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終章
エピローグ
しおりを挟む「パパ。これからどこに行くの」
窓の外を眺めながら、少年がぽつりと訊いた。そこには、あらゆる光を吸い取る真っ黒な絨毯が、ただただどこまでも広がっている。
「さあな。特に目的があるわけでもないし」
欠伸を噛み殺しながら正直にそう答えたら、少年はちょっと押し黙った。
「どこか、行きたいところがあるのか? もしもあるなら《サム》にそう命令するぞ」
「うーん……。わからないけど」
少年は外を眺める仕様になったソファに背中を沈みこませて、何かを考える風だった。
隣に座った男の手に、するっと少年の手が握り合わされてくる。
「アジュールパパがいてくれれば、どこでもいい」
「……そうなのか? いや、やっぱり──」
──あいつの所のほうが、お前のためには良かったのでは。
そんな言葉が思わず口をついて出そうになって、意識的に唇をひき結ぶ。
言わずもがなのことではないか。見た目は平凡だが心優しいあの「父親」と、その番の男の所のほうが、この少年はもっと楽しく、心豊かに生きられるはずだった。こんな、人間ですらない自分と二人きりで、無駄にだだっぴろい宇宙船で暮らすなんて、若い少年には砂を噛むように虚しいに違いないのに。
少年は、ただ気遣ってくれただけなのだ。自分があの人々と暮らすことを選択したら、この人外の生き物がひとりぼっちになってしまうという、そのことを。
(無理をしなくても良かったものを)
そう考えると、心苦しい。
今まで、どんな人間にもそんな気持ちになったことはなかったのだが。この少年のことだけはどうしても、「ただの虫けらだ」と侮ったり「いつ死んでも構わない」などと軽く考えることができない。
むしろ、なにやらやくたいもない不安ばかりが頭をもたげる。
『もしもこの子が、不治の病になったらどうしよう』?
『万が一、命に関わる怪我でもしたら』──?
ふりはらっても、ふりはらっても。
うっかりしているとそんな恐怖がじわじわと脳を染め上げ、しまいにはみっしりと占領してしまう。
(愚かだ。……まったく、愚かだ)
男は短い銀髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
こんな気持ちになったのは、双子の弟だった青年を除けば初めてだった。だがあの弟は自分と同じ存在だった。精神面のことはともかく、体の強度や再生能力は非常に優れている。《人形》のための再生装置さえあれば、ちょっとやそっとのことでは死なない。ただの人間を心配するより、その点でははるかに楽だったのだ。
と、窓外をじっと見ていた少年が顎を持ち上げてこちらを見た。
「パパ。ふたりで、どこかの惑星を探さない?」
「ん?」
「もともと、この宇宙船はそのためのものなんでしょう? 《サム》には色んな星のデータがいっぱいつまってるって教えてもらったよ」
「まあ、そうだな」
「その中に、僕らが住めそうな星はないの?」
「……さあ。どうだろうな」
人間という生き物たちが平穏に暮らすためには、多くの条件が必要だ。空気や有機物、鉱物等の組成。重力の多寡。惑星そのものの磁力の大きさ。もちろん、人体にとっての有害物質の多さや分布を知ることも重要だ。
なにかひとつでも欠けていれば、それを補うための仕事が必要になる。歴史データによれば人類は、多くの年月をかけて月や近隣惑星を「惑星地球化計画」によって改変し、そこに移住してきたらしい。
だが、初期のころは失敗も多かった。太陽系内部でさえ人々はどこか体に不具合を抱え、謎の病に罹って苦しんだという。最終的には多くの人々が、「母星」地球へ撤退してしまったらしい。
「僕、どこかの惑星に住みたいな。そこで、パパと一緒に暮らしたい」
「……そうか」
隣に座る少年が、男の肩にこてんと頭を乗せてきた。
「家族が増えたら、もっといいなあ。小さい子がいっぱい。男の子も女の子も、いっぱいいて……」
「え?」
「みんな、僕みたいにどんどん育って。それで、みんなで家族になるの。わーわー泣いたり、いっぱいケンカもするだろうけど。きっと楽しい。……そうだよね?」
(それは……一体?)
何を意味する言葉なのかが分からずに、男は少年の顔を慎重に覗きこんだ。
少年の翡翠の色をした瞳には、曇りのない清らかな光が宿っているばかりである。男が望む答えはそこにはなかった。
どうやら、別段深い意味があったわけではないらしい。
男は密かに、胸の中だけで溜め息をこぼした。
まだ細い少年の肩を抱きよせ、彼の頭に顎を半分だけ乗せて囁く。
「……そうだな。今度、《サム》に命じておこう。居住可能な惑星探査を」
無限に広がる黒い絨毯。
ここではこの巨大な船ですら、ただの小石ほどの意味もない。
窓にぽつんと見える小さなふたつの影を、
撒かれた白い砂粒のような星々が、息をひそめて見つめていた。
完
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