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第六章 陸の王子たち
2 兄と弟
しおりを挟む「兄上……。兄上ッ!」
ぐいぐいと大股に前を歩いて行く兄を、イラリオンはやや小走りになりながら呼び止めた。
ふぁさ、とマントを翻してセルゲイが振り向く。
「なんだ」
「なんだ、ではありませぬ。本当なのですか? その……あ、兄上も──」
「こんな所で、下世話な話を始めるな」
王宮の大回廊のひとつである。周囲には文官、武官、下働きの者などがあちこちに立っている。王子たちの姿を目にして、さっきから動きを止め、跪いたり立ったままで頭を垂れたりしているのだ。
セルゲイは近くの使われていない一室へと弟を引き入れた。
古くなった調度やなにかを一時的に保管する部屋である。ごく狭い部屋であり、家具らしいものには埃よけの布が掛けられている。上部の小窓から陽の光が入って来ていた。
「兄上。本当ですか。ルリ殿に、兄上もけ、懸想を……?」
セルゲイは腕組みをし、自分よりもやや上にある濁りのない弟の目をじろりと見つめた。
「だったらなんだ」
「なんだって……! まずいですよ。私なんかは今更なにをやったって、遊びの範疇で済まされましょうが。兄上にはもう、れっきとした皇太子妃までおられるのですし」
「ごく幼いうちから婚約させられ、顔も知らないうちに結婚させられた皇太子妃なら、確かにいるな」
「いや……兄上。そのへんのことは、私だって同じようなものですって」
というか、王族なら誰しも似たようなものだろう。あのユーリが非常に奥手で、女性ときちんとつきあうことにちっとも前向きにならなかっただけの話だ。
帝国アルネリオは、近隣の小国や周囲の島国を多く抱え込んだ大国だ。いまさら彼らがこちらに反旗を翻す体力などないのは分かっている。だがその分、互いのより強いつながりを求めて、小国が自国の姫を王子に差し上げるということは、わが国の歴史上、営々と行われてきたことだ。
セルゲイもイラリオンも、ろくに自我も確立しないうちからどこぞの姫との婚約が成立し、そのまま成人の十四を迎えたところで有無を言わさず妃を迎えさせられてきた。数名の側妃も、同様である。
気がつけばある夜突然、見知らぬ娘が自分の寝所に侍っている。いや、もちろん盛大な結婚披露の儀はあるわけだが、そのときにはヴェールやらカーテンやらに隠れてろくに顔も見られない。だから実質、寝所でのそれが妻との初対面と言ってよかった。
「ふふ。そうだな。……王族など、どうせそんなものだと思っていたのに」
セルゲイは力なく笑うと、白い手袋をした手で口元を覆った。
一応は家柄のいい王族の娘なのだから、器量はみなそこそこのもの。だが、性格が合うも合わぬもまったく無視して大人が勝手に決めた婚儀だ。当然、こちら側の好みなどほとんど考慮されていない。
皇太子妃以外の娘たちも、大体は似たようなものである。妃たちは従順で上品で、王子の意向にはなにひとつ逆らうこともない。自国の命運を背負って来ている娘ならば尚更だった。王子に反抗などしようものなら、即座に自分の国と家族の立場が危うくなるのだから。
だから、娘たちとの交流はつまらなかった。裏ではどうあれ、自分の前ではとにかく美しく、可愛らしく従順に見せることだけを考えている女たち。彼女らとの会話は退屈で、平板で、まったくなんの刺激もなかった。若者であるセルゲイが、そういうお仕着せの婚儀に飽き飽きするのは当然の話だったのだ。
結果として、つい身分の低い娘で気に入った者を閨に引き入れたりするのも、これまた若い男としては仕方のない話ではないか。
セルゲイは腕を組み、指先で軽く頬を撫でた。
「おかしいな。この、私が……。今の今まで、どんな女にも自分から動いたことすらないのに」
「ああ。まあ、兄上はそうでしょうなあ」
イラリオンが苦笑する。
特に夜会の行われる日など、セルゲイの周りにはいつも美々しい女たちが嫌というほど列をなしている。彼自身が「あの娘はなかなかいいな」などという感慨を抱くずっと前から、「我こそは」とばかりに貴族の娘たちが激しく凌ぎを削り、熱い秋波を送ってくるのだから。
イラリオン自身だってそうだけれども、兄はさらにその度合いが酷い。ちょっと気の毒になるぐらいだ。
セルゲイはしなやかな指先でこめかみあたりを軽く掻いた。
「ましてや美しい青年になぞ、これまで食指を動かしたこともないのにな。どうしてあの御仁には、こうも心が惹かれてしまうのだろう」
「ああ。それは自分もそう思っておりました。まあ、兄上ほどではございませんがね」
セルゲイはなんの裏もない表情をした弟の日焼けした顔を見返して、軽く頭を抱え、弱々しく溜め息をついた。
「あの者が、あまりに美しすぎるのだ。そうだろう? なにやら、この世の者とも思えぬではないか。そう思わぬか」
「はい! おっしゃる通りです。最初は私も、『あれで本当に男なのか』とわが目を疑ったものですよ」
イラリオンが鼻息あらく大きく頷く。
セルゲイは弟の素直な反応に、ちょっと苦笑して見せた。
「あまりにも吸引力が強すぎるのだ。魅力的でありすぎる。むしろ、それが危うく思えるほどにな」
「左様、左様」
「まあ、ご性格はだいぶひねくれておられるようだが。それでも人としての魅力が段違いだ。ご自分では気づいておらぬようだが、あの者は……ずっと、あの魅力的な紺の瞳で『欲しい、欲しい』と訴え続けている。『足りない、満たして』……とな。そう思わぬか」
「は……。そうなのですか?」
「ふむ。そなたには分からんか」
あの者はあの者で、つらい恋に身を焦がしているのかも知れぬ。
なんとなくだが、セルゲイにはそう見えた。
そしてそれは、恐らく決して叶うことのない恋なのだろう。
それでも諦められないから、その焦燥をああやって、我らにぶつけていらっしゃるのだ。
「少し間を置いて、またお誘いしてみよう。なあ? イラリオン」
「は」
「湖畔の散策ぐらいであれば、いずれ気が向いてくださるやも知れぬ。どうやら狩りのような血なまぐさいことはお好みではないようだし」
「ああ……やっぱり、そうなのでしょうかねえ」
さも残念そうにイラリオンが頭を掻いた。この弟は、なにより狩りが大好きなのだ。
「まあ、根気よくお誘いしようではないか。私はまだ、もっとあの方と話がしてみたい。我が褥に引き入れるとか、そういう艶めいた話とは別にしてもな。そなたもだろう? イラリオン」
「左様ですね。無論、私もでございます」
兄弟はそっと互いの顔を見合わせて苦笑しあうと、ふたりで示し合わせたようにして、小部屋から出て行った。
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