155 / 195
第四章 宇宙のゆりかご
2 わがまま
しおりを挟む
《だが。ひとつだけ、承服しかねることがある。……ちょっとわがままを言ってもいいか? ユーリ》
「え?」
びっくりして筐体の表面から額を離し、玻璃を見ると、彼はいつになく不満げな顔で腕組みをし、ひたとユーリを見つめていた。
真摯な眼差しをうけて、ユーリはついびくびくする。
「な……なんでしょうか?」
《どうもな……。その、子供じみていて言いにくいのだが》
「え? 玻璃殿が? まさか──」
《いや。そのまさかなのだ》
玻璃はややおどけた様子で肩をすくめて見せた。
なんだろう。何かお心に掛かっていることがおありなら、どんなことでも言って欲しいし、して差し上げたいが。
「なんでしょう。なんでもおっしゃってくださいませ。私にできることでしたら──」
《それ! それよ》
「……は?」
ちょいと鼻先に指を指されて、言葉につまった。
《いくらあやつに脅されているからとは言え。俺ですらまだなのに、そなたがあやつとこうも親密に会話をするのが、どうもな──》
「は? いえ、決して親密などでは……ないと思いますが」
《本当か? 敬語も抜き、敬称も抜きで、いかにもざっくばらんに話すではないか。まるで本物の恋人か夫婦のように》
「こっ、こいび……!?」
《子供ができてからというものは、むしろ非常に楽しそうにすら見えるのだが?》
「楽しそうって……! いや、あのですね──」
ユーリは慌てた。
だって、それは仕方がないではないか。玻璃の命を盾に「敬語はやめろ」「俺のことは呼び捨てにせよ」「『君』と呼べ」などなど、さんざんうるさくこと細かに指定されたのだから。
もしかして、玻璃はそれが不満だったのだろうか。
だったらちょっと、ひどくないか。
だんだん悲しくなってきてユーリが俯いたら、玻璃は慌てたように両手をあげた。
《ああ、いやいや! そなたを責めているのではないぞ》
「でも……」
《そうではないのだ。どうか、聞いてくれぬか》
ユーリが気を取り直して顔を上げると、玻璃はやっぱり少し困ったような目をしていた。
《だから、だな。それならそなた、俺のことも、『玻璃』と呼ばぬか? 下々の者と同席の場合には難しかろうが、二人きりのときは『君』と『僕』でもよいではないか。むしろそのほうが、俺は嬉しい》
「えっ……えええ?」
玻璃はにやりと口角を引き上げた。
《そら、どうだ。大人げなかろう? そうは見えなかったかも知れぬが、これでも一人前に妬いているのさ。俺とて男の端くれなのでな》
「はあああ?」
ユーリはもう驚くやら呆れるやらだ。《水槽》の中でいつもと変わらずにこにこしているだけに見える玻璃を、つい凝視してしまう。
この人が、自分に嫉妬?
そんなことが本当にあるのだろうか?
《そらそら。早速、呼んでみてくれぬか。『玻璃』と》
「い、いえ。そんな、急に言われても──」
しどろもどろになって目線をあちこちへ泳がせていたら、目の前でぎゅっと紫水晶の瞳に睨まれてしまった。
《こら。あやつを呼べて、俺は呼べぬと? そなたは俺の唯一無二の配殿下ではなかったのか?》
「いや。そっ、そうですけども!」
《だったら、さあ。さあさあさあ》
「あ、あのですねえ……!」
そんなやりとりを何度か繰り返した挙げ句。
しまいにユーリも真っ赤になって根負けした。
完全にうつむいて両手で顔を隠し、小さな小さな声で、お望みの通りに呼んで差し上げたのだ。
「は、……玻璃」と。
途端、玻璃が破顔した。
《うむ! よくできた。愛しておるぞ、ユーリ》
「もうっ! ぼ、僕もでっ……だよ。玻璃──」
だだっ広い空間で、一人真っ赤になって《水槽》に向かって囁く。
玻璃が海の王者よろしく、長髪を緑の液体に遊ばせながらにこにこと満足げに微笑んでいた。
◆
そこからさらに、フランはどんどん成長した。
片言で舌足らずだった言葉もすぐに滑らかになり、「ゆーぱっぱ」だったものが「ユーリパパ」に、「あじゅぱっぱ」が「アジュールパパ」になった。そこまでに、ほんの十日程度しかかからなかった。
《水槽》の中にいる玻璃については、危うく「ちょうはつごりら」が定着しそうになったので、ユーリが慌てて修正した。もちろん子供に悪意なんてかけらもなかった。「ゴリラ」の意味もよくわからないまま、単にあの口の悪い父親を真似しただけのことである。
「この方は『玻璃どの』だよ。そうお呼びしようね。『皇太子殿下』でも構わないけど、それだと君にはまだ呼びにくいだろうから」
「『はりどの』?」
「そうだよ。今度、漢字も教えてあげようね」
「カンジ? カンジってなあに」
「玻璃殿と僕のいた滄海の文字のこと。僕も最近習ったばかりだから、まだ難しいんだけどね」
「『ワダツミ』ってなあに?」
「地球の、海の中にある大きな国の名前だよ。玻璃殿は、そこの皇子さまなんだ」
「へー! うみのなか? うみってなあに。『ワダツミ』ってどんな国?」
少年の興味は四方八方に枝を伸ばして豊かに葉を茂らせ、まことに果てというものを知らなかった。ユーリと玻璃が自分の知る範囲であれこれと子供にわかる範囲でかみ砕いて説明してやると、少年の瞳は素直な憧れをいっぱい載せてきらきらときらめいた。
「ああ、いいなあ。うみには、おさかながいっぱいいるんだ。そうなんでしょう? 地球は《サム》に見せてもらったよ。とってもきれいなあおい星だね。アジュールパパの目の色みたい」
「……ああ、うん。そうだね」
「ユーリパパの目も、青くてきれい! でも、アジュールパパとはちょっとちがうね」
「うん。そうかな?」
「うん! ユーリパパの目、ぼく、だーいすき」
「ありがとう。僕もフランの若葉色の綺麗な目、だーいすきだよ」
「ほんとう? わあい!」
少年は綺麗な瞳をくるくるさせ、両足をぱたぱたさせてユーリの膝にしがみつき、甘えている。かなりの甘えん坊なのだ。今は子供用のかぶりのシャツと膝までのゆったりした下穿き姿である。とっくにおむつは外れていた。
活発で賢くて好奇心旺盛だけれど、決して暴力的だったり、意地が悪かったりという面がない。折々にちょっとしたわがままは言うけれども、それも十分、可愛いと思える範囲だ。
そう。なんだかもう、食べてしまいたいぐらいに可愛い。
放っておいても自然に湧いてくるこの気持ちばかりは、ユーリ自身にもどうしようもなかった。
「え?」
びっくりして筐体の表面から額を離し、玻璃を見ると、彼はいつになく不満げな顔で腕組みをし、ひたとユーリを見つめていた。
真摯な眼差しをうけて、ユーリはついびくびくする。
「な……なんでしょうか?」
《どうもな……。その、子供じみていて言いにくいのだが》
「え? 玻璃殿が? まさか──」
《いや。そのまさかなのだ》
玻璃はややおどけた様子で肩をすくめて見せた。
なんだろう。何かお心に掛かっていることがおありなら、どんなことでも言って欲しいし、して差し上げたいが。
「なんでしょう。なんでもおっしゃってくださいませ。私にできることでしたら──」
《それ! それよ》
「……は?」
ちょいと鼻先に指を指されて、言葉につまった。
《いくらあやつに脅されているからとは言え。俺ですらまだなのに、そなたがあやつとこうも親密に会話をするのが、どうもな──》
「は? いえ、決して親密などでは……ないと思いますが」
《本当か? 敬語も抜き、敬称も抜きで、いかにもざっくばらんに話すではないか。まるで本物の恋人か夫婦のように》
「こっ、こいび……!?」
《子供ができてからというものは、むしろ非常に楽しそうにすら見えるのだが?》
「楽しそうって……! いや、あのですね──」
ユーリは慌てた。
だって、それは仕方がないではないか。玻璃の命を盾に「敬語はやめろ」「俺のことは呼び捨てにせよ」「『君』と呼べ」などなど、さんざんうるさくこと細かに指定されたのだから。
もしかして、玻璃はそれが不満だったのだろうか。
だったらちょっと、ひどくないか。
だんだん悲しくなってきてユーリが俯いたら、玻璃は慌てたように両手をあげた。
《ああ、いやいや! そなたを責めているのではないぞ》
「でも……」
《そうではないのだ。どうか、聞いてくれぬか》
ユーリが気を取り直して顔を上げると、玻璃はやっぱり少し困ったような目をしていた。
《だから、だな。それならそなた、俺のことも、『玻璃』と呼ばぬか? 下々の者と同席の場合には難しかろうが、二人きりのときは『君』と『僕』でもよいではないか。むしろそのほうが、俺は嬉しい》
「えっ……えええ?」
玻璃はにやりと口角を引き上げた。
《そら、どうだ。大人げなかろう? そうは見えなかったかも知れぬが、これでも一人前に妬いているのさ。俺とて男の端くれなのでな》
「はあああ?」
ユーリはもう驚くやら呆れるやらだ。《水槽》の中でいつもと変わらずにこにこしているだけに見える玻璃を、つい凝視してしまう。
この人が、自分に嫉妬?
そんなことが本当にあるのだろうか?
《そらそら。早速、呼んでみてくれぬか。『玻璃』と》
「い、いえ。そんな、急に言われても──」
しどろもどろになって目線をあちこちへ泳がせていたら、目の前でぎゅっと紫水晶の瞳に睨まれてしまった。
《こら。あやつを呼べて、俺は呼べぬと? そなたは俺の唯一無二の配殿下ではなかったのか?》
「いや。そっ、そうですけども!」
《だったら、さあ。さあさあさあ》
「あ、あのですねえ……!」
そんなやりとりを何度か繰り返した挙げ句。
しまいにユーリも真っ赤になって根負けした。
完全にうつむいて両手で顔を隠し、小さな小さな声で、お望みの通りに呼んで差し上げたのだ。
「は、……玻璃」と。
途端、玻璃が破顔した。
《うむ! よくできた。愛しておるぞ、ユーリ》
「もうっ! ぼ、僕もでっ……だよ。玻璃──」
だだっ広い空間で、一人真っ赤になって《水槽》に向かって囁く。
玻璃が海の王者よろしく、長髪を緑の液体に遊ばせながらにこにこと満足げに微笑んでいた。
◆
そこからさらに、フランはどんどん成長した。
片言で舌足らずだった言葉もすぐに滑らかになり、「ゆーぱっぱ」だったものが「ユーリパパ」に、「あじゅぱっぱ」が「アジュールパパ」になった。そこまでに、ほんの十日程度しかかからなかった。
《水槽》の中にいる玻璃については、危うく「ちょうはつごりら」が定着しそうになったので、ユーリが慌てて修正した。もちろん子供に悪意なんてかけらもなかった。「ゴリラ」の意味もよくわからないまま、単にあの口の悪い父親を真似しただけのことである。
「この方は『玻璃どの』だよ。そうお呼びしようね。『皇太子殿下』でも構わないけど、それだと君にはまだ呼びにくいだろうから」
「『はりどの』?」
「そうだよ。今度、漢字も教えてあげようね」
「カンジ? カンジってなあに」
「玻璃殿と僕のいた滄海の文字のこと。僕も最近習ったばかりだから、まだ難しいんだけどね」
「『ワダツミ』ってなあに?」
「地球の、海の中にある大きな国の名前だよ。玻璃殿は、そこの皇子さまなんだ」
「へー! うみのなか? うみってなあに。『ワダツミ』ってどんな国?」
少年の興味は四方八方に枝を伸ばして豊かに葉を茂らせ、まことに果てというものを知らなかった。ユーリと玻璃が自分の知る範囲であれこれと子供にわかる範囲でかみ砕いて説明してやると、少年の瞳は素直な憧れをいっぱい載せてきらきらときらめいた。
「ああ、いいなあ。うみには、おさかながいっぱいいるんだ。そうなんでしょう? 地球は《サム》に見せてもらったよ。とってもきれいなあおい星だね。アジュールパパの目の色みたい」
「……ああ、うん。そうだね」
「ユーリパパの目も、青くてきれい! でも、アジュールパパとはちょっとちがうね」
「うん。そうかな?」
「うん! ユーリパパの目、ぼく、だーいすき」
「ありがとう。僕もフランの若葉色の綺麗な目、だーいすきだよ」
「ほんとう? わあい!」
少年は綺麗な瞳をくるくるさせ、両足をぱたぱたさせてユーリの膝にしがみつき、甘えている。かなりの甘えん坊なのだ。今は子供用のかぶりのシャツと膝までのゆったりした下穿き姿である。とっくにおむつは外れていた。
活発で賢くて好奇心旺盛だけれど、決して暴力的だったり、意地が悪かったりという面がない。折々にちょっとしたわがままは言うけれども、それも十分、可愛いと思える範囲だ。
そう。なんだかもう、食べてしまいたいぐらいに可愛い。
放っておいても自然に湧いてくるこの気持ちばかりは、ユーリ自身にもどうしようもなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる