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第十六章 恐慌
10 消滅
しおりを挟む《シディ。そなたこそ、体は大事ないのか?》
インテス様の声は心から心配している人のそれだった。
胸の奥がぽっと温かくなる。
大丈夫。この人がいるから、もう自分は大丈夫なのだ。これからも、きっと。
狼の顔ではわからないだろうなとは思いながらも、シディは精一杯笑顔を浮かべてみせた。
《大丈夫です! あらためて封印を再開しましょう、インテス様》
《……わかった》
インテス様がぐっと集中に戻られ、また両腕をあげる。シディも迫りくる衝撃に備えて集中した。
と、体に満ち満ちていた魔力がぶわっと凄まじい奔流となって、シディから飛び出していった。
(うわ……!)
魔力の入れ物は自分自身なのに、シディはひどく驚いて呆然となった。
そこから編み出されはじめた《光る網》は、今までの比ではなかった。インテス様が練りあげる《網》はこれまでの数十倍の力と速度を持っていた。
《皿》にへばりつき、見る間に全体が金色の皿状に変わっていく。
《す、すごい。ここまでだなんて》
《どうだ? オレが加わったら段違いだろーがよ、ちびワンコ》
得意げなイグニスの声が脳内に響いた。
《そう思うなら、もっと早く来ればよかったものを》
シディが何か答える前に、面倒くさそうに突っ込んだのはメタリクム。
《まあ、しょうがないね。黒い仔がボクを先に選んじゃったもんだから、ながーいこと臍を曲げてたんだもんねー?》
《てっ、てめ、うるさいぞッ! アクア!》
(な……なるほど??)
なんとなくここまでの経緯が透けて見えたような。
そうこうするうちにも、《皿》はどんどんびっしりと《網》に蓋をされ、次第に縮小しはじめた。《網》の力によって圧縮されているのだ。
と、精霊さまたちが突然、声を合わせて歌いはじめた。
《白の神よ。黒の神よ。我らが父であり、母たる方々よ》
《あなた様がたのお力を借り受けし子らの、この類いなき優れた働き。とくとご照覧あれ!》
《栄えある子らに、あなた様がたの祝福あれかし……!》
精霊さまたちの声は空気を震わせ、その場にいたものすべての鼓膜を打った。それはさらに、天に集まっていた黒雲を吹き飛ばし、世界の隅々にまで高らかに響き渡ったかと思われた。
後日きいたところによれば、確かに世界中の者たちが、このときの精霊の声を何らかの形で感じたのだという。
ともあれ、今のシディには知る由もない。
ただぽかんと精霊さまたちの唱和する声を聞いているばかりだ。
《我らが作り主、親たる黒の神よ。白の神よ》
《この世の始まりを司りし、尊き御方がたよ》
《ご照覧あれ》
《ご照覧あれ》
《子らに御方がたの祝福よあれ──》
《嘉したまえ》
《ゴショウランアレ》
《ヨミシタマエ》……
精霊さまたちの声が、もとのように聞きにくいものに戻り、次にはシディにも理解不能の高音域、神々しい音曲へと高らかに変化していく。
(えっ……)
それは、もしかしたらシディの気のせいだったかもしれない。
黒雲を切り裂いて現れた青空を背景に、巨大な──というにも、あまりにも巨大な「腕」が空に出現した。……ように、見えた。
(あ、あれは……なんだ?)
巨大な腕は、四本。
ふたつは黒く、ふたつは白い。
手のひらひとつが、山をすっぽりと覆い隠せるほどの大きさだ。その腕でいくつもの山を、国を、すっかり抱き取れるほどの大きさ。
腕はゆっくり、ゆっくりと、シディたち全員を抱きこむように動いている。
《我らが神に、創り主に栄光あれ》
《エイコウアレ》
《エイコウアレ》
豊かな精霊たちの唱和がこだまする。
と、グオオオオン、とまた別の音がした。今度はひどく不快な響きだった。
《ひっ……!》
耳をつんざくばかりの轟音。それは《黒き皿》のまことに最後の、そして最期の「悲鳴」だった。
《皿》はびっしりと取り巻いたインテス様の《網》によってどんどん押し込められ、縮んで縮んで──
ついに、子どもの拳ほどにまでに小さく小さく折り畳まれたかと思うと、
──ぱりん。
小さな弱々しい音をひとつ残して、嘘のようにふっと消え去っていた。
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