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第四章 親善交流
5 群青
しおりを挟む突然その場に朗々たる男の声が響いた。
「帝国アルネリオの王子殿下であらせられるか」
とはいえ、群青本人の声ではない。部屋の隅にいた文官の一人が、一歩前へ進み出て話しているのだ。そうやって、帝のお言葉を伝えているということのようである。言語はすべてこちらに合わせてくれている。
ユーリはすっと顔を伏せて言上した。
「この度は海底皇国、滄海の今上帝、群青陛下へのお目通りをお許しいただき、まことに恐悦至極に存じます。帝国アルネリオの第三王子、ユーリ・エラストヴィチ・アレクセイエフにございます。どうか以後、お見知りおき下さいませ」
群青の方では、彼の側にいる別の文官らしい者からこちらの言葉が伝えられているようだった。あちら側の臣下たちは、みな群青と同様に尾鰭をもった姿である。いずれも中年以上の年齢に見え、男性もいれば女性もいるようだ。
やがて老人はふと目を細め、ユーリをじっと見つめて来た。
「遠つ国から、はるばるとよくぞ参られた。衷心より歓迎いたしますぞ、ユーリ殿下」
(──さすがは、玻璃殿のお父上)
ユーリは舌を巻いた。
なんという威厳。なんという大きさか。
鷹揚なその微笑みもゆったりとした態度も、まさに海の王者としての存在感を放っている。ひと目で偉大な方だとわかる物腰、そして眼差し。
しかし、見る人を圧倒し、畏怖を抱かせる一方で、この老人の目に宿るのはひどく優しいものでもあった。先ほどから、まるで我が子を見るような慈愛のこもった眼差しをじっとユーリに注いでいる。
「そなたが、玻璃がひと目惚れしたと申す御方か。なるほど、涼やかに麗しき御仁であらせられるな」
「いっ、いえ……。滅相もなきことにございます」
身の縮む思いがして、ユーリは肩を強張らせた。肩も首も、いや全身が、さきほどからかちんこちんに固まっている。
自分など、「こんな凡人王子が何をしに来た」と言われても仕方のない状況だというのに。このお方は、一体何をおっしゃっているのだろう。
(それに……今、ひと目惚れって??)
身内で熱が爆発したような気になって、ついちらりと隣を見た。玻璃は思った通りの満面の笑みである。
まさかとは思うがこの男、お父上にそんなことを言上していたのだろうか。
「左様でございましょう、父上。わたくしが申した通りにございましたでしょう」
あちらで群青がふほほ、と笑ったらしかった。老人が笑うと、顔を埋め尽くしたさまざまな皺がいっそう深くなり、愛情深い雰囲気を増したようだった。
まったく不思議なことだったが、ユーリはもう、ろくろく言葉も交わさぬうちからこの御方を「お父上様」と呼びかけたくなっていた。
なぜだかは分からない。
ただただ、この方が自分だけでなく、この地上にいるすべての人の父であるような気がして仕方がないのだ。
「見た目のこともさりながら、この方はそのお心映えこそが美しいのです。そちらは今後またゆっくりと、ご覧じくださればと思っております」
「うむ。どうぞ皆々さま、こちらでゆるりと過ごされよ」
後半は、もちろんユーリたちを見てのお言葉だった。
と、その時だった。ユーリの頭の中で、ひさびさに誰かの声が響いた。
《ユーリ殿下。もしも許されますならば》と。
それはしわがれてはいるものの、まだまだ力強く、また深くて温かな声音だった。
(えっ?)
驚いて、ついきょろきょろと周囲を見回してしまう。が、隣の玻璃が意味深な目でこちらを見た以外、特に変わったことはない。
《驚かれるのも無理はないが。いまは余が直接、あなた様に向けて話しておる。群青である》
(ええっ……!)
ぱっと目を上げると、群青が相変わらずの慈愛のこもった目でこちらを見ていた。
そう言えば、玻璃に初めて会ったときに似たような経験をした。彼らは互いの言語の違いを乗り越えて、心で話をすることができる技術を持っているのだ。
やっと得心がいって、わずかに顎をさげて見せると、群青はゆったりと微笑んだようだった。長い髪も髭も真っ白なその方が笑うと、まさに「海の王が微笑んだ」という雰囲気になった。
《無論、もしもあなた様さえよろしければのお話ではあるのですが。どうか、我が子玻璃とともに滄海の窮状をお救いくださらぬか》
(えっ……?)
実際に耳で聞こえたわけではないが、ユーリが我が耳を疑った。
そして、わが目も疑った。海皇群青が、確かにこちらに向けて頭を傾けているのだ。
(窮状? 窮状だって……?)
こんなにも豊かで科学技術の進んだこの国にも、なにか問題があるのだろうか。外側から見ているだけでは分からないけれど、なにか困った事態が起こっている、ということなのだろうか。
隣を見ると、すべてを見通したような目をした玻璃が静かにこちらに目配せをし、頷き返していた。
一体どういうことなのだろう。
ぼんやりと群青を見返して変な顔になってしまったユーリを、隣のロマンが不審げな顔で見上げてくる。それに気づいて、ユーリはあわてて群青に向き直り、ゆっくりと顎を引いて見せた。
《……わ、わたくしにできますことならば、なんなりと》
もちろん、あまり周囲の人々には知られない程度の動きにした。
が、その途端、群青の面差しがさらに柔らかくなったようだった。
《ありがたい。心より御礼を申し上げますぞ。当方の事態については、玻璃から詳しく説明させることになっておる。どうか、よろしゅうお頼み申し上げる》
海の帝王はゆったりとした動きでこちらに頷いて見せると、そこでこの謁見を終了させた。
老人は椅子からふわりと浮き上がると、近侍の者たちに付き添われてゆらゆらと泳ぎ、奥へと消えていかれた。
なんだかすべてが、まるきり夢の中の出来事のようだった。
ユーリをはじめとする皆は、みな等しく頭を垂れて、去ってゆくその老いた海皇をそっとお見送りした。
◆
「はあ……緊張しました。しかし、思った通りの素晴らしい御方でした。さすがは玻璃殿のお父上ですね」
拝謁の間を辞してまたあの《エア・カー》に乗り、皆は逗留する建物に戻った。道々、まだぼうっとした頭でユーリが言うと、玻璃は素直に嬉しげな眼になった。
「お褒めを頂き感謝する。まあ、俺がこの世で唯一、心より尊崇申し上げる方だからな」
「そうですか。そうでしょうね……」
やや得意げな顔になった玻璃を見て、ユーリは微笑ましく思った。こんな大きな形をして、意外に可愛いところもおありのようだ。
「無論、ほかにも尊敬する者はいるがな。我が父とはいえ今のところ、あの方以上の者はおらぬであろうよ」
「羨ましい限りです」
ぽつりと言ったら、玻璃がちらりとこちらを見た。何か尋ねたそうな顔だったが、結局は何も言わず、座席の上でさりげなくユーリの手を握って前を見つめただけだった。
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