ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第三章 宇宙の涯(はて)で

16 アジュールパパ

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「あ、あああ……。ごめん、ごめんね? 急に大きな声を出して」

 ユーリは慌てて、泣きわめく幼児を抱え直し、背中をやさしく叩いてやった。

「びっくりしたね。よしよし、泣かないで?」
 幼児はまだしゃくりあげながら、ユーリの首元にしがみつくようにしてくる。小さな手が必死で自分を求めてくれる姿に、思わず胸がつまった。
「驚いたね。みんな怖い顔をしてるもんね。ごめんね? もう大丈夫だから」
「あう……うー」
 幼子は涙がいっぱい溜まった目をあげて、じっとユーリの顔を見上げてきた。
「おむつは大丈夫かな。喉も渇いたよね? なにか飲もうか。なにがいいかな……」

 そっとフランを揺すり上げて抱き直し、ユーリは食事提供機能のある部屋に向かってゆっくりと歩き出した。
 《水槽》の壁を挟んでにらみ合っていた男二人は、なんとなく気を呑まれたような顔をしてそんなユーリをしばらく見送った。が、すぐにアジュールがこちらへやってきた。

「いい。俺がやる」
「あ、そうですか?」

 言って素直に彼にフランを渡そうとしたのだったが、いかんせん、本人がそれを拒否した。ぎゅっとユーリの服の胸元を掴んでしがみついてくる。思いのほか強い力だった。いかにも「あの人はイヤ。こわい」と言うような目をして、じっとアジュールを見つめている。
 アジュールの眉間に皺が寄った。
 ユーリはまた変な動悸を覚えて困り果てた。

「……あ、あのう」
「いい。任せる」

 ぶっきらぼうにそう言うと、アジュールは踵を返して大股に玻璃の元に戻り、どすんと座り込んで胡坐をかいた。心持ち、ぶすっとした顔に見える。
 もしかして、拗ねたのだろうか。だとしたら、ちょっと可愛い。

(いやいや。何を考えているんだ、私は)

 こんな恐ろしい人外の生き物を、言うに事欠いて「可愛い」などと。

(とにかく。玻璃殿だけが犠牲になるようなこと、絶対に許してはいけない。たとえやむなくそうなったとしても、私だけはお傍を離れないようにしなくては)

 ぎゅっと唇を噛んで決意する。その顔がまた強張っていたからなのか、腕の中から曇りのないみどりの瞳でじいっとユーリを見上げていたフランが、なにかもぐもぐ言い出した。

「……っぱ。う、り……っぱ」
「え?」

 足を止めて、幼子の顔を覗きこむ。見れば《水槽》のそばにいたアジュールも、中にいる玻璃も、驚いた目をしてこちらを見ていた。

「ぱ、っぱ。うーり、ぱっぱ」
「えええっ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまって、フランはまたびくっと固まった。
「あっ、ごめん……。お、怒ったんじゃないんだよ?」
 ユーリは慌てて笑みを浮かべて見せた。
「あの、フラン……でも、もしかして、もしかしてだけど……。いま、『ユーリパパ』って言ってくれたの……?」

 恐るおそるそう訊いてみたら、幼子はもう太陽が輝くような笑顔になった。その場にぱっと大輪の花が咲いたようだった。
 幼子は小さな可愛らしい指をひょいと上げて、ユーリの鼻先につきつけた。

「ぱっぱ!」
「うわあ! フラン、賢いなあ! さすがはアジュ―ルの子だね。いや、やっぱり第一世代だからなのかな?」
「こらあ!」

 突然、アジュールが立ち上がって、猛然とこちらへやって来た。ユーリはびっくりして思わずフランを庇うように背中を向けた。どすどす地響きをたててやってきたアジュールは、ユーリの腕の中の子を覗き込んだ。おっそろしい形相である。
 命の危険を感じて、ユーリは自分の顔から血の気が引く音を聞いた気がした。
 しかし。

「なんでだ……?」
「へ?」

 滝の汗をかきながらそっと振り返ったら、アジュールはなんとも情けない顔をしているように見えた。いつもはきりりとつり上がっている形のいい眉が、滄海の漢字で「八」の形になっている。

「なんで……こいつが先なんだ?」
「あ、あの……アジュール? 怖がって、また泣いちゃうといけないから──」
 が、男はユーリのことなど完全に無視した。
「どうしてだっ! 俺が、俺のほうが生まれてからずっとずっと、お前の世話しているじゃないか!」
 フランは特に泣く様子はなかったが、まんまるな目をして黙って男を凝視している。
「俺は? フラン。なあ、俺のことも呼んでみろよ。ほら」

 自分の胸に手を当ててそう言いながら、ぐいぐいフランに顔を近づけてくる。
 必死すぎる。

「ぶはっ」

 ユーリは思わずフランの肩のところに顔をうずめて吹き出した。が、すぐに「しまった」と青ざめる。見れば思った通り、アジュールが殺しそうな目でユーリを睨みつけていた。

「……お前。本当に死にたいのか」
「いっ、いえ。いえいえいえ!」

 ぶんぶん首を横に振る。
 怖い。目が本気すぎる。
 と、腕の中から可愛らしい声がした。

「あ、……あじゅ。あじゅ、ぱっぱ」

 見ればちいさな人差し指が、はっきりと男のほうへ向けられていた。

(……うわ)

 男の顔といったらなかった。
 ……雪崩なだれをうっている。
 まさに、雪崩なだれをうっている!
 美形なのに!
 実はいい男なのに!

「あ……の。アジュール──」

 ユーリはやっぱり滝汗をかきながら、玻璃の視線を彼に教えようとした。玻璃はと言えば《水槽》の中でとっくにこちらに背中を向けて爆笑している。いや、それを必死に堪えようとして、広い肩がぶるぶる震えているのがわかった。

(まったくもう! 玻璃どのったら)

 脳内で玻璃に呆れかえっているうちに、男は崩れきった顔のままユーリの手から幼子を取り上げていた。

「そうか、そうか! 俺のことはもう、とっくに『パパ呼び』してたんだな? そうだな? こいつよりもずうっと前に。そうだ、そうに決まってる。お前はとても賢い子供なんだからな!」

 鼻歌でもでそうなほどの上機嫌。そのままいそいそと部屋から出ていく。
 玻璃とユーリはもはや呆然とその後ろ姿を見送った。
 彼の姿がすっかり見えなくなってから、思わず目を見合わせる。

「……ぶはっ」

 同時に吹き出した。
 玻璃は《水槽》の中で。ユーリはそばの床の上で。
 お互い涙を流さんばかり。
 腹を抱え、床を叩き、転げまわってバカ笑いした。
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