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第十章 予兆
7 光の庭で
しおりを挟む医務局へは、そこからすぐに移動できた。
すでに玻璃からの連絡が入っているとかで、ユーリたちは即座に鰓手術の事前説明のために建物内部へと案内された。
医務局もまた非常に大きな建物だった。先ほどの《尾鰭開発局》からすると、敷地も建物も十倍ほどはあるようだ。ここで治療する患者以外に、外から通院してくる患者も多いらしい。
今までとは違い、患者らしい家族づれが何組も入り口を行き来しているのが見られた。
ユーリたちを迎えに出て来た医務官たちは、終始慇懃な態度で案内してくれた。例によって、男性もいれば女性もいる。医務官らは通院する患者たちのいるエリアを通り抜けながら様々に説明をしてくれた。
「鰓開発については、こちらとは部門が異なります。先日、アルネリオから訪問された体に障害のある人々についても、こちらで治療・看護をしております」
「え、そうなのですか? だったら……」
ユーリは思わず立ち止まった。
それならもしかすると、先日のあの小さな兄と妹もここで世話になったのだろうか。ユーリが妹の名前を頼りに訊ねると、医務官のひとりがあっさり「恐らくそうでしょう」と頷いた。若い女性の医務官である。
「アーニャという名の、目を患った小さな少女のことでしたら存じております。確か兄の少年もいたはずです」
「そうでしたか! あの子の目はどうなったでしょう」
勢い込んで相手の言葉にかぶせるように尋ねたら、女性はにっこりと微笑んだ。
「はい、問題ありません。配殿下から特に気を付けてやってほしいとのご下命でございましたし、真っ先に問診をして、治療計画を立てさせていただきました」
「あのっ。目……目は、見えるように?」
思わず次々に畳みかけてしまうユーリを、医務官たちはにこにこと見守っている。女性の医務官が頭を下げた。
「ご安心くださいませ。十日ほどの治療で、かなり視力を取り戻しました。ここから少しずつ慣らしてゆけば、通常と同じように物が見えるようになろうかと思います」
「よ、よかった……!」
わがことのように嬉しくて、ユーリはあやうくその場で小躍りしそうになるのをやっと堪えた。
「それで、かれらは今どこに?」
「ふたりの両親が冬場のみの治療を希望しているとのことで一度故国に戻ったのですが、春先の忙しい時期が終わったとかで、最近になってまた来院しております。確か、本日はリハビリの予約が入っていたはずです。今ならまだ、二人とも病棟にいるでしょう」
「え、本当ですか?」
「はい。お会いになるのでしたら、ご案内いたしますが」
ユーリはほとんど飛び上がらんばかりだった。
「うわ、良いのですか? それはぜひ!」
そんなわけで、ユーリたちは一度方向を変え、別の病棟を目指すことになった。
◆
術後の回復を促す施術──「リハビリテーション」を縮めて「リハビリ」と言うらしい──を受けるための病棟は、緑ゆたかな美しい中庭に面した、穏やかな雰囲気の建物だった。大きな窓から明るい光がさんさんと入ってくる、全体に広々とした空間である。
そこここで医務官たちが患者に付き添って働いている。手すりにつかまって歩く練習をしているご老人がいるかと思えば、義手や義足と呼ばれるものを装着して動きの確認をしている患者もいた。
義手や義足はアルネリオにもあるけれど、こちらでは性能が格段に違う。外観も元の手足にそっくりな上に、動きも緻密で脳の命令に細かく従ってくれるらしい。
だが、これは最終的な治療ではないそうだ。そもそも滄海には、手足や内臓などに疾患がある場合、本人の細胞をもとにして代わりの手足や臓器を培養する技術が存在するのだそうだ。義手や義足はそれが出来上がるまでのつなぎに過ぎない。それが出来上がれば、改めて体につなぎあわせる手術を受ける。
(まったく、信じられないな……)
いつもそうだが、滄海の技術力には驚かされてばかりだ。
「配殿下。あちらでございます」
言われて医務官が示した方を見ると、確かに見覚えのある小さな兄妹が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるところだった。
少年は小さな妹の手を握っている。だが、それは明らかに妹が転ばないようにするためではなかった。どうかするとぱっと走りだそうとする、元気いっぱいの妹を引き留めるためだった。
二人とも、以前のひどい姿からすると見違えるほど小ぎれいになっている。こちらでは一般的なものらしい襟のないシャツと膝あたりまでの下穿き姿だ。足もとは見慣れない靴を履いている。確か「運動靴」とか呼ばれるものだ。
何よりもユーリが気になったのは、もちろん少女の目の具合である。以前は開いていても何もものを移していなかった大きな瞳は、いまやしっかりと周囲のものに焦点をあててきらきらと輝いていた。窓の外の花を見つけて歓声をあげ、あちらこちらと指さしてはさかんに兄に話しかけている。
(ああ。よかった……)
ユーリは胸の奥が、そして瞼の裏が熱くなるのを覚えた。
見えているのだ。
彼女にはもう、この世界が見えている!
感に堪えず、立ち止まって兄妹をじっと見つめた。
と、妹を見ていた少年の目がふとこちらを見やって、ぴたりと停止した。
その場に棒立ちになり、こちらを凝視している。
ぱくぱくと口を開け閉めし、「どうしたの?」と見上げてくる妹に手を引かれてぐらりと体が傾ぎ、よろめいた。
「お……王子、さま……?」
「えっ、おーじたま? ほんとう? どこどこ?」
妹のアーニャがきょとんとした目で兄とユーリを見比べるようにしている。
当然だ。彼女はユーリの顔を知らない。
ユーリはにっこり笑って見せた。
「こんにちは。アーニャちゃんの目はだいぶよくなったみたいだね。治療が成功したんだ。本当によかった。おめでとう」
と、アーニャはユーリの言葉の途中でなぜかふっと目を閉じた。それからしばらくじっと耳を澄ませる様子だったが、やがて顔いっぱいの笑顔になって目を開けた。
「ほんとうだ! おーじたまだ。おーじたまの、こえだー!」
言うなりぱっと兄の手を離し、こちらに向かって駆けてくる。そこでやっと少年が我に返った。
「あっ、アーニャ! ダメだってば!」
彼も慌てふためきながらこちらに向かって駆けてくる。
ユーリはその場に片膝をつき、いっぱいの笑みとともに待ち構えた。
みっしりと熱量のつまったふたり子供たちの体が、われ先にと腕の中に飛び込んでくるのを。
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