白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十二章 過去の世界

2 写し身

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「ああ……そうでしたよね」

 実はシディもあの売春宿にいたときに、少しだけなら聞いたことがあったのだ。
 来るたびにひどい真似ばかりする客から「それでも皇太子に仕えるよりゃあ千倍もマシだろうぜ」みたいなことは。だからといってもちろん、何の慰めになったわけでもなかったが。

 聞けば皇太子の側付きになったりねやにあがったりした少年少女たちが冷たくなって運び出されるというのは、皇太子宮にあっては日常茶飯事だったらしい。
 本人に大きな瑕疵かしがあったわけではなくとも、なにか皇太子にとって感情を害するようなことが起こると簡単にそばにいる者の首を斬り落としたり全身の皮を剥いだりする。あれはそういう男なのだ。貴族ではない下々の者たちなど、そもそも人とも思っていないのである。
 そんな男が本当に皇帝になったら、いったいどうなってしまうのだろう。現皇帝も人徳の点では大概な人物ではあるのだが、甘やかされて育った皇太子はそれに輪をかけて程度の酷い人物だという噂は庶民の間で絶えなかった。

 そのようなわけで、今回の「どうやら皇太子が早く帝位が欲しいばかりに、皇帝に妙な薬を使ったらしい」という噂も「さもありなん」とばかりに民らに受け入れられ、広がっているということらしい。
 インテス様側としては、その噂にちょっと後押しをしてやれば済んだのだとか。

「そしてそれは、どうやら事実だ。セネクス師匠の《目》と《耳》により、実際に皇帝に薬を使った者もわかっている。そやつの身柄を確保する算段もしている。あと少し準備すれば、彼奴きやつの首根っこを押さえることができよう」
「左様にございます。さすればいまだ立場を決めかねておる貴族どもの目も少しは覚めようというもの」
「うん。そうなることを願うよ」

 インテス様とラシェルタがうなずきあう。
 政治的なことについてはシディにはよくわからないことも多いが、みなさんがそう言うのならそうなのだろう……となんとか納得する。
 聡明なインテグリータス殿下を支持する人々はすでに多いものの、皇帝と皇太子の顔色をうかがう者らもまだまだ多い。皇帝が病を得、皇太子がその命を狙ったという陰謀が明らかになれば、日和見をかこっている貴族連中の多くがこちらに傾くことになるのだろう。
 第二から第四皇子はひどく病弱であったり人間性に問題がありすぎるため、人望がほとんどないとも言われている。もし皇太子が地位を追われれば、第五皇子とはいえインテグリータス殿下が時期皇帝となる目がかなり大きくなってくる。
 ここにいる誰ひとりとして、それを期待しておらぬ者はないだろう。

「えっと……それで、あれから神殿からの攻撃はどうなってるんでしょう」
「おお、それよ」
 これまたレオが答えた。
「あれから三日。今のところ、ここへの攻撃は行われていねえ。が、あっちであれこれと準備してる様子は密偵から聞こえてきてる。皇子とシディがここにいるのは危ねえかかもしれねえ」
「えっ……」
「だからよ。ただアホみてえにここで攻撃されるのを待ってるこたぁねえだろ。っつうわけで、あんたと殿下にゃあ身を隠してもらいてえ」
「か、隠れるんですか?」
「ああ。幸いこっちにゃ大勢の魔導士がいる。皇子の影武者なんざ作り放題よ」
「か、かげむしゃ?」
「つまり《写し身》の術を使う、ということです。このように」

 言ってラシェルタが体の前で、片腕をひょいと大きく回した。

「ああっ……?」

 顎がかくんと落ちてしまう。
 そこには突然、隣に立つ本物のインテス様と寸分たがわぬ姿の、もうひとりの「インテス様」が出現していた。驚くべきは見た目だけではなく、なんとあの素敵な匂いまでもしっかりと再現されているということだった。これではシディですらすぐには気がつかないかもしれない。
 ふたりのインテス様が、おたついているシディを見てにこりと笑う。その微笑み方まで、まるで鏡でうつしたようにそっくりだった。

(す、すごい)

「このようにして、みなで皇子殿下の姿を写します。もちろん術者によってある程度精度は変わってきます。匂いまでは再現できぬ者もおりますゆえ。ですが、遠目でならば十分に敵の目をくらませることができましょう」

 なんと。こんな魔法もあるのか。
 シディは驚きを禁じ得ない。そう思いながらしげしげと見つめるうちに、片方のインテス様がひょいとまた一度手を振った。それだけでラシェルタの姿に戻る。
 レオが満足げににやりと笑った。

「わざわざやられっぱなしになってやる必要なんざねえ。今度はこっちから仕掛ける。その間、本物の《半身》サマにゃあ、適当に身を隠しといてもらいてえのよ」
「隠れるって……でも、いいんですか? オレなんかじゃ足でまといなのはわかりますけど、でも──」
「いやいや。足手まといなんてとんでもねえよ」

 レオがぺしんと自分の膝をうち、ぐいとシディに顔を突き出した。

「アンタはいわば俺らの切り札じゃねえの。あん時の活躍のこたあ、例の皇太子の噂よりもさらに早く国じゅうを駆け巡ってんだぜ? すでによ」
「えええっ?」
 そんなのは初耳だ。
「黒き伝説の狼王。光の力を得て七色に輝き、《闇》に囚われたインテグリータス殿下をお救いした、《救国の半身》にして《黒狼王》の末裔、オブシディアン殿。民の間じゃあんたの噂でもちきりだ。……あんたはもーちょっと、自分の力を信じたほうがいいぜー?」
「え、えええ……???」

 驚き呆れるシディをよそに、魔塔の首脳部であるみんなはあれこれとまた作戦の相談を始めていた。
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