ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第二章 囚われの王子

15 懊悩

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《では、なにか酷いことはされなかったのだな、ユーリ。まことだな》
《はい。誓って》

 何度も念押しをされ、ユーリはその都度つどうなずいた。
 ユーリは今、《水槽》の部屋で玻璃のそばに座り込んでいる。玻璃は、あの「散歩」の途中から連絡をよこさなくなったユーリのことを非常に心配しながら待ってくれていた。
 そんな玻璃には悪いけれども、それは無用の心配だった。単に船内が広くて距離が空きすぎ、通信が不可能になっただけなのだ。

 子供の映像を見た部屋を出ると、あの男は急に無口になった。なんとなく覇気がなくなり、表情もひどく暗く沈んでしまって、逆に心配になったほどだ。いや、元気があったらあったでまた楽しそうにいたぶられるだけなのだから、それはそれで困るけれど。
 男は来た時と同じように一方的にユーリを引っ張り、黙ってもとの《水槽》の部屋に戻った。何を考え込んでいるのか、足の運びが幾分のろくなっていたので、行きよりは少し楽だった。その後はぷいと部屋を出て、あとは一向に顔を見せない。何をやっているものか、それから今までずっとほったらかされた状態だ。
 玻璃は《水槽》の中で腕組みをし、無精髭ののびた顎に手を当てている。

《なるほど。かつてこの船に、あの男の双子の弟がいたと》
《はい。他に、本物の人間が百人ばかりいたようですが》
《いまここにそれらの者がおらぬということは……。やはり、死んだということなのだろうな》
《……恐らくは》

 ユーリはやるせない気持ちになって目線を落とした。
 あんな恐ろしい生き物のことを、簡単に「可哀想に」などとは思えない。あれは恐るべき殺人者だ。事実、滄海わだつみで玻璃を拉致するときには、側にいた数名をあっというまに惨殺したというではないか。まさに、虫でも殺すように呆気なく。
 あれは簡単に気を許していいような相手ではない。ましてや、安易にあわれみを覚えるなんて。

(でも……)

 もしも、玻璃の予想が事実なら。
 彼にまったく同情や憐憫れんびんを覚えずにいる、というわけにもいかなくなる。

 あの映像にうつっていた少年時代の男は、心から幸せそうに見えた。あの愛らしい弟と、人間の子供と変わらぬ他愛のない遊びに興じ、助けあい、いたわりあいながら育ったのだろう。それはあの映像を見るだけでも十分に想像できた。
 どういう事情なのかは分からないが、少なくともあの子供の姿のアジュールに、人類に対する底しれない怨恨があるようには見えなかった。

 だとしたら、その後に起こった何ごとかがあの男を変えたのだ。
 それはいったい、何なのか。

(ああ。……嫌な予感しかしない)

 ユーリは頭を抱えて《水槽》のすぐ脇にうずくまった。
 百人あまりもいた人間たち。そして恐らく人間ではない、美貌の双子の兄弟たち。
 彼らに何かがあって、弟の少年が死んだのだとしたら。
 あの優しい笑顔をうかべる金髪の少年が、人間に牙をむいたとはちょっと想像しにくい。となると、本当にいやな結論、怖気おぞけをふるうような結論しか見えないではないか。

(もし……もしも、そうなんだったら)

 恐らくその弟に声がそっくりなのだろう自分は、彼から何を求められているのだろう。自分にできることは何だろうか? それで、玻璃どのを本当にお助けできるのだろうか。
 こんな、なんの取り柄もない自分に。

 頭を抱え込んで膝を抱え、ますます小さくなってうずくまる。無意識に玻璃のいる《筒》に身を寄せて肩をくっつけた。玻璃もすぐそばに座ってくれている。
 彼と直接触れ合うことはできないけれど、そのぶんユーリは日常的にこの《水槽》にくっついていることが多くなっている。分厚い筒の壁面を通して彼の体温を感じることは不可能だったけれど、それでも起きれば手を触れさせ、頬や額、ときには唇をくっつけている。
 玻璃もそれに応じるように、同じように手や額を同じ場所に触れさせてくれていた。朝と夜には、優しいキスを。

《おはようございます、玻璃どの》
《おはよう、ユーリ》

 ただそうしてくれるだけで、どれだけユーリが日々の勇気をもらっているか分からなかった。
 船内では時間の進行がよくわからず、太陽の動きで日数を知ることもできなかった。それでユーリは、試しに《サム》にお願いした。六時間ごとに時間の経過を知らせてもらうこと。そして、この部屋の中だけは十二時間ごとに部屋の明るさを変えてもらうことだ。
 《サム》は予想以上に簡単に「了解いたしました」と言ってくれ、ユーリも玻璃もほっとしたのだった。

《できれば昼間に明るく、夜に暗く。明るいうちに動いて、夜になれば眠る。そうしたもとの生活リズムもなるべく崩さない方がいい》

 そう助言してくれたのは玻璃だった。
 ただぼうっと虜囚としての生活をしていたら、だんだん人間としての理性までおかされて、やがて生きる力そのものを失っていく。メンタルまでが、本物の「飼い犬」になり下がっていく。玻璃はなにより、ユーリの心と身体の健康を心配してくれていたのだ。
 と、頭のなかに優しく低い声が響いた。

《ユーリ。そろそろ食事を摂ったらどうだ》
《……いえ。いまは要りませんので》

 実際、ずっとあまり食欲はなかった。これからのことを考えれば考えるほど、きりきりと鳩尾のあたりが痛むばかりで食欲なんて霧散してしまうのだ。必要に迫られて水分を摂る以外の欲求はほとんど湧かない。それが正直なところだった。
 が、玻璃はややため息まじりに言った。

《ダメだ。そう言って、朝の食事も摂らなかったではないか。そんなことでは身がもたぬぞ》

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