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第四章 宇宙のゆりかご
6 助け船 ※
しおりを挟む「う……ぐっ」
背中を激しく床に叩きつけられて、息ができなくなる。苦しむユーリに構わずに、男は片手でユーリの両手を床に縫い留め、体にのし掛かってきた。
「随分、楽観的になったもんだな? フランがあんまりうるさいから首輪を外してやっただけだぞ? お前が虜囚であることに変わりはない。あまり調子に乗るなよ」
「…………」
ユーリの喉はヒュ、ヒュと小刻みに音をたてるだけだ。冷たい汗が額に浮かぶのを覚えながら、男を見上げるしかできない。
別に調子になんて乗っていない。虜囚の立場だということも嫌というほど理解している。だが、それでも自分はあなたの性奴隷なわけではないのだ。まして、玻璃どのとの大切な関係を無にしてまで、この男に体を明け渡すはずがない。まして、心は渡さない。
男は今にも口づけができそうなほどに顔を近づけ、ユーリの目を覗きこんできた。
氷のような蒼い瞳だ。
「諦めた方が身のためだと思うがな。その方が楽になるぞ。貴様らの歴史は、どうせそういう理不尽で薄汚いもので塗りこめられているじゃないか」
「…………」
どういうことだ。そう思っただけで、やはり思うように声は出ない。
「土地や利権を奪いあい、男を殺す。女や子供を奪い、凌辱する。虐殺や虐待のこと細かな記録があるわけじゃないようだが、歴史書にちゃんと記さないのは、それが褒められたもんじゃないと自分でも分かっているからだろう。まったく、クソ虫ならクソ虫らしく、堂々と開き直っておけと言うのさ」
「……な、こと……」
やっと少しだけ声を発したが、背中にまた鋭い痛みが走り、ユーリは呻いた。男が首のあたりを腕できつく圧迫している。
「おとなしく言うことを聞いておけ。俺の相手として、フランの親としてな。従順にしていれば、いい思いをさせてやる」
その腕がしゅるりと二股に分かれて変形し、片方が器用にユーリの衣服の袷を開いていく。
「や、……だっ!」
ざあっと血の気が引いた。
力では、絶対にこの男に敵わない。
このままでは、ただここで犯されるだけだ。
男の枝分かれした腕の一部が、ユーリの胸の突起をなぞり、肌を撫でながらするすると下方へおりていく。軽く臍をつつき、さらにその下へ。
「ひっ……!」
ユーリの腰がびくんと跳ねた。
触手のようなものがにゅるりと性器に絡みついて、ゆっくりと扱き上げられ始める。
「いやっ! いやだあっ! やめて……!」
やっとのことで迸った声はかすれきっている。ユーリが必死で首を横に振り、何度か叫んだときだった。
「ぱぱ……?」
入り口のほうから、小さな可愛い声がした。
男はぎょっとした顔になり、ぱっとユーリの体から飛びのいた。すさまじい速さだった。背中はまだ痛んだが、ユーリはやっとのことで上体を少し起こした。
フランだった。
コントロールルームの扉のところで、掛け布を引きずってこちらを見ている。涙がいっぱいに溜まった赤い目だ。指を吸ってこそいないけれども、片手を口元にやって小さく丸めている。
「……ど、どうしたの……フラン」
ユーリははだけた衣服の前を急いで掻き合わせ、どうにかこうにか声と表情を取り繕った。できるだけ柔らかく微笑んで見せると、少年はまだ戸惑っているものの、ようやくほっとしたような目になって、掛け布をぽとりと足もとに落とした。
「ユーリパパぁ……」
そのままとことことこちらにやってくる。次第に足が速くなり、しまいには駆け足になった。
両手を広げてまっすぐユーリのところにやってくると、フランは膝に乗り上がって首にしがみついてきた。ぐすぐす泣きながら途切れ途切れに訴えるのを辛抱強く聞いてみると、どうやら何かとても怖い夢を見たらしかった。
「そう。ひとりで怖かったんだね。起きたら僕がいなかったから、心細かったよね。ごめんね……?」
フランは無言のまま、ますます凄い力でユーリに抱きついてくる。丸まった小さな背中を撫でてやると、少年の首と髪から子供特有の汗のにおいがした。生きた子供の体温と存在感がユーリの心をまろやかにする。それがまるで、こちらの勇気まで鼓舞してくれているような気がした。
体の痛みが少しずつおさまってくるにつれ、次第に心も落ち着いてきて、ユーリはフランを抱き上げた。こつんと額をくっつけて囁いてやる。
「じゃあ、ベッドに戻ろう。ちゃんと眠らないと大きくなれないし、病気にもなりやすくなっちゃうからね。フランが熱を出したりしたら、僕、悲しいし、とても心配なんだ」
「……うん」
「今度は僕も、ずっと一緒にいてあげるから。ね?」
フランが胸元でこくんと頷く。ユーリにしがみつく手にさらに力がこもった。
ユーリはそっと男を見た。人外の男はなんとも形容のしにくい目をしたまま、黙って一連のことを見つめていた。
「その……あまり、子供の前で見せられないようなことは……控えてくださると嬉しいです」
男は無言のまま、きゅっと目を細めた。完全な仏頂面である。機嫌は決して良くないようだ。だが、この子の前でユーリにつらく当たることだけはどうあってもしたくないのだろう。眉間に皺をきざんだまま、渋々ひとつ頷き返してきた。
素直とはとても言い難い。だが、ひとまずユーリも胸をなでおろして、なるべく優しい声を出すように努めながら言った。
「では、おやすみなさい。……フランも、ほら。アジュールパパにもう一回、おやすみなさいを言おうね?」
「……うん。おやすみなさい、アジュールパパ」
そっと男に近づいて、少年が男の頬に可愛らしい音をたててキスをするのを助けてやる。男は少年にだけは決して殺意を向けないが、今回ばかりは安易に表情を緩めるわけにもいかないのだろう。相当複雑な顔をして、幼児から今夜二度目のおやすみなさいの挨拶を受けた。
「……さあ。行こうか」
ユーリはフランの体をゆすりあげて抱え直すと、男を残して静かに部屋を出た。
複雑な意味を含んだ男の視線が、背中にぴりぴりと突き刺さってくるのを感じながら。
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