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終章
エピローグ(2)
しおりを挟む第二皇子、第三皇子、第四皇子。
みんな帝位を放棄した。
……となれば。
皇帝になられるのはだれあろう、このインテグリータス殿下を措いてほかにないではないか!
《あの、ほかに欲しい称号って……》
恐るおそる訊いたら、インテス様はふふ、と笑った。
「今は言えない」
《え、どうして──》
「この大きくてもふもふのそなたも素敵で、正直いつも気が狂いそうなほど大好きだけれど」
《は……はあ》
いつもながらこの人のこういうもの言いには二の句が継げなくなる。正直嬉しいけれど、どう反応するのが正解なのかわからなくて困り果ててしまうのだ。
「でもこればかりは、いつもの姿のそなたに言いたいんだ。少しだけ待ってくれないか」
《はい、もちろんですけど、でも──》
「手数をかけて申し訳ないが、今から少し遠出をしないかい? なに、そなたの速さであればそんなに遠くはないはずだから」
にこにこしているが、インテス様のご様子がいつもとちょっと違う気がする。なんとなく匂いも違うようだ。シディは奇妙な胸騒ぎを覚えた。
(なんなんだろう? いったい……)
首をひねりながらも、言われるままに飛ぶ。今のシディはどんなに速く飛ぶ鳥や魔導士たちよりも早く空を駆けることができる。
上空は地上よりもはるかに気温が下がり、空気が薄くなる。だから乗っている人に負担にならぬよう周囲に魔力の防壁をつくることもしっかり覚えた。
雲が眼下をびゅんびゅん飛んでいく。雲と空気で邪魔されない太陽は、ぎらつくようなまぶしい光を網膜に突き刺してくる。
やがてインテス様が「あそこへ」と指さしたのは、かつて最初の《黒き皿》をみんなで消滅させた、あの小さな辺境の島だった。
人里の見えない浜辺へと降りたち、導かれるままに海岸をぐるりと歩いていく。
《わあ……》
見晴らしがいい。ずっとずっと遠くまで、きれいな水平線が続く海の景色が目の前に広がっている。聞こえるのは波と、遠く鳴きかわす海鳥たちの声、そして自分たちが砂地を踏みしめる音だけだ。
シディはそこで、黒い狼族の獣人姿にもどった。
三年は少年にとって、短いようでも結構長い時間だった。今ではシディは、インテス様よりわずかに背が低いだけのほぼ「青年」と呼んでよい姿になっている。
だが、本来ならこれが正しい状態だった。
そもそも水の精霊アクア様に隠していただいた時間があったために少年の姿だっただけで、本来ならインテス様と自分は同い年のはずなのだから。
口づけをするとき、あまり背伸びをしなくて済むようになったのは、一年ほど前からだろうか。それがちょっぴり嬉しいような、でも残念なような、どうにも不思議な気分だった。
「こんなきれいな場所があったんですね」
「ああ。その後の視察の折に見つけてね。いつかそなたと一緒に来たいと思っていた」
頃合いはちょうど夕刻に差し掛かるほどで、西側に広がる水平線へゆっくりと太陽が落ちかかっている。周囲の雲が陽に照らされて金色に輝く時間だ。
「おいで」
手を差しだされ、なかば無意識にそこへ手を乗せると、ぎゅっと握られる。インテス様はそのままさらに高い崖の、岬の先のほうへとシディを連れていった。
夕陽が斜めに目に差し込んできてまぶしい。シディは目を細めながら、斜め後ろからインテス様の背中だけを見て黙って歩いた。
岬の先まで来たところで、インテス様はようやくこちらを向いた。紫のきれいな瞳がいつもの何倍もきらめいているように見えて、シディはハッと息を飲んだ。
もう何年も一緒にいるのに、この方はまだまだ、そしてしばしば自分をどきりとさせる。共寝をするときはもちろんだが、こうしてただ歩いているようなときですらそうだ。
と、インテス様が目の前で片膝をついて、シディは慌てた。
「えっ? あ、あの──」
身を引こうにも、片手はインテス様にしっかりと握られたままである。
下から熱のこもった視線で見上げられて、シディは喉がつまったみたいになった。言いかけた言葉を思わず飲み込んでしまう。
「シディ。以前にも申したが、あらためて言わせておくれ」
「は……はい?」
ばっくんばっくん。
心の臓が次第に早くうちはじめ、口から飛び出そうになっていく。
「私との結婚を、正式に申し込みたい。……どうか、受けてくれないか」
「い、いんてす……さま」
けほ、とひとつ咳が出た。
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