ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第四章 親善交流

11 臣下の心

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 その後、ユーリはほぼ丸一日、寝室から出てこなかった。
 心配したロマンが食事や茶菓子などをさしいれようと、ときどき扉の外から声を掛けたのだったが、それに応える声はなかった。
 とりあえず、他の親善使節の面々には「急な体調不良」と言ってなんとか納得してもらったが、問題はこのあとだ。玻璃殿下はこちらを接待するためにさまざまな計画をしていたはずだった。それらをすべて反故にしてもらうのは、あまりにも申し訳ない。
 しかしロマンにとって心配なのは、何よりユーリ殿下ご自身のことだった。

「ご案じ召さるな。ユーリ殿下はご無事です」

 殿下の部屋の前で食事の盆を手にうなだれていたら、黒鳶に声を掛けられた。
 彼が言うには、以前、玻璃皇子がユーリに渡した腕輪によって、殿下の無事はきちんと確認されているのだという。知ろうと思えば殿下の体温や脈拍など、体調のことまである程度は分かるのだそうだ。あの腕輪にそんな機能もあるのだと知って、ロマンはびっくり仰天した。
 もしやこちらの人々はあの腕輪を通して、殿下の普段の生活から話している内容まで知悉ちしつしているのではないのだろうか?
 ロマンのうたぐりの視線に気づいたらしく、黒鳶は困った目になった。

「心配はご無用です。殿下の《ぷらいばしー》を侵害するような真似は、決してしておりませぬ。これも玻璃殿下からのご命令ゆえ」
「……ほんとうですか」
 それでもまだ疑わしげな色が満載であろう目で睨み上げたら、黒鳶はほんのわずかに肩を落としたように見えた。
「今、この状況で『我らを信じよ』と申すのはいかにも虚しいことではありますが。我らとしては『信じてくださりませ』と申し上げるよりほか、為すすべもございませぬ」

 この男でも、少し傷ついたのだろうか。相変わらず表情の読めない顔をちらりと見て、ロマンは溜め息をついた。
「いいですよ、もう」
 力なくそう言って、食事の乗った盆を運搬用のワゴンに戻す。ユーリのために準備していた料理は、とっくに冷たくなっている。
 なるべく子供じみた表情にならぬようにと努めているつもりだが、それでも気づけば口を尖らせてしまっていた。

(だめだ、これでは)

 こんなことでは、「こんな少年ごときをユーリ殿下の側付きにして」と文句を垂れていた母国の文官連中に顔向けができないではないか。
「それより」
 ロマンは気を取り直して、黒鳶に向き直った。
「あの……昨日は、すみませんでした」
 少し頬が熱くなるのを感じながら、ぴょこんとお辞儀をする。
「は……」
 黒鳶は怪訝そうだ。どうやら、謝られる意味が分からないらしい。ロマンは顔にさらに血がのぼってくるのを覚えた。思わず手のひらで顔の下半分を隠す。
「で、ですからっ。あの時、その……あなたをあんなに、ぽかぽかと」

 つい、しどろもどろになる。
 だが、「ああ」と言った黒鳶の声は静かだった。

「あのようなこと。どうかお気になさいますな」
「別に、あなたが悪かったわけでもないのに。お恥ずかしいです。申し訳ありませんでした。ご、ごめんなさいっ……!」
 気のせいか、黒鳶の目と声がほんの少し優しくなった。
「玻璃殿下をお守りすること、ユーリ殿下とあなた様をお守りすること。いずれも立てようと思えば、ああするしかなかったまでです」

(この人は──)

 最初のうちこそ疑心暗鬼でいっぱいだったけれど、この男が玻璃に忠実で、しかもかなり誠実な人であることはもう分かっている。
 海底皇国のためとあらば、間諜をはじめとする汚い仕事もするとはいえ、根本的には決して悪い人ではない。それはロマンにだってわかっていた。むしろ今では、かなり好意的な気持ちで彼を見ている。

「だけど、いったいどうしたらいいのか……。私にはもう、殿下に何をしてさしあげたらいいのかわからない」
 途方に暮れて、自分の靴先を見つめるしかできないロマンを、黒鳶はしばらく見下ろしていた。が、やがてそこに片膝をつき、ロマンを見上げるようにした。
「ご心配なさいますな。恐らく、大丈夫にございます」
「え……」
「ユーリ殿下はああ見えて、本当は強い方だとお見受けします」
 ロマンは目をまたたかせた。
「ロマン殿のおっしゃる通り、お手元にあの腕輪もお持ちのことですし。必要とあらばあれを使って、玻璃殿下と直接お話しだっておできになるでしょう。我らは少し、それをお待ち申し上げるべきではないかと」
「本当ですか」

 思わず黒鳶に近づいて、ロマンは言った。手をのばせば触れられるほどの距離である。普段であったら、そこまで近づくはずもない相手だった。

「本当にそう思いますか。ユーリ殿下はお強い方だ、と」
「無論にございます」
 玻璃ほど派手ではないが、確かに心のこもった涼やかな目がじっとロマンを見返してきている。
「以前にも申しましたが。自分はこのところ、ユーリ殿下をはじめ、アルネリオ宮の内部の様子をずっと姿を隠して観察させていただいておりました。ユーリ殿下のお立場も、ご性格も、普段のご様子も、細大漏らさず玻璃殿下にお知らせしておりました」
「…………」
「ですから、無論ロマン殿ほどではないにせよ、ユーリ殿下のことなら多くのことを知っております。あの御方の為人ひととなりも、王宮内でのお立場も。そして、あなた様とのご関係も」
「黒鳶どの……」

 きゅっと胸に痛みを覚えて、ロマンは知らず、自分の胸元を握りしめ、うつむいた。

「ユーリ殿下は、ご自身のお立場をしっかりと考えて行動できる御方とお見受けします。ですから今回も、やがてそれをご自覚なさって、みずから部屋をお出になるのではと思います」
「ほ、本当に?」
「はい。ですが、玻璃殿下のお気持ちについてはまだ、しかとお信じにはなれぬかもしれぬと……そこがただ一点、自分も懸念するところではありますが」
「玻璃殿下の、お気持ち……?」

 話の行方がよく見えず、ロマンはそこに立ち尽くした。
 黒鳶は、そこからやや言い澱む様子だったが、やがて言った。

「ロマン殿。ずっと不思議に思っていたのですが。お訊ねしてもよろしいか」
「えっ? な、なんでしょう」
「貴方様のお国では、一人の男子に幾人いくたりもの女人にょにんを添わせようとなさいますな。貧しい世帯の者たちではあまり見かけませぬが、とりわけ貴人と呼ばれる方々にあっては多いようで」
「え、……ええ。そうですね」
「医療技術に問題があり、沢山の子らがいなければ血筋が絶える恐れがある。そのことは理解しますが。それにしても、ただひとりの男子のためにしては、侍らせる女人の数が多すぎはしませぬか」
「あ、あー……。そうですね」

 自国の恥を鋭く言い当てられているような気になって、ロマンはまた違う意味で耳が熱くなってくるのを覚えた。
 わかっている。これは羞恥だ。
 言われる通りだ。我が国の側妃やら愛妾やらの比率は非常に高い。近隣の小国にあっても似たようなものだけれど、とくに帝国アルネリオでは、代々そういう傾向が強かった。

「自分の間違いであればお許しいただきたいのですが。無礼を承知で申し上げますが、もしやユーリ殿下は、玻璃殿下もご同様のことをなさると、お考え違いなさっているのではないかと」
「え……? ち、違うのですか」

 そこで黒鳶は、ごく控えめに息を吸い込んだようだった。その目には「やはり」という感じがありありと見えた。

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