ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

文字の大きさ
56 / 195
第六章 陸の王子たち

2 兄と弟

しおりを挟む

「兄上……。兄上ッ!」
 
 ぐいぐいと大股に前を歩いて行く兄を、イラリオンはやや小走りになりながら呼び止めた。
 ふぁさ、とマントを翻してセルゲイが振り向く。

「なんだ」
「なんだ、ではありませぬ。本当なのですか? その……あ、兄上も──」
「こんな所で、下世話な話を始めるな」

 王宮の大回廊のひとつである。周囲には文官、武官、下働きの者などがあちこちに立っている。王子たちの姿を目にして、さっきから動きを止め、ひざまずいたり立ったままで頭を垂れたりしているのだ。
 セルゲイは近くの使われていない一室へと弟を引き入れた。
 古くなった調度やなにかを一時的に保管する部屋である。ごく狭い部屋であり、家具らしいものには埃よけの布が掛けられている。上部の小窓から陽の光が入って来ていた。

「兄上。本当ですか。ルリ殿に、兄上もけ、懸想を……?」

 セルゲイは腕組みをし、自分よりもやや上にある濁りのない弟の目をじろりと見つめた。

「だったらなんだ」
「なんだって……! まずいですよ。私なんかは今更なにをやったって、遊びの範疇で済まされましょうが。兄上にはもう、れっきとした皇太子妃までおられるのですし」
「ごく幼いうちから婚約させられ、顔も知らないうちに結婚させられた皇太子妃なら、確かにいるな」
「いや……兄上。そのへんのことは、私だって同じようなものですって」

 というか、王族なら誰しも似たようなものだろう。あのユーリが非常にで、女性ときちんとつきあうことにちっとも前向きにならなかっただけの話だ。
 帝国アルネリオは、近隣の小国や周囲の島国を多く抱え込んだ大国だ。いまさら彼らがこちらに反旗を翻す体力などないのは分かっている。だがその分、互いのより強いつながりを求めて、小国が自国の姫を王子に差し上げるということは、わが国の歴史上、営々と行われてきたことだ。

 セルゲイもイラリオンも、ろくに自我も確立しないうちからどこぞの姫との婚約が成立し、そのまま成人の十四を迎えたところで有無を言わさず妃を迎えさせられてきた。数名の側妃も、同様である。
 気がつけばある夜突然、見知らぬ娘が自分の寝所にはべっている。いや、もちろん盛大な結婚披露の儀はあるわけだが、そのときにはヴェールファタやらカーテンザーナヴェスやらに隠れてろくに顔も見られない。だから実質、寝所でのそれが妻との初対面と言ってよかった。

「ふふ。そうだな。……王族など、どうせそんなものだと思っていたのに」

 セルゲイは力なく笑うと、白い手袋をした手で口元を覆った。
 一応は家柄のいい王族の娘なのだから、器量はみなそこそこのもの。だが、性格が合うも合わぬもまったく無視して大人が勝手に決めた婚儀だ。当然、こちら側の好みなどほとんど考慮されていない。
 皇太子妃以外の娘たちも、大体は似たようなものである。妃たちは従順で上品で、王子の意向にはなにひとつ逆らうこともない。自国の命運を背負って来ている娘ならば尚更だった。王子に反抗などしようものなら、即座に自分の国と家族の立場が危うくなるのだから。

 だから、娘たちとの交流はつまらなかった。裏ではどうあれ、自分の前ではとにかく美しく、可愛らしく従順に見せることだけを考えている女たち。彼女らとの会話は退屈で、平板で、まったくなんの刺激もなかった。若者であるセルゲイが、そういうお仕着せの婚儀に飽き飽きするのは当然の話だったのだ。
 結果として、つい身分の低い娘で気に入った者を閨に引き入れたりするのも、これまた若い男としては仕方のない話ではないか。
 セルゲイは腕を組み、指先で軽く頬を撫でた。

「おかしいな。この、私が……。今の今まで、どんな女にも自分から動いたことすらないのに」
「ああ。まあ、兄上はそうでしょうなあ」

 イラリオンが苦笑する。
 特に夜会の行われる日など、セルゲイの周りにはいつも美々しい女たちが嫌というほど列をなしている。彼自身が「あの娘はなかなかいいな」などという感慨を抱くずっと前から、「我こそは」とばかりに貴族の娘たちが激しく凌ぎを削り、熱い秋波を送ってくるのだから。
 イラリオン自身だってそうだけれども、兄はさらにその度合いが酷い。ちょっと気の毒になるぐらいだ。
 セルゲイはしなやかな指先でこめかみあたりを軽く掻いた。

「ましてや美しい青年になぞ、これまで食指を動かしたこともないのにな。どうしてあの御仁には、こうも心が惹かれてしまうのだろう」
「ああ。それは自分もそう思っておりました。まあ、兄上ほどではございませんがね」
 セルゲイはなんの裏もない表情をした弟の日焼けした顔を見返して、軽く頭を抱え、弱々しく溜め息をついた。
「あの者が、あまりに美しすぎるのだ。そうだろう? なにやら、この世の者とも思えぬではないか。そう思わぬか」
「はい! おっしゃる通りです。最初は私も、『あれで本当に男なのか』とわが目を疑ったものですよ」

 イラリオンが鼻息あらく大きく頷く。
 セルゲイは弟の素直な反応に、ちょっと苦笑して見せた。

「あまりにも吸引力が強すぎるのだ。魅力的でありすぎる。むしろ、それが危うく思えるほどにな」
「左様、左様」
「まあ、ご性格はだいぶひねくれておられるようだが。それでも人としての魅力が段違いだ。ご自分では気づいておらぬようだが、あの者は……ずっと、あの魅力的な紺の瞳で『欲しい、欲しい』と訴え続けている。『足りない、満たして』……とな。そう思わぬか」
「は……。そうなのですか?」
「ふむ。そなたには分からんか」

 あの者はあの者で、つらい恋に身を焦がしているのかも知れぬ。
 なんとなくだが、セルゲイにはそう見えた。
 そしてそれは、恐らく決して叶うことのない恋なのだろう。
 それでも諦められないから、その焦燥をああやって、我らにぶつけていらっしゃるのだ。

「少し間を置いて、またお誘いしてみよう。なあ? イラリオン」
「は」
「湖畔の散策ぐらいであれば、いずれ気が向いてくださるやも知れぬ。どうやら狩りのような血なまぐさいことはお好みではないようだし」
「ああ……やっぱり、そうなのでしょうかねえ」
 さも残念そうにイラリオンが頭を掻いた。この弟は、なにより狩りが大好きなのだ。
「まあ、根気よくお誘いしようではないか。私はまだ、もっとあの方と話がしてみたい。我がしとねに引き入れるとか、そういう艶めいた話とは別にしてもな。そなたもだろう? イラリオン」
「左様ですね。無論、私もでございます」

 兄弟はそっと互いの顔を見合わせて苦笑しあうと、ふたりで示し合わせたようにして、小部屋から出て行った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...