44 / 51
第五章 主従
7 焦燥 ※
しおりを挟む「んっ……」
首筋に男の唇を感じて、瑠璃はぴくんと腰を跳ねさせた。
額や頬、そして唇に落とされる接吻だけでは瑠璃がふくれっ面になるため、男はこのところ、少しずつ触れる場所を増やしている。本当に、少しずつ。
単の袷を少しだけ押し広げて、顎に、項に、そして鎖骨のあたりに。
時おり軽く音をたてて吸い付かれ、瑠璃はいちいち、ぞくぞくと肌を粟立たせる。
あとでこっそりと確認したら、そこに薄桃色の花びらのような痕が残っていることは、もう知っている。
男は、普段は布地で隠れる場所にだけ非常に巧みに痕をつける。だから最近、瑠璃は入浴時に介助の女官などを入室させなくなった。目敏い彼女らに対して、いつまでも「どこかで虫にでも刺されたのだろう」という言い訳が通用するはずがないからだ。
多少不便ではあるが、べつにどうということもない。浴室には便利な機能が十分に備わっている。
「あ、ん……」
単の布地が両肩から滑り落ちて、瑠璃の肌を胸元まで露わにする。
胸の先にあるかざりが、布地にふれてぞくりと甘い欲望を生む。
男の瞳に宿った灯火の光があきらかに鋭くなる。くらくらと揺らめく焔は明らかな欲望を乗せていて、瑠璃の心をも炙るようだ。
はやく、つぎの段階へ。それが終われば、またさらにその先へ──。
欲望は限りなく次を求め、行きつく先を目指してしまう。
だが、男はどうしても陥落しなかった。
先にはっきりと言った通り、瑠璃が皇族でいるうちは決して最後の一線は越えぬ。そう、心に決めているらしい。瑠璃の拙い誘惑などでは、てこでも動かない構えだった。
瑠璃はいまや、自分から男の唇に吸い付いている。
わざと少し唇を開き、その内側でうねる肉をちらちらと見せつける。着物の裾をわざと乱して、白い足を見せつける。
男は接吻だけは思うさましてくれる。求めに応じて、唇と舌にはすぐに愛撫を落としてくれる。
瑠璃は喉の奥で猫の子のような鳴き声を飲み下しながら、男の舌に自分のそれを絡め、男が自分の舌を吸い上げるに任せる。
足の間で炎をくすぶらせているものには、お互いずっと触れぬままだ。
だが、その場所はさすがにお互い、正直なものだった。
藍鉄のそれは、単の布を押し上げて欲望を露わにしている瑠璃のものよりもはるかに大きな質量を見せつけている。違いを確かめてみたくてつい触れてみようとするけれど、男はいつもするりと逃げた。
もちろん、瑠璃のそれにも触れてはこない。
ひどく中途半端な行為。
むしろ欲求不満ばかりが積み重なっていくように思えた。
行為が終わると、男はしばしその場から消える。その間に、瑠璃も急いで手水を使う羽目になる。腰の奥に溜まった欲望の証は、ただ虚しく体の外へ排出されていくだけだ。
──虚しい。
「……なあ。もういいではないか。いいだろう?」
「なりませぬ」
「もう、我慢できないよ……。いいじゃないか、別に。私は女ではないのだし。孕むわけでもあるまいし」
「それは関係ありませぬ」
「藍鉄ってば! なあ……頼むから」
「どうか、お許しを」
頬を上気させた瑠璃が潤んだ瞳で必死で見上げ、男の腰に足を絡めてどんなに求めても、藍鉄はやっぱり落ちてきてはくれなかった。
(ふん。どうせ、そうだろうさ)
瑠璃は少し寂しい。そして悔しい。
だからこそ、この男が信じられる人間なのだとわかっていても。
自分の性技など児戯にも等しいことをいやでも思い知らされるし、藍鉄と自分との経験の差を見せつけられてしまう。
藍鉄自身は別になにも言わないが、自分とは違い、この男はこれまで様々に女との経験があるようだった。
いや、それはそうだろうと思う。こんないい歳をした男なのだ。仕事上も、そちら方面が未経験なままではまずい場面も多かろう。
間諜としての仕事をする忍びたちの中には、直接他国の民から情報を集める者もいるという。人の口が軽くなるのは、酒の上、または枕を共にしたときと相場が決まっているものだ。中には本当に、出自を偽って他国の民と結婚し、偽物の家庭を持つ者すらあるという。
藍鉄がかつて間諜として働いていたという事実はないようだが、忍びとして働く者たちには多かれ少なかれ、そうした経験があるはずである。訓練として、ある程度はプログラムにも組み込まれていることだろう。
たとえそういう仕事には就かなかったにしても、藍鉄にはプライベートでも近づいてくる女がいくらでもいるだろう。
こんないい男ぶりなのだ。普通に、もてないはずがないと思う。
(……悔しいな)
それを思うと、瑠璃の胸はまたちりちりと痛みを訴えはじめる。それがたとえ瑠璃と出会う以前のことだとわかっていても。
過去に遡ってまでする嫉妬には、なんの意味もない。わかっていても、焦燥と無関係でいることは難しかった。
頭で分かっていることを、心がすぐに納得するわけではない。最近のこの男とのあれこれで、瑠璃はそれをいやというほど思い知らされる羽目になっている。
(ユーリ義兄上は……さぞや満足されているのだろうにな)
ユーリは毎夜のように、あの兄にこのように愛されていることだろう。
余すところなく肌に触れられ、体の奥で男の熱を受け入れて。
そう思うと、腸が音を立てて焦げるようだ。
髪の毛をかきむしり、大声で叫びだしたくなってしまう。
(ああ、いやだ)
(もうあの方を、このように妬ましく思いたくない)
自分も、はやく。
ユーリが愛されているように、はやくあの男のものになりたいのに。
幸せな兄たちを羨ましく思わずに済むように、ちゃんと自分も満たされたいのに。
そうこうするうち、藍鉄が音もなく部屋に戻って来る。いつも通り、何事もなかったようなすました顔だ。
(まったく。小憎らしいやつ)
瑠璃もできるだけ表情をとりつくろう。意地でも赤くなったり、狼狽えたりはしてやらないのだ。決して。
乱れた髪と単の胸元をさりげなく整え、なるべくいつも通りの声で控えの間の女官を呼び、茶菓などを持ってこさせる。
平気な顔で茶に手をつけるふりをしながら、そっと目の端で無表情な男の顔を睨みつけた。
藍鉄は無反応だ。
(まったくもう! 今に見てろよ、この男)
気を抜くと、途端にむうっと膨れてしまいそうになる自分の頬を引き締める。
(そのうち絶対に絶対に、『お許しください』って言わせてやる。覚悟しろよ! この朴念仁野郎)
『どうかあなた様を抱かせてくださいませ』と。
『その肌に触れることを、どうかお許しくださいませ』と。
この男を目の前にひれ伏させて、そう言わせてやらねば気が済まぬ。
「スケベ忍者」の分際で、なにがどれほど我慢できるものか。
それをじっくり、見極めてやろうじゃないか!
……だが。
瑠璃はいまだ気づいていない。
彼が躍起になればなるほど、藍鉄にはただただ瑠璃が「必死に表情を取り繕っていらっしゃるお可愛らしい皇子殿下」としか映らぬという、困った事実に。
男が武骨な顔の下で、今にも暴れだしそうな野獣をどうにか飼いならしていただけなのだということに。
だが、瑠璃がそのことに気づくのは、さらに数年後の話である。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる