193 / 195
第六章 帰還
9 方舟(はこぶね)
しおりを挟む《つまり。フランの弟か妹のことを》
《あ……》
知らず、体の奥がぽっと火照った。
昨夜もやっぱり、彼に十分に愛し抜かれた場所である。
《そなたが望むなら、すぐにも『遺伝情報管理局』へ話をつける。ともに二人で出向こうぞ。必ず生まれると決まったものでもないから、なるべくなら早いに越したことはない。長ければ、数年も待たされる場合もあるしな》
《そうなのですか》
《まあ、無粋な小手先の技術を使えば、思うような子を得られないこともない。だが、現在の滄海ではそういう不自然なことはなるべく推奨していない。俺もそういうことはあまりしたくないしな》
《…………》
《子は、いつの世も天からの賜りものだ。我らはそれを慎んでお預かりし、愛し、慈しみ、大切に育てるだけのこと》
いつかはまた、あの《ニライカナイ》に戻ってゆく、その日まで。
いつの世も、我ら自身がそうであるように。
《玻璃どの……》
そこで、玻璃は少し押し黙った。
その瞳は《天井》を見上げ、さらにその先にある青い空、そして真っ黒な宇宙の果てを見つめるかのように見えた。
《俺はな、ユーリ。いつかこの惑星から皆を逃がしたいと思っている》
《えっ?》
ユーリは驚いて顔を上げた。
《そなたももう知っての通り、この惑星もいつかは滅ぶ。あの太陽の寿命が尽きる少し前に、膨張した太陽に飲み込まれて消えて行く。それは確定した未来であり、運命だ》
《は、はい……》
《人間や地球上の生き物が、それまでどれほど生き延びるものかはわからぬ。だが、俺はその時生き残っているものはひとつ残らず、『方舟』に乗せて逃がしてやりたいと思っているのだ》
《方舟……ですか》
──「ノアの方舟」。
陸の帝国、アルネリオには、古くからある宗教の経典にそうしたものの存在が記されている。
かつて、地球上の生き物が大きな洪水のために全滅しかかった時。
とある人物が大きな大きな船を造って、あらゆる生き物と自分の家族である人間たちを救ったという、壮大な伝説である。
《まだまだ、何年、いや何十年も先の話になるやも知れぬ。俺は、かつてこの惑星と貧しい人々を捨てて行った者どものようではなしに、生き残った者らを逃がしたい。つまり、誰のことも見捨ててはゆかぬ。そのためには、まず地球上の人々が平和的に協力する関係がなくてはならぬ》
《…………》
《そなたは、その礎だ。両国の友好関係の、最初の気高い一歩であり、黎明であり、貴重な敷石なのだ》
《玻璃どの……》
《まずは、アルネリオと滄海がしっかりと手を組まねばならぬ。そうして人々を教育し、大量の宇宙船を建造するために働いてもらわねば。これは地道で、壮大な計画だ。道は決して平坦ではない。恐らく多くの失敗もあろう。だが、必ず成し遂げねばならぬ仕事。大きな使命だ》
《はい……》
ユーリはこくりと頷いた。
驚くべき告白だった。
この人がそんなことを考えていたとは、ユーリ自身も今の今まで知らなかった。
だが玻璃の真摯な瞳には、一片の嘘もごまかしもなかった。
(玻璃どのは……)
この人は、ずっとこのようなことを考えていたのか。
きっとあの宇宙船の中で囚われていた間にも考え続けていたのに違いない。自分自身の命さえどうなるかもわからない、厳しい状況下にあってさえ。
恐らく皇族、王族というものは、そういう者であらねばならぬのだろう。
《玻璃ど……いえ、玻璃》
ユーリはまっすぐに玻璃を見た。
彼の両腕に自分の両腕をつなぎ合わせて。
《どうか、お手伝いをさせてください。どうかこの私にも。……及ばずながら、あなた様のお仕事を。壮大なその未来絵図の、ほんの片隅でいいのです。私を居させて欲しい。その大切なお仕事を、私にも手伝わせて欲しいのです》
玻璃がにこっと、白い犬歯を見せて笑った。
《うむ。もちろんだ。よろしく頼むぞ、配殿下》
くをん、くをんと、遠くで鯨の声がする。
耳の装置は、人の耳には届かぬはずの音をときおり拾って再現する。
微かに届くそれを聞きながら、二人はそっと抱きしめ合い、どちらからともなく唇を重ねあった。
《愛している……ユーリ》
《僕も、愛してる……玻璃》
くをん、くをんと。
海の生命が未来を希求む声がする。
(玻璃……)
わたしだけの、海の皇子。
……愛してる。
この人を、心から。
いつかは滅びゆくこの惑星から、皆で逃れでなくてはならないとしても。
自分はいつも、この人の隣にいよう。
今は宇宙の彼方に去った、あの子の弟や妹を得て。
そうして、温かな家庭を築くのだ。
あの子が戻って来た時に、みんなで包み込むようにして迎える、その日のために。
鯨の母子の呼びあう声が、波の向こうにふつりと消えた。
玻璃の唇がそっと近づく。ユーリは黙って目を閉じた。
ふたりの姿はひとつに重なり、翡翠の波間にとけてゆく。
ゆくりなくさし込んできた一条の陽光。
温い光の泡のゆらぎ。
穏やかな水面。
──愛してる。
私の、海の皇子さま。
この身の持てる、すべてをかけて。
さらさらと鳴る玉響の潮騒の下。
ふたりの人魚は寄りそったまま、静かに臣下に見守られ、
いつまでも波間に揺蕩っていた。
0
あなたにおすすめの小説
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
「役立たず」と追放された神官を拾ったのは、不眠に悩む最強の騎士団長。彼の唯一の癒やし手になった俺は、その重すぎる独占欲に溺愛される
水凪しおん
BL
聖なる力を持たず、「穢れを祓う」ことしかできない神官ルカ。治癒の奇跡も起こせない彼は、聖域から「役立たず」の烙印を押され、無一文で追放されてしまう。
絶望の淵で倒れていた彼を拾ったのは、「氷の鬼神」と恐れられる最強の竜騎士団長、エヴァン・ライオネルだった。
長年の不眠と悪夢に苦しむエヴァンは、ルカの側にいるだけで不思議な安らぎを得られることに気づく。
「お前は今日から俺専用の癒やし手だ。異論は認めん」
有無を言わさず騎士団に連れ去られたルカの、無能と蔑まれた力。それは、戦場で瘴気に蝕まれる騎士たちにとって、そして孤独な鬼神の心を救う唯一の光となる奇跡だった。
追放された役立たず神官が、最強騎士団長の独占欲と溺愛に包まれ、かけがえのない居場所を見つける異世界BLファンタジー!
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる