舐めた。

「んんっ!」

 ぞくん、と背筋になにかが走った。
 瑠璃にとって、こんな接吻はもちろん初めてのことだ。今にも目が回りそうだった。

「ぷはっ……あ」

 くちゅっと淫靡な水音をたててようやく唇が離れた時には、すっかり息があがっていた。藍鉄が支えてくれていなければ、そのまま床に崩れ落ちてしまいそうだ。腰にも足にも、まるで力が入らない。
 身体の異変はそれだけではなかった。どうやら足の間のものに、強烈な刺激が突き刺さってしまったらしい。腰の奥で生まれたずしんと重い欲望が、じりじりと炎熱を送ってくる。
 ゆったりとした直衣姿であることが幸いだった。瑠璃は密かに両足をもじもじさせたけれども、どうにか藍鉄には気づかれずに済んだようだった。
 藍鉄はそのまま軽々と瑠璃を抱き上げると、長椅子の方へ連れて戻った。そこに瑠璃を寝かせておいて、足もとのあたりにひざまずく。そうして瑠璃の手をそっととり、うやうやしくその甲へ口づけを落とした。
 どこかの姫御前ひめごぜにでもするように。

「お足もとが危のうございますな。本日は、ここまでと致しましょう」
「……っ、この──」

 薄く笑った男の顔を、思わずはたいてやりたくなった。
 言われなくてもわかる。いまの自分は、さぞや赤くなっただらしない顔をしていることだろう。瑠璃はふくれっ面を作ると、じとりと男を睨みつけた。

「……ここまでなのか?」
 足をのばして、つま先で男の肩をぐいと押す。
「左様にございます」
「なんでだよ」
「殿下がいまだ、第二皇子殿下であらせられるゆえ」
「…………」

 瑠璃の頬がさらに膨らんだ。
 
(いやだ)

 正直、頭の中はそれだけだった。
 いやだ。いやに決まっている。
 せっかくこうして、やっと気持ちが通じたのに。
 男のほうから、触れてくれるまでになったのに!
 自分が皇族の位を放棄するまでは、ちょっと接吻するぐらいのことしか許されないと? そんなの、我慢できるわけがない。

 不快さをそのまま顔に乗せてぶんむくれていたら、藍鉄は自分の肩に乗ったままの瑠璃の足をそっと取った。そのまま下ろすのかと思ったら、男は白足袋を履いた足首と、くるぶしのあたりに優しく口づけてきた。

「……あ」

 男らしくがっしりした顎と、厚めの唇。兄とはまた違う風貌だが、藍鉄もひどく精悍で男臭い顔をしている。女顔の瑠璃とはまことに対照的だ。
 そんな男がいま、自分の足を持ちあげてそこに口づけている。
 触れられた場所からまた、ぶわっと熱が生まれる気がした。まるでそこだけ季節が変わったようだ。
 藍鉄の目は、瑠璃の足に口づけながらもじっと瑠璃の顔を注視している。今までは自分に決して見せなかった何かを灯した瞳だった。それだけは、今の瑠璃にもはっきりとわかった。
 瑠璃は思わず片手で顔を覆った。

「そ、……そんな、見るなよ」
「はい。ご命令とあらば」

 男はあっさり言って目を伏せた。が、足への口づけはやめない。唇が触れる場所が、次第に上へあがってくる。

「……あ。こ、こら」
「お脱がせしても?」
「えっ……」

 低く問われて、どくんと胸が跳ねる。
 が、男の真意は瑠璃が思っていたのとは違ったようだった。男の視線は瑠璃の足袋に注がれている。

「こちらを、お脱がせしてもよろしゅうございましょうや」
「……あ。う、うん……」

 返事は急に尻すぼみになった。
 男が慣れた手つきで瑠璃の足袋を脱がせてしまう。白い足の甲が現れた。
 男はまたそっとそこに口づけた。

「んっ、あ……」

 ぴくん、と瑠璃の足が震える。
 男は瑠璃の足の指一本一本を丁寧に愛撫していく。やがて足裏にもゆっくりと口づけを落とし、反対側のくるぶしをも大切に愛でてから、元通りに足袋を履かせてくれた。
 その時点でもう、瑠璃は完全に息があがっていた。両手で顔を、特に口許を覆って、変な声が出そうになるのを必死にこらえているばかりだ。

「……ご無礼つかまつりました」
「……う、うん……」

 口の中でなにかもごもご言いつつ、瑠璃は長椅子に座り直した。
 なんだかもう、身体じゅうが燃えあがるように熱い。
 男は何ごともなかったかのように、膝をついたまま少し退き、頭を垂れた。

「喉が渇いておいででしょう。何か持ってこさせまする」

 そうしてそのまま、黒々とした巨躯をするっと空気に溶かした。
 瑠璃は自分の真っ赤な頬を持て余したまま、ひとり部屋に取り残された。

「なっ……なな」

 ひくひくと頬の肉が痙攣する。

「う、わあああっ!」

 藍鉄が部屋からいなくなるタイミングを一応は見計らって、瑠璃は突然手足をばたつかせた。そのまま長椅子にころんと転がる。

「なんなんだよっ! あの、すっ……すすっ、スケベ野郎っっ! スケベ忍者ぁっ!」

 広い部屋に、瑠璃の「スケベ忍者」という叫びだけが何度も何度も響き渡った。
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