ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第四章 宇宙のゆりかご

8 嗚咽

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「どうして、私のそばになんか居るのです」

 黒鳶が瞬きをひとつした。

「あなただって、他に色々とお仕事がおありの身でしょう。そもそも、あなた様はユーリ殿下をお守りせよと命じられた方ではありませんか」
「……お言葉ですが」
 黒鳶が低く応じた。
「配殿下からも皇太子殿下からも、あなた様をお守りせよとのご命令を賜っておりますゆえ」
「はっきりそう言われたわけではありますまい?」
「……ではありますが。自分はそのように理解しております。ユーリ殿下は残されるあなた様を大変心配なさっておいででした。陛下からのお許しも出ております」

 小さな部屋に、少しの沈黙がおりる。

「……だ、からなのでしょう?」
「は?」

 今度のは、さすがの黒鳶にも聞き取れなかったようだった。

「命令だから。だから私のそばにおられる。……だったらもう、結構です。私の世話は、イラリオン殿下づきの誰かを寄越していただければこと足りますし。それだって、どうしてもという時だけでいい。自分のことは自分でできます」
「しかし」
「いいえ。そもそも『側付きの側付き』なんてものがおかしい。滑稽だ。変ですよ。ひどく奇妙な話じゃないですか」
「…………」
「こんなこと、故郷くにの皆に聞かせたら笑われます。『一族の恥よ』となじられます」
「ロマン殿──」
「だから。私のことはもういいのです」
「…………」
「放っておいてください。……ひとりに、なりたいのです」
 
 月の光が雲に遮られる時のように、黒鳶の瞳がふいとかげった。

「おひとりになられたいということなら、一時いっとき、席を外すことはいたしましょう」
「それでは意味がありません」
「では、承りかねます」
「黒鳶どのっ!」

 思わずぱっと顔を上げて睨みつけたが、黒鳶の思わぬ瞳の色を見て、ロマンは黙り込んだ。黒鳶は硬い意思を露わにしつつも、ひどく悲しげな目をしていた。

「……どうしても、とおっしゃるのなら」

 いいながら、黒鳶がついと床から膝を離して立ち上がる。そのまま思った以上に素早く、するりとロマンの傍らにやってきていた。足音などこそりとも立てない。そこで男はあらためて片膝をつき、こうべを垂れた。

「どうぞ、この黒鳶の命をお取りください。さすればすべて、あなた様のお望み通りになりましょう」
「え……」
 ロマンは絶句して男を見た。
 突然なにを言い出すのだろう。
「自分はもともと、玻璃殿下の御為おんためにのみ、生きてきた男です。殿下と配殿下のご両名が不在となられた今となっては、あなた様をお守りする以外、なんの生きる理由もございませぬ」
「あの、くろと──」
 言いかけるロマンの言葉を、珍しく黒鳶が「そもそも」と遮った。
「孤児で身よりもなかった自分の能力を幼い頃から見抜いてくださり、ここまで引き立ててくださったのは、群青陛下と玻璃殿下です。玻璃殿下あってこその自分です。今となっては、そのご意思のままにあなた様をお守りするほか、なんの目的も存在する意味もない者にすぎませぬ」
「そ、そんな」
「殴るでも蹴るでも、剣で切り刻むでも。あらゆる罵声を浴びせるでも。どうぞお好きになさいませ。それであなた様のお気持ちが晴れるのならば、黒鳶は喜んでお受けしまする。群青陛下には、すでにお許しをいただいておりますゆえ」
「ええっ?」
「『ともかく、ロマン殿のお命をお守りせよ』と。『世をはかなんでユーリ殿下の後を追うなどもってのほか』とのお言葉にございます。皇太子殿下、配殿下の御無事もわからぬうちから、決して自死など許してはならぬとの、きついお達しでございます」
「黒鳶どの……」

 すっかり視線を膝の上に落としてしまったロマンに、黒鳶はまた少し、膝だけで進み寄った。

「余計な事とは存じますが。これは別に、どなたかのご命令の有るなしに関わりませぬ」
「え?」
「どなたからも命じられておらずとも、自分は同じことをしていると申すのです。……この黒鳶、なんと申されようとあなた様のお傍を離れるつもりは毛頭ありませぬぞ」
「黒鳶どの……」
「それでも、どうしてもお嫌とあらば。……どうぞ、この命をお断ちください。あなた様のお手であれば、どのようなことに関わらず、甘んじてお受けしましょうほどに」
「そんなっ、ことっ……!」

(滅茶苦茶だ)

 そうだ。この人は滅茶苦茶だ。
 こんな、なんの身分があるわけでもない自分みたいな少年に。
 そんなに易々と、自分の命を預けたりしていいわけがない。

「やめてください。ぼ、僕が黒鳶どのにそんなこと、するはずがないでしょう! そんな簡単に、命を要らないなんて言わないで。そんなこと、僕が望むわけがない!」
「……簡単などではありませぬ」
「簡単なんだよっ!」

 とうとうロマンは鋭く叫んだ。相当ぞんざいな言葉遣いになってしまっていることも、もう気にしていられなかった。

「なんでみんな、そうなんだ。そんなのおかしい。そんな簡単に……『命を賭けても』なんて言わないでよ。『あの方のためだから』なんて、言わないでよっ! 残された人のこと、考えてよ……! ユーリ殿下だって、殿下だって──」
 言い募るほど、喉がつまって鼻の奥がきいんと痛んだ。
「ぼ、ぼくが一体、どんな気持ちで──」
 声が醜く嗚咽に歪んで、そのまま目元が危なくなっていく。
「玻璃殿下がお大切なのはわかってる。そりゃそうだよ。大事な大事な、たったひとりの結婚相手でいらっしゃるんだもの。わかってるよ。わかってるけど、でもっ……!」
「ロマン殿──」
「みんなユーリ殿下のことを大事に思ってるのに! 皇帝陛下だって兄君殿下たちだって……僕だって! 殿下は、ほんとに……ほんっとに、ご自分が素敵な方だって信じてくださらないんだから! 僕があんなに、あんなに毎日、何度も何度も申し上げているのにいっ!」

 なんだかもう、支離滅裂だ。
 自分でも、もう何を言っているのだか定かでなかった。
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