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第四章 宇宙のゆりかご
9 離宮にて
しおりを挟むなんだかもう、支離滅裂だ。
自分でも、もう何を言っているのだか定かでなかった。
「バカ……バカ。ユーリ殿下のバカっ。は、玻璃殿下が大事なのはわかるけどっ……ぼ、僕だって、ぼくだって──」
とうとう堰き止められなくなった熱い雫が、うわっと両目から滴り落ちた。両手で顔を覆って、ロマンはそのまま慟哭した。
「大事なのに。だいすき、なのにいっ。殿下のバカ。バカバカバカ! 絶対ゆるさない。死んだりしたら、ぜったいいいっ……!」
──と。
唐突に、ロマンの悲鳴のような泣き声が黒鳶の胸に吸い込まれた。
自分が彼の胸に固く抱きしめられていることに気付いたのは、しばらくしてからのことだった。
ロマンはそのまま、赤子みたいにわあわあ泣いた。
男の胸の温かさと、腕の逞しさにふと気づいたのは、かなり泣いてしまった後のことだった。
ロマンは一瞬で茹で上がり、慌てて彼の胸から体を離した。
「ご、ごめんなさい。みっともないところを」
「……いえ」
必死で両目をこすりまくっていたのではっきりとは見えなかったが、黒鳶は何を考えているのか分からない目で、さっきまでロマンの背中を抱いていた自分の手を所在なさげに見る風だった。
が、やがてついと顔を上げたときには、もう黒鳶はいつもの無風の瞳に戻っていた。
「ロマン殿」
「は、はい」
「もしもあなた様がこの国と皇太子殿下のためを思ってくださるならば、なのですが」
「……はい」
ロマンはまだ濡れた目をあげて、じっと黒鳶を見つめ返した。
男はほんの少し躊躇う様子を見せたが、やがて意を決したように言った。
「ひとつ、ご提案……いえ、お願いがあるのですが」
◆
その少年がやってきたのは、兄とその配偶者の青年が宇宙からきた謎の男に連れ去られて何十日もたってからのことだった。
先触れの者から来訪者の名を聞いた藍鉄は、特に驚く様子もなく淡々と瑠璃に事実を告げた。
皇族のために造られた美しい離宮のひとつである。
帝都・青碧からはセクションがふたつほど離れているため、あちらからは飛行艇その他の交通機関を利用しなくては移動できない。それを使っても数時間はかかる面倒な道のりを、訪問者はわざわざやってきたということだった。
「ロマンだと? そいつは誰だ」
瑠璃の第一声はそれだった。
兄のもとに嫁いできたあの凡庸そのものの青年の側付きにそんな名前の少年がいたのだったが、それも藍鉄から説明されてやっと思い出したぐらいのことだ。
恐るべき謎の敵に求められてユーリが宇宙に向かう際、最後まで号泣して彼のそばを離れなかった可愛らしい少年の面影が、ふと脳裏に再生された。
「そんな下賤の者が、いまさら私に何の用なのだ」
瑠璃は気怠さを隠そうともせず、長椅子に半分寝そべるような格好で長い紺の髪をかき上げ、訊ねた。が、側付きの屈強な忍びの男はごく控えめに首を横に振った。
「存じませぬ。『直接、殿下にお会いしてお話しする』の一点張りとのこと」
「ふん。生意気な」
いまさらこんな自分に、誰が何の用があるものか。
父、群青の代行として政務を取り仕切っていた兄が攫われたからといって、政治に空白期間があってはならない。滄海の宇宙艦隊を動かして兄とユーリの救出作戦を実行に移す一方、国内の様々な計画実行を止めるわけにもいかないからだ。
だが今、それは基本的に滄海の左大臣、藍鼠が仕切る形になっている。宇宙軍のほうは、彼と同じ派閥、つまり左大臣派を形成している正三位兵部卿・青鈍の配下だ。
玻璃がいなくなったことで「すわ、これぞチャンス」とばかりに右大臣派が色めき立ったのは事実だった。だが、いざ担ごうとした神輿──つまりこの場合は瑠璃──が、さっさと台座から降りてしまった。
瑠璃は「そんなもの、藍鼠らに任せておけば大事なかろう」と切って捨て、自分の離宮にさっさと取って返したのである。置いてけぼりを食った右大臣派は、早々に出鼻をくじかれた形になった。
あれ以来、瑠璃はこの離宮でほとんど廃人同然の暮らしを送っている。来客にはほとんど応じず、自室にこもって寝たり食べたりしているばかりだ。
正直いって、食欲はない。眠りも浅く、兄がひどい目に遭わされたり、血みどろになって現れるといったような恐ろしい夢を見ては飛び起きる。そんな日々が続いていた。
放っておいたら何も口に入れようとしないので、藍鉄がなんやかやと身の回りの世話を焼いている。そうでなければ、とうに餓死でもしていたことだろう。
現に今も、実にその状態をよく表した寝乱れた格好で、近頃すっかり寝床がわりになっている長椅子に寝転がり、興味もない紙の書物を読むともなしにぱらぱらやっていたところだった。
「いかがなさいますか」
低く問うてくる屈強な男の静かな瞳に、瑠璃は薄い笑みを投げた。持っていた書物を無造作に放り出す。
「正直、面倒だな」
「……それでは」
立ち上がって扉へ向かおうとする藍鉄の広い背中を、瑠璃はほんのわずか見送りかけたが、すぐに気が変わった。
「待て。藍鉄」
「は」
男は即座に足を止めて振り返る。
「面倒なのは事実だが……まあ、いいさ。ここへ呼べ。ちょっとした暇つぶしぐらいにはなるだろうさ」
「はっ」
男はきりりと一礼して去っていく。
なぜその時、自分がそう言ってしまったのか。それは瑠璃自身にも分からなかった。後々になってよく考えてみても、やっぱりよく分からなかった。
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