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第六章 陸の王子たち
3 藍鉄
しおりを挟むがちゃんと激しい音を立てて、湯飲みが床の上で砕けちった。
アルネリオの王子たちが退室してすぐのことである。
無論、壊したのは瑠璃だ。
「まったく……あの、色欲王子どもめらが!」
側付きの侍従の男が無言のまま、手早く壊れた茶器の始末を始める。そちらには見向きもしないで、瑠璃はソファに座り込んだまま、先ほど王子たちの消えた扉をにらみつけていた。
と、部屋の隅から黒い影が三つばかり、空気から溶け出るようにしてぬらりと現れた。先刻から身を隠してずっと控えていた、瑠璃づきの忍びの者たちである。装束はあの黒鳶と同じ、全身黒ずくめのものだった。
瑠璃は玻璃兄の助言のまま、身近にこうした者たちを十数名も置いている。何名かは王族らや高官たちの偵察に使い、残りの数名はいつも部屋の中に潜ませていた。
中でも最も体格のよい者が、音もなくやってきて瑠璃の足元にひざまずき、頭を垂れた。
この守護隊の頭で、名を藍鉄という。黒鳶よりもさらに長身で、肩幅もある。体格だけなら、あの玻璃兄とも比肩するぐらいであろうか。
「殿下。今朝がたのアルネリオの御前会議を聞き込んできた者が戻っておりますが。いま、報告をお聞きになりましょうや」
「ああ。ここへ寄越せ」
「は」
大きくため息を吐き出しながら、瑠璃はさもつまらなさそうに頬杖をついた。
実のところ、あの皇太子も第二王子も、大いなる勘違いをなさっている。瑠璃はこの小さな部屋の中にいるだけの、ただの「井の中の蛙」ではない。
海底皇国では、これまで長年にわたってこちらの国の偵察をおこなってきた。今回、瑠璃の訪問の期間中、こうした諜報活動はさらに活発に行われている。
各小国の王宮にも滄海の間諜は入り込んでいるし、アルネリオ国内の各地域、村や町にも彼らはいる。男もいれば女もいるし、若者もいれば年配者もいる。中には土地の者と所帯を持って、完全にこの国の人間として生活しているような者までいるのだ。
下々の者がこの国の政をどう思っているか、財政状況はどうなのか。各貴族同士、どこの家とどこの家が仲が良く、また悪いか。どこの国とどこの国がつながりが深いか、あるいは浅いか。国同士、過去にしがらみがあるとしたなら、どんなものか──。
この小さな部屋にいながらにして、瑠璃はこの国の実情に日々精通している。もちろん本国とも同じ情報が共有されているわけなので、瑠璃の知っていることは父、群青も、玻璃兄も同様に知っている。
先ほどの王子たちの内々の話だって、実際、瑠璃には筒抜けだった。
「ただいま、群青陛下の書状について、エラストと国務大臣らが吟味しているところですが──」
「それで」
藍鉄に呼ばれてやってきた忍びの青年が、よどみなく報告を始めている。
大勢は、おおむね滄海側の希望通りに運びそうな感触だった。
皇帝エラストは、当初こそ玻璃から息子のユーリを「妃」にと望まれたことに激怒したが、今ではかなり気持ちが傾いているらしい。ユーリ本人がそれを望んでいることも大きいが、なにより、海底皇国が提示した条件が、彼らにとってはあまりにも魅力的だったからだろう。
陸の国々には、土地がない。つまり、あまり資源がない。
かつて存在した油田の多くは海に没し、今ではいくつかの鉱山が生き残っているばかり。加工技術も相当に退化した今となっては、ひとつ舵とりを誤ると、希少な鉱物をめぐって国同士の争いさえ引き起こされかねない始末。
土地がないということは、農作物を作るスペースにも限りがあるということだ。人が口にする植物ばかり栽培すれば、土の状態も偏っていく。木材をつかって暖をとり、住居を作る文化を続行していれば、当然、森林も減っていく。
自然は余計にバランスを崩すことになり、結果困るのは人間だ。だが、人々だって背に腹は替えられない。未来の環境うんぬんよりも、大事なのは今、目の前にいる民とその子どもたちが口に入れるものを作りだすことなのだから。
海底皇国は、こうした問題を抱えているアルネリオに対して、様々な資源と技術協力を申し出ている。何よりもまず、太陽光を使う発電と発熱技術を、技術者とともに提供しようとしているのだ。
また、現在海底から掘り出すことのできる化石燃料やレア・メタルといったものも、陸の物資と交換する形で提供することを提案している。
さらに、兄はこちらの医療技術では治すことのできない難病を抱えている民たちを引き取って、あちらで治療し、教育や生活の面倒も見ようと申し出ている。その後はできれば海底皇国に根付いて欲しいのが本音だが、そのあたりは本人たちの意思に任せると兄は言っているらしい。
いずれも、エラストたちにとってみれば、喉から手が出るほど欲しい援助に違いなかった。
だからこそエラストは、我が子ユーリをほとんど「人身御供」のようにして、海底皇国の皇太子に与えることを肯うようになったのだろう。
(……可哀想なやつだよな)
正直、瑠璃だってそう思う。
実の父親が、国の利権と引き換えに、実の息子をまるで人質のようにして他国の皇子に与えようというのだから。
我が父、群青であったなら、絶対にこんなことは許さないはずだった。瑠璃が同様にして無理やりに誰かのものにされそうになれば、あの父ならば最終的に、戦争すら辞さないであろう。そのぐらい、父は瑠璃を溺愛している。面影が、亡き母によく似ているというのが大きいのだろうけれども。
まあ、救いがあるとすれば、幸いにして玻璃兄とユーリ王子本人が、どうやら相思相愛である、ということだろうか。
最初のうちは戸惑ってばかりいたあの第三王子も、近頃ではひどく嬉しそうに兄のそばにいるらしい。
そこまでつらつらと考えて、瑠璃は思わず舌打ちをした。
(まったく。何を考えているんだ、私は……!)
相思相愛では、困るのだ。
これ以上血を濃くしすぎてはまずいので、自分が兄と結ばれるなんてことは万に一つもあってはならない。ならないが、あのぽややんとしたアルネリオの第三王子が兄の相手になるなんて。
それはそれで、瑠璃はどうしたって、腸が煮えくり返るのを禁じ得ない。
(そんなこと……!)
絶対に絶対に、許すものか。
あの兄を、大好きな玻璃兄を。
お前のようなサルの王子に、だれが易々と呉れてやるものか。
(兄上は、私のものだ。私だけのものだ……! 永遠に)
忌々しげに親指の爪をかちりと噛んで、ぼんやりと窓外を見る。
その脇で藍鉄が、その名の通りの深い色の瞳でじっと海の皇子を見つめていた。
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