ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

文字の大きさ
160 / 195
第四章 宇宙のゆりかご

7 心痛

しおりを挟む

「ロマン殿。少しは食事をなさらねば」

 黒鳶が、今日もまた心配そうに声を掛けてくる。
 滄海の帝都、青碧せいへき主人あるじのいなくなった東宮の使用人のための部屋で、ロマンはこのところ、じっと文机ふづくえの前に座り込んだまま過ごすことが多くなっている。その間、黒鳶は青白い顔をしたロマンの様子を心配して、ずっとそばに控えてくれていた。
 主人であるユーリと、その配偶者でこの国の皇太子である玻璃が、宇宙からきた謎の男に連れ去られて、そろそろ五十日あまり。滄海の堂々たる宇宙艦隊ですら、玻璃を人質にとられて手も足も出ない状態が続いていた。

 一度は滄海の技術を駆使した「ステルス機能」とやらを使った決死の救出作戦が立案・実行されたのだったが、敵の男にあっさりと見破られて撃破され、からくも生き残った者らは追い返されたらしい。
 う這うのていで逃げ戻って来た士官らは「次にやったら人質の体の一部を進呈するぞ」という、身の毛もよだつような脅迫を持ち帰った。

 アルネリオからやってきたユーリ殿下の兄君、イラリオン殿下も、時々ロマンの顔を見に来てくださる。ユーリ殿下が敵の元へ行かれて以降、ずっとこの王宮に滞在しておられるのだ。
 こんな下々の者のところへわざわざおいでになるなんて、まことに勿体なく、申し訳ない限りである。しかもこんな、塞ぎ込んでろくに仕事もせずに無駄飯を食らっているような者のために。ロマンは必死で固辞するのだけれども、殿下はお耳に入れて下さる様子もない。

 しかしながら、いつもは底抜けに明るいあの殿下ですら、このところはさすがにお顔が曇ることが多くなっている。こちらを責めるような態度や言葉はおくびにもお出しにならないが、ロマンにとって大した慰めにはならなかった。
 先日など、ロマンがとうとう「ユーリ殿下がご無事にお戻りにならなければ、どうぞ私を殺してください」と床に額をこすりつけて懇願までしてしまったものだから、イラリオン殿下は困り果てたご様子だった。
 その後、一度も訪問はない。すっかり呆れられてしまったのだろう。

(やっぱり、殺されようとなんだろうと殿下のお傍にいればよかった。どうせ死ぬなら、殿下のおそばに居たかった。最後の最後まで、殿下のおそばに──)

 同じ後悔が何度も何度も頭の中で荒れ狂い、攻め寄せて、とてもではないが食欲なんて湧いてこなかった。あまりに薄汚い格好をしていれば、アルネリオ王室の恥さらしにもなりかねない。だから最低限の身づくろいだけはしていたけれども、本当はそれすらも億劫でたまらなかった。できることなら、ずっと寝床に潜りこんでいたかった。
 放っておいたら一日中でもこの薄暗い部屋に閉じこもっている。今が昼か夜かもわからない。そんな自堕落な生活を続けていることを心配して、あの寡黙な黒鳶があれやこれやとロマンの世話を焼き、口を出してくるのだった。

『お気持ちはわかりますが。無事に戻っていらしたときにロマン殿の元気なお顔が待っていなければ、ユーリ殿下はさぞやお悲しみになるでしょう。あなた様をそのような姿にしたのは自分だと、ご自身をお責めにもなりましょう。まずはそのことをお考えなさいませ』
『さあ、お食事を。一口でも結構です。お召し上がりください』
『よくお眠りになれるように、薬湯を準備させましょう。ともかく横になって目をお閉じくださいませ』

 最初のうち、「いいんです。私のことになんて構わないでください」と力なくも固辞していたロマンだったが、いつもならもっとさらりと引き下がる黒鳶が、ことこれに関してだけは異様にしつこかった。彼の普段の様子からすれば、ほとんど尋常ではない。
 消化がよく、喉を通りやすそうな粥や果物。慰めになりそうな甘い冷菓などをあれこれと準備して、日々甲斐がいしくこの部屋へ運んでくる。ロマンがどんなに頑なに拒んでも、彼は引き下がらなかった。
 最後は床に額をこすりつけるようにして「どうかどうか。この黒鳶の命に免じて」とまで言われ、とうとうロマンも白旗を上げざるを得なかったのだ。
 ロマンがふた口、三口と食事を口に運ぶ様をじっと見つめて、部屋の隅に控えた黒鳶は明らかに安堵しているようだった。

(私なんかが……こんな所でぬくぬくと食事など)

 そう思ったら、きりきりと臓腑が痛んで、吐き気をもよおしてしまう。とっくに枯れたかと思っていた熱いものが、また両目から溢れてしまう。食事の味など、ほとんどわかりはしなかった。
 人質として求められ、敵の懐へ飛び込んでいかれたユーリ殿下。いまごろ、どんなつらい目に遭っておいでだろうか。そう考えるだけでもう、ロマンの喉は何も通さなくなってしまう。実際、せっかく食べたものを何度も戻し、一度はついに意識を失って倒れ、発熱してしばらく寝込んだ。

 黒鳶はそんなロマンのそばにずっと付き添い、何くれとなく細やかに看病し、世話をしてくれている。宮仕えの女官たちの手を煩わせることはいっさいせず、すべて彼ひとりでおこなってくれていた。なんとなく、誰かほかの者の手がロマンの体に触れるのを拒んでいるようにも見えた。まあ、医者にだけは仕方なく許していたけれども。

 ほんのふた口ほどすくっただけですっかり冷めてしまった粥の器の隣に、ことんと匙をおろす。部屋の隅を見ると、黒ずくめのいつもの姿で、男はそこに空気のように控えていた。

「……どうして」

 やっとこぼれ出した声は掠れていて、ほんの小さなものだった。常人であれば聞き取れないほどのものだったが、そこはさすがの黒鳶だった。さっと顔を上げ、こちらを見る。
 顔の下半分は黒布に覆われているので表情がよく分からない。黒くまっすぐな瞳が、じっと言葉の先を待つ様子でこちらを見つめてくる。

「どうして、私のそばになんか居るのです」

 黒鳶が瞬きをひとつした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...