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第七章 変わりゆく帝国
6 対決
しおりを挟む「これはこれは、恐悦至極に存じまするぞ。大帝国アルネリオの第三王子殿下が、斯様な遠路をはるばると鄙びた我が家までおいでくださいましょうとは!」
トリフォノフ伯はわざとらしいほど明るい声と満面の笑みで、両手を広げながらこちらに近づいてくる。ひと足ごとにゆさゆさと体側のぜい肉が揺れているのが、衣服ごしにも具に分かった。
彼の背後には、老いた執事が一人と、文官らしい男が一人、さらに武官らしいいかつい体躯の中年男が一人、控えているばかりである。
トリフォノフが、立ち上がったユーリの前でのそのそと片膝をつく。体じゅうの肉が邪魔になるのか、それだけのことが非常に大儀そうだった。
ユーリはまっすぐに立ち、控えめな笑みを浮かべてその礼を受けた。
「突然にお邪魔して申し訳ありません、トリフォノフ伯。父の命により、あなたに急な要件ができてしまったものですから」
「ほほう。それはまた、いかようなお話で」
トリフォノフは顔の造作が中央に寄りぎみの顔をにかにかさせてユーリを見上げる。
事前に聞いていたところでは、彼は頭髪が相当さびしくなった御仁だということだったが、今の伯爵の頭にはふさふさと豊かな亜麻色の巻き毛がうねっていた。恐らく鬘なのであろう。
ユーリは軽く口元に拳をあてて、控えめに咳をした。
「その、ですね。先ほどこちらに、父からの書状が届いたと思うのですが」
途端、ぎらりとトリフォノフの両目が光った。しかし、顔はにまにまと微笑んだままだ。「否」とも「応」とも言わず、ただ沈黙している。
ユーリはそれに構わず言った。
「こちらの税務上の内情について、父が非常に憂慮しているとの内容だったと思いますが。伯のご意見はいかがなのでしょう」
「はあ。いや、さてさて。わたくしにはどういうことか分かりかねまするが……。税務上の内情、と申されますと?」
相変わらず、トリフォノフはふてぶてしい笑みを浮かべたままだ。背後でロマンが鼻白んだのがはっきりわかった。ユーリはさりげなく後ろ手で少年を制する。
そうして、ロマンが差し出した書面を手にとり、再びトリフォノフに視線を戻した。そこには、この領地について黒鳶の手下の者らが調べ上げた、トリフォノフ領の内情が記されている。もちろんすべて、あの玻璃の全面的な協力によってもたらされた情報である。
「かねてより、こちらの地域を調査していた者らの報告によりますと、ですね。あなたとあなたが派遣している官吏たちが、土地の地主らと結託し、民らに法外な税を要求した上、高い利息で金を貸し、不当な利益を得ているとのことなのですが。それにより、民らは非常に困窮し、貧しい村では娘を身売りさせる者、幼い子らや老人を、口減らしのために密かに死なせる者らが続出していると。……それは事実なのでしょうか」
ユーリの声は静かだった。微笑んでこそいないけれども、その面に怒りや焦りは微塵もない。ただ淡々と、書面にあることを相手に確認する体だった。
「なんとなんと。左様な話、とんでもなきことにござりまする。わたくしめが、左様に愚鈍の領主でありましょうや。濡れ衣もよいところ! 一体どんな調査がなされたものやら。根も葉もないことにござりますれば」
トリフォノフは豊かな腹肉を折りたたむようにして頭を下げた。顎の下にだぶついた肉もまた、幾重にも折りたたまれている。殊勝な様子なのだが、その態度には微塵もそのような雰囲気はなかった。
鬘に覆われた頭の中ではきっと、「ふん。無能の第三王子風情がなにを言うか」とでも考えているのだろうと思われる。が、ユーリは別に気にしなかった。
「お言葉を返すようですが」とひとこと言って、ユーリは書面を巻き直し、ロマンに返してからトリフォノフに向き直った。
「こちらは確かな筋からの情報なのです。先ほど届いた父の書状にもありました通り、伯にはこちらの領地から早々に退いていただく必要がございます。帝国の法令を遵守しなかった廉での解任、ということになりましょうか」
「ごっ、ご無体な!」
ぶるんと頬肉をはねあげて、トリフォノフが顔を上げた。
「左様に一方的なご裁定、承服できるものではございませぬ。そもそも、いったいどんな証拠があってそのようなことをおっしゃるのやら」
ユーリはちょっと考えていたが、やがて静かに言った。
「実は少し前から、ご領地内のことを内々に調査させていただいておりました。とりわけ、最近国交を開くこととなった海底皇国の皇太子殿下のご協力によるところが大きいのですが」
「か、海底皇国……?」
トリフォノフにとって初耳のことではないはずだったが、どうもぴんと来なかったらしい。男はやや首をかしげ、背後の者たちの方へ目をやった。彼らの方でも控えめに、それぞれ首を振ったり不審げな目をするばかりである。
「かの国は、我らアルネリオよりもはるかに科学技術が進んでおります。その技術をもって、こちらの国の偵察をずいぶん昔からなさってきたとのお話で。……それこそ、あなた様のご先祖の代からのことだそうです」
「な、なんと……?」
さすがにそれは寝耳に水だったのであろう。トリフォノフは目を白黒させた。それでもなんとかお追従の笑みは張り付けているのだったが、こめかみからたらたらと汗が流れ落ちるのがはっきりと見えた。
「私も、最初に聞いた時には驚きました。ですが、事実なのです。あなたの領土内のこともそうです。他の地域の貴族らにもそれぞれに問題はあるようですが、とくにこちらはひどい状況であるとの直々のお達しで。それで、王子である私自身が直接こちらに伺ったという次第です」
ぐう、とトリフォノフがカエルのような声を出した。先ほどから、どんどん顔色が悪くなっている。その巨大な頭の中で必死に考えているのがどういうことか、ユーリには十分わかっていた。事前に玻璃や黒鳶から、この男がどういうタイプの人間であるかをしっかり聞かされてきたからである。
だから、続く伯爵の行動にも、特に驚くことはなかった。
「わかり申した。……でしたら、こちらも相応の応対をさせて頂かねばなりませぬなあ」
トリフォノフはいきなりにかりと気持ちの悪い笑みを浮かべ、さっと立ち上がった。……いや、本人は恐らくそのつもりなのだろうが、実際はさほどでもなかったけれども。
伯爵が太くて短い腕を上げると、応接室の扉と壁に隠されていたらしい回り扉がぐるりと開いた。そこからばらばらと現れたのは、二十名ばかりの武装した兵たちだった。手にはそれぞれ弓を持ち、素早く矢をつがえてキリキリとひきしぼっている。
すべての鏃が狙っているのは、過たずユーリの心臓だった。
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