白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十六章 恐慌

11 歓呼

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 周囲はしばらく、しんとしていた。
 だれもがきれいに晴れわたった空に浮かぶ巨大な白と黒の腕を見上げて呆然としていることに、シディはそのときようやく気づいた。
 見下ろせば、そこには神殿らしき建物がある。「らしき」と言うのは、あの立派だった高い尖塔が猛烈な風のために崩れてしまい、見る影もないほど損傷してしまっていたからだ。
 長衣をつけた神官らしき者たちも、かくまわれていた民らしき人々も外へ出てきて、ぽかんと口を開けて上空を見つめている。

《あ……》

 シディが視線を空へ戻したときだった。巨大な四つのかいなが、ふんわりと霞のように透明になったかと思うと、ふっと音もなく消え去った。

《ま、まって……!》

 シディは思わず、反射的にそちらへ飛んだ。
 こんな風にさよならするなんて。そんなのはイヤだ。あなたたちには、もっともっと、たくさん訊きたいことがあるのに──!
 白と、黒の神。精霊さまたちをも創りだし、この世のありとあらゆるものの親たる存在である方たち。
 しかし大きな腕たちはどんどん薄まっていき、もうほとんど目につかないほどになってしまった。
 シディはあらん限りの思いと声で叫んだ。

《あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 白き神さま、黒き神さま……!》
《白き神よ、黒き神よ。この世をお救いたもうたこと、心より御礼を申し上げます。まことにありがとう存じました》

 背中からインテス様の丁寧で心のこもった声と思念が耳に届く。
 と、それに呼応するように轟くような歓声があがった。

「白の神よ! 黒の神よ!」
「この世の造り主、そして救い主よ!」
「大いなる創造主に、救世主に誉れのあらんことを」
「我らをお救いくださり、ありがとう存じます……!」

 セネクス翁やティガリエ、ラシェルタはじめ、魔塔側の兵士や魔導士たちの声だった。
 続いて聞こえたのは地上からの声。

「大いなる神! 白き神、黒き神よ……!」
「我らをお救いくださり、まことにありがとうございます!」
「我らが《救国の半身》さまに誉れあれ!」
「白き神、ばんざい」
「黒き神、ばんざい」
「《救国の半身》さま、ばんざい……!」

 壊れた神殿からあふれ出てきた民たちが、天に向かって両腕をのばし、頬を涙に濡らして声も嗄れよと叫んでいる。
 幼子を胸に抱いた母もいる。妻や娘や恋人らしき女性と抱き合っている男たちもいる。みんなの瞳に輝いているのは、神聖な奇跡を目にしたことへの畏怖と、感謝と感激であるように思えた。なかには両手を顔の前で合わせたり、両腕を空へ差し上げたりして、自分の信仰を表明している人々もいる。

「白き神はおられた!」
「黒き神もおられたのだ!」
「五柱の精霊様と二柱の親神さまは、われらをお見捨てにならなかった……!」

 地上の騒ぎを知らぬげに、空を覆っていた巨大な腕たちはどんどん薄まっていき、遂にきれいな青空だけがそこに残った。あちこちに浮かんでいる白い雲は「え? なにかありましたか」とでも言いたげにいつも通りの暢気のんきな顔をしているだけだった。
 足もとからどんどん湧きあがってくるような凄まじい歓呼の声を聞きながら、シディは大きく息を吐き出した。

(終わった……んだな。本当に)

 なぜかはわからない。
 でも、なぜかわかるのだ。
 これがこの時代の《黒き皿》の侵攻の、最後の一撃だったのだということが。
 インテス様もまったく同じことを感じていらっしゃるらしかった。

「どうやら、終わったようだな。……シディ」
《……はい》
「では、そろそろ戻ろうか。思った以上に大変なことになった。神殿はあの有様だし、帝都もかなりやられたようだ。収拾するのに、かなり苦労しそうだな」
《あっ。はい……》

 答えたとたん、急にシディの身体がしぼんだ。
 体の中から、いっぱいに満ち満ちていた精霊さまたちの力が抜け出ていったのをはっきりと感じる。

《せ、精霊さま……!》
《ああ、黒い仔。心配しなくていいよ》
 すぐに軽やかに答えてくれたのはアクア様だ。
《今は君の中に入っていたけれど、これからも僕らは君たちのそばにいるから》
《ほんとうですか?》
 もう寂しくなってきていたシディは、ちょっと安心してほっと息をついた。
《もちろんだ。我らは常に《救国の半身》であるそなたらと共にある》
 答えたのはメタリクム。
《オレはいつも、お前らの足元にいる。いつでも呼べよ、困ったときにはな》
 にこにこしているのはソロ。
《おいっ。真打ちのオレを忘れてもらっちゃ困るぜ! ちびワンコ》
《って。キミ、人間の迷惑になるからって、いつもは敢えて遠くにいたんじゃないの? 意外と気づかいの精霊なんだよねえ、キミって》
《うっ……うるっせえなあ、ヴェントス! お前が風をおこさなきゃ、そんなに延焼しねえっつーの》

 なるほど。風のヴェントス様があおることで、火のイグニスの炎はさらに暴れ回ってしまうわけだ。彼が暴れると、人間たちが大事にしている建物や畑や森なんかがどんどん燃えて灰になってしまう。だから、この性格なのにずいぶん遠慮して、なかなかシディたちの前に現れにくかったということなのだろう。もちろん、先にアクア様にシディをとられてしまったことでスネていたのも本当なのだろうけれど。

《それじゃ、僕らは一旦いくね》
《え、あのう……》
《今回はオレたちもちょっと疲れちまったしなー》
《なにかあったらまた呼ぶとよい。そなたら《半身》のためならば、我らはいつでも馳せ参じるゆえな》

 そう言って、精霊さまたちはニコニコしながら──実際は「きらきら光りながら」ということだが──それぞれに別れを言うと、シディたちから離れていった。
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