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第二章 囚われの王子
6 個体 ※※
しおりを挟む「玻璃どの……玻璃どのっ!」
転がるようにして《水槽》のそばに駆け寄ったユーリは、そのまま透明な円柱をばんばん叩いて大声を上げた。
「玻璃どの! ユーリです。玻璃どのおっ!」
見れば彼の体には、ほぼ全身に無数の傷が刻まれていた。逞しい胸にも腹にも、腕にも足にも。皮膚を剥ぎ取られ、酷い場所では下の筋肉が露出している。
(む、惨い……。なんてことを)
場所によっては、もっと鋭く深く切り裂いた痕が見える。そればかりではない。ひどく殴られた痕だろう、顔と言わず体と言わず、全身に青や紫色の痣が広がっていた。恐らくすべて、背後の男の仕業だろう。
ただしそれら暴虐は、すべて巧妙に太い血管や急所を避けて与えられているようだった。意図的な虐待であることは明らかだ。
捕らえられて以降、身づくろいなどまったくできないからだろう、彼の顎にはうっすらと無精髭が生えている。だが、たとえそうであっても彼の魅力や品位が損なわれることはなかった。むしろひどく男くさくなり、ユーリの目には逆に色気が増しているようにすら見える。
傷口のあちこちには、ぷくぷくと細かい泡が付着して、時折ぷかりと浮かんでは消えていく。もしかして、これは治癒されているのだろうか。この《筒》にはそういう機能があるのだろうか。
きっとそうだ。彼がいま死んでしまっては、この男だって困るのだから。だが、だとしたらこの暴虐は、ほとんどこの男の愉しみのためだけに行われたのだ。無慈悲に、また理不尽に。
(ひどい……。ひどすぎる)
ユーリの目に涙があふれた。ずるずるとその場に膝をつき、《筒》に取りつく。
「目を……開けてください。玻璃どの……」
声は歪んで、頬から顎へと熱いものが滴り落ちた。
「来たのですよ……。ユーリが、参ったのですよ? あなたの、おそばに──」
が、声も虚しく、玻璃は目を固く閉じたまま微動だにしなかった。
ユーリは唇を噛んだ。
(こんな──)
彼自身に触れられるわけでもないのに、手のひらで何度も円柱の表面をそっと撫でる。できれば自分の手で、玻璃の傷を癒そうとするかのように。
「どうして……こんなことを。あんまりです。玻璃どのが、あなたに何をしたというのです」
どうしても声が震え、詰る色を隠すことは難しかった。が、男は皮肉げに口の端を歪め、顎を上げてせせら笑っただけだった。
「『何をした』? ……『何をした』か。ふん、面白い」
その声には、明らかに侮蔑的な色が含まれている。
「なにが……面白いのです!」
思わず声を荒らげてしまう。だが、目を上げたら男の冷徹な瞳とまともにかち合い、ぎくりと口を閉ざした。
真っ青になっているだろうユーリの表情を余さず観察するような目をして──そう、それはまさに虫篭の中の虫でも観察するような目だった──男はゆっくりと筒の周囲を歩き始めた。
「そうだな。この『個体』が何をしたかと訊かれれば、確かに何もしていないのかも知れん。いい意味でも、悪い意味でもな」
意味不明な単語が耳に入ってきて、ユーリはただ呆然とする。
「こ……個体?」
「そうだ。なかなかお前の名前や関係を答えようとしなかったのでな。多少の『おしおき』はしたわけだが。……そういうことじゃないんだよ。悪いがな」
「お、おしおきって──」
あまりの単語に、二の句が継げない。
ということは、玻璃はしばらくユーリの出自を明かすまいとして頑張ってくれたのか。それでこんな目に遭ったというのか。
(なんてことだ──)
どうせ滄海に連絡すれば、そんなものすぐにも知れてしまうのに。事実、即座に自分が呼ばれたではないか。この人はそんな無駄なことのために、こんなに体を傷つけられていたというのか。こんな所で、たったひとりで。
男はユーリの内面になどまったく頓着する風もなく、好きなように言葉を継いでいる。
「髪や目や、肌の色が違っていても。お前らは全体で『人間』というひとつのまとまったイキモノだ。集団で社会をつくりあげ、支配階級が意思決定をし、色んなくだらん内輪モメがあったとしても、基本的には全体で行動する。その反面、無人島や宇宙で文字通りたった一匹にされてしまえば、子孫を為すこともできず、生き延びることすら難しい」
いかにも、故意にゆっくりとしゃべっている様子だった。が、それはユーリのために言葉を選んでいると言うよりは、自分の考えをもう一度しっかりと認識しなおし、自分自身に言い聞かせるためのようにも見えた。
「表向きは理性的に、科学的に、また法的に考えたという形はとる。だがそれは、飽くまでも便宜上のことだ。意思決定は、しばしば大いに感情的なものを動機に行われる。ゆえに間違いも非常に多い。きちんとした検証もせず、その場の、ニンゲンという種としての欲求に素直に従いすぎたがゆえの間違いだ。非常に大きな過ちさ。……俺たちにとってはな」
「お、『俺たち』……?」
が男はユーリの質問に答える気はないようだった。しばらく黙って、筒の周囲を歩くばかりだ。
(『俺たち』というのは、一体……)
それが単に「俺」ではなくて、複数形であることが気になった。少なくともこの船にはこの男しかいないように思われる。だがこの口ぶりからすると、どこかに他の仲間がいるのかもしれない。だとしたらこの男ひとりを出し抜いて玻璃を助けようとしても、そいつに邪魔されるかも知れないのだ。それは重要な情報だった。
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