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第四章 宇宙のゆりかご
2 わがまま
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《だが。ひとつだけ、承服しかねることがある。……ちょっとわがままを言ってもいいか? ユーリ》
「え?」
びっくりして筐体の表面から額を離し、玻璃を見ると、彼はいつになく不満げな顔で腕組みをし、ひたとユーリを見つめていた。
真摯な眼差しをうけて、ユーリはついびくびくする。
「な……なんでしょうか?」
《どうもな……。その、子供じみていて言いにくいのだが》
「え? 玻璃殿が? まさか──」
《いや。そのまさかなのだ》
玻璃はややおどけた様子で肩をすくめて見せた。
なんだろう。何かお心に掛かっていることがおありなら、どんなことでも言って欲しいし、して差し上げたいが。
「なんでしょう。なんでもおっしゃってくださいませ。私にできることでしたら──」
《それ! それよ》
「……は?」
ちょいと鼻先に指を指されて、言葉につまった。
《いくらあやつに脅されているからとは言え。俺ですらまだなのに、そなたがあやつとこうも親密に会話をするのが、どうもな──》
「は? いえ、決して親密などでは……ないと思いますが」
《本当か? 敬語も抜き、敬称も抜きで、いかにもざっくばらんに話すではないか。まるで本物の恋人か夫婦のように》
「こっ、こいび……!?」
《子供ができてからというものは、むしろ非常に楽しそうにすら見えるのだが?》
「楽しそうって……! いや、あのですね──」
ユーリは慌てた。
だって、それは仕方がないではないか。玻璃の命を盾に「敬語はやめろ」「俺のことは呼び捨てにせよ」「『君』と呼べ」などなど、さんざんうるさくこと細かに指定されたのだから。
もしかして、玻璃はそれが不満だったのだろうか。
だったらちょっと、ひどくないか。
だんだん悲しくなってきてユーリが俯いたら、玻璃は慌てたように両手をあげた。
《ああ、いやいや! そなたを責めているのではないぞ》
「でも……」
《そうではないのだ。どうか、聞いてくれぬか》
ユーリが気を取り直して顔を上げると、玻璃はやっぱり少し困ったような目をしていた。
《だから、だな。それならそなた、俺のことも、『玻璃』と呼ばぬか? 下々の者と同席の場合には難しかろうが、二人きりのときは『君』と『僕』でもよいではないか。むしろそのほうが、俺は嬉しい》
「えっ……えええ?」
玻璃はにやりと口角を引き上げた。
《そら、どうだ。大人げなかろう? そうは見えなかったかも知れぬが、これでも一人前に妬いているのさ。俺とて男の端くれなのでな》
「はあああ?」
ユーリはもう驚くやら呆れるやらだ。《水槽》の中でいつもと変わらずにこにこしているだけに見える玻璃を、つい凝視してしまう。
この人が、自分に嫉妬?
そんなことが本当にあるのだろうか?
《そらそら。早速、呼んでみてくれぬか。『玻璃』と》
「い、いえ。そんな、急に言われても──」
しどろもどろになって目線をあちこちへ泳がせていたら、目の前でぎゅっと紫水晶の瞳に睨まれてしまった。
《こら。あやつを呼べて、俺は呼べぬと? そなたは俺の唯一無二の配殿下ではなかったのか?》
「いや。そっ、そうですけども!」
《だったら、さあ。さあさあさあ》
「あ、あのですねえ……!」
そんなやりとりを何度か繰り返した挙げ句。
しまいにユーリも真っ赤になって根負けした。
完全にうつむいて両手で顔を隠し、小さな小さな声で、お望みの通りに呼んで差し上げたのだ。
「は、……玻璃」と。
途端、玻璃が破顔した。
《うむ! よくできた。愛しておるぞ、ユーリ》
「もうっ! ぼ、僕もでっ……だよ。玻璃──」
だだっ広い空間で、一人真っ赤になって《水槽》に向かって囁く。
玻璃が海の王者よろしく、長髪を緑の液体に遊ばせながらにこにこと満足げに微笑んでいた。
◆
そこからさらに、フランはどんどん成長した。
片言で舌足らずだった言葉もすぐに滑らかになり、「ゆーぱっぱ」だったものが「ユーリパパ」に、「あじゅぱっぱ」が「アジュールパパ」になった。そこまでに、ほんの十日程度しかかからなかった。
《水槽》の中にいる玻璃については、危うく「ちょうはつごりら」が定着しそうになったので、ユーリが慌てて修正した。もちろん子供に悪意なんてかけらもなかった。「ゴリラ」の意味もよくわからないまま、単にあの口の悪い父親を真似しただけのことである。
「この方は『玻璃どの』だよ。そうお呼びしようね。『皇太子殿下』でも構わないけど、それだと君にはまだ呼びにくいだろうから」
「『はりどの』?」
「そうだよ。今度、漢字も教えてあげようね」
「カンジ? カンジってなあに」
「玻璃殿と僕のいた滄海の文字のこと。僕も最近習ったばかりだから、まだ難しいんだけどね」
「『ワダツミ』ってなあに?」
「地球の、海の中にある大きな国の名前だよ。玻璃殿は、そこの皇子さまなんだ」
「へー! うみのなか? うみってなあに。『ワダツミ』ってどんな国?」
少年の興味は四方八方に枝を伸ばして豊かに葉を茂らせ、まことに果てというものを知らなかった。ユーリと玻璃が自分の知る範囲であれこれと子供にわかる範囲でかみ砕いて説明してやると、少年の瞳は素直な憧れをいっぱい載せてきらきらときらめいた。
「ああ、いいなあ。うみには、おさかながいっぱいいるんだ。そうなんでしょう? 地球は《サム》に見せてもらったよ。とってもきれいなあおい星だね。アジュールパパの目の色みたい」
「……ああ、うん。そうだね」
「ユーリパパの目も、青くてきれい! でも、アジュールパパとはちょっとちがうね」
「うん。そうかな?」
「うん! ユーリパパの目、ぼく、だーいすき」
「ありがとう。僕もフランの若葉色の綺麗な目、だーいすきだよ」
「ほんとう? わあい!」
少年は綺麗な瞳をくるくるさせ、両足をぱたぱたさせてユーリの膝にしがみつき、甘えている。かなりの甘えん坊なのだ。今は子供用のかぶりのシャツと膝までのゆったりした下穿き姿である。とっくにおむつは外れていた。
活発で賢くて好奇心旺盛だけれど、決して暴力的だったり、意地が悪かったりという面がない。折々にちょっとしたわがままは言うけれども、それも十分、可愛いと思える範囲だ。
そう。なんだかもう、食べてしまいたいぐらいに可愛い。
放っておいても自然に湧いてくるこの気持ちばかりは、ユーリ自身にもどうしようもなかった。
「え?」
びっくりして筐体の表面から額を離し、玻璃を見ると、彼はいつになく不満げな顔で腕組みをし、ひたとユーリを見つめていた。
真摯な眼差しをうけて、ユーリはついびくびくする。
「な……なんでしょうか?」
《どうもな……。その、子供じみていて言いにくいのだが》
「え? 玻璃殿が? まさか──」
《いや。そのまさかなのだ》
玻璃はややおどけた様子で肩をすくめて見せた。
なんだろう。何かお心に掛かっていることがおありなら、どんなことでも言って欲しいし、して差し上げたいが。
「なんでしょう。なんでもおっしゃってくださいませ。私にできることでしたら──」
《それ! それよ》
「……は?」
ちょいと鼻先に指を指されて、言葉につまった。
《いくらあやつに脅されているからとは言え。俺ですらまだなのに、そなたがあやつとこうも親密に会話をするのが、どうもな──》
「は? いえ、決して親密などでは……ないと思いますが」
《本当か? 敬語も抜き、敬称も抜きで、いかにもざっくばらんに話すではないか。まるで本物の恋人か夫婦のように》
「こっ、こいび……!?」
《子供ができてからというものは、むしろ非常に楽しそうにすら見えるのだが?》
「楽しそうって……! いや、あのですね──」
ユーリは慌てた。
だって、それは仕方がないではないか。玻璃の命を盾に「敬語はやめろ」「俺のことは呼び捨てにせよ」「『君』と呼べ」などなど、さんざんうるさくこと細かに指定されたのだから。
もしかして、玻璃はそれが不満だったのだろうか。
だったらちょっと、ひどくないか。
だんだん悲しくなってきてユーリが俯いたら、玻璃は慌てたように両手をあげた。
《ああ、いやいや! そなたを責めているのではないぞ》
「でも……」
《そうではないのだ。どうか、聞いてくれぬか》
ユーリが気を取り直して顔を上げると、玻璃はやっぱり少し困ったような目をしていた。
《だから、だな。それならそなた、俺のことも、『玻璃』と呼ばぬか? 下々の者と同席の場合には難しかろうが、二人きりのときは『君』と『僕』でもよいではないか。むしろそのほうが、俺は嬉しい》
「えっ……えええ?」
玻璃はにやりと口角を引き上げた。
《そら、どうだ。大人げなかろう? そうは見えなかったかも知れぬが、これでも一人前に妬いているのさ。俺とて男の端くれなのでな》
「はあああ?」
ユーリはもう驚くやら呆れるやらだ。《水槽》の中でいつもと変わらずにこにこしているだけに見える玻璃を、つい凝視してしまう。
この人が、自分に嫉妬?
そんなことが本当にあるのだろうか?
《そらそら。早速、呼んでみてくれぬか。『玻璃』と》
「い、いえ。そんな、急に言われても──」
しどろもどろになって目線をあちこちへ泳がせていたら、目の前でぎゅっと紫水晶の瞳に睨まれてしまった。
《こら。あやつを呼べて、俺は呼べぬと? そなたは俺の唯一無二の配殿下ではなかったのか?》
「いや。そっ、そうですけども!」
《だったら、さあ。さあさあさあ》
「あ、あのですねえ……!」
そんなやりとりを何度か繰り返した挙げ句。
しまいにユーリも真っ赤になって根負けした。
完全にうつむいて両手で顔を隠し、小さな小さな声で、お望みの通りに呼んで差し上げたのだ。
「は、……玻璃」と。
途端、玻璃が破顔した。
《うむ! よくできた。愛しておるぞ、ユーリ》
「もうっ! ぼ、僕もでっ……だよ。玻璃──」
だだっ広い空間で、一人真っ赤になって《水槽》に向かって囁く。
玻璃が海の王者よろしく、長髪を緑の液体に遊ばせながらにこにこと満足げに微笑んでいた。
◆
そこからさらに、フランはどんどん成長した。
片言で舌足らずだった言葉もすぐに滑らかになり、「ゆーぱっぱ」だったものが「ユーリパパ」に、「あじゅぱっぱ」が「アジュールパパ」になった。そこまでに、ほんの十日程度しかかからなかった。
《水槽》の中にいる玻璃については、危うく「ちょうはつごりら」が定着しそうになったので、ユーリが慌てて修正した。もちろん子供に悪意なんてかけらもなかった。「ゴリラ」の意味もよくわからないまま、単にあの口の悪い父親を真似しただけのことである。
「この方は『玻璃どの』だよ。そうお呼びしようね。『皇太子殿下』でも構わないけど、それだと君にはまだ呼びにくいだろうから」
「『はりどの』?」
「そうだよ。今度、漢字も教えてあげようね」
「カンジ? カンジってなあに」
「玻璃殿と僕のいた滄海の文字のこと。僕も最近習ったばかりだから、まだ難しいんだけどね」
「『ワダツミ』ってなあに?」
「地球の、海の中にある大きな国の名前だよ。玻璃殿は、そこの皇子さまなんだ」
「へー! うみのなか? うみってなあに。『ワダツミ』ってどんな国?」
少年の興味は四方八方に枝を伸ばして豊かに葉を茂らせ、まことに果てというものを知らなかった。ユーリと玻璃が自分の知る範囲であれこれと子供にわかる範囲でかみ砕いて説明してやると、少年の瞳は素直な憧れをいっぱい載せてきらきらときらめいた。
「ああ、いいなあ。うみには、おさかながいっぱいいるんだ。そうなんでしょう? 地球は《サム》に見せてもらったよ。とってもきれいなあおい星だね。アジュールパパの目の色みたい」
「……ああ、うん。そうだね」
「ユーリパパの目も、青くてきれい! でも、アジュールパパとはちょっとちがうね」
「うん。そうかな?」
「うん! ユーリパパの目、ぼく、だーいすき」
「ありがとう。僕もフランの若葉色の綺麗な目、だーいすきだよ」
「ほんとう? わあい!」
少年は綺麗な瞳をくるくるさせ、両足をぱたぱたさせてユーリの膝にしがみつき、甘えている。かなりの甘えん坊なのだ。今は子供用のかぶりのシャツと膝までのゆったりした下穿き姿である。とっくにおむつは外れていた。
活発で賢くて好奇心旺盛だけれど、決して暴力的だったり、意地が悪かったりという面がない。折々にちょっとしたわがままは言うけれども、それも十分、可愛いと思える範囲だ。
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