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第二章 スメラギの秘密
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しおりを挟むいまだ喪の明けぬ宮中で、タカアキラは今まで以上に剣術や柔術、勉学などにも励みつつ、その時を慎重に待った。
皇太子ナガアキラはさほど父たるミカドの御前に参上するわけではないけれども、あのヒナゲシの言った通り、ほかの皇子たちがミカドに近づくことを警戒しているようだった。ミカドの周囲には明らかにナガアキラの息の掛かった武人らが常に張り付いて警護にあたっており、おいそれと他の皇子が近づくことは叶わない。
これらのことも、タカアキラが時間を見つけては<隠遁>の力を使い、父や兄のいる棟に再々足を運んでわかってきたことに過ぎなかった。タカアキラは慎重に時間を掛け、父や兄らの日々の生活の様子を調べて、どうにか父に近づく機会はないものかと窺っていた。
その後さまざまに検討し、結局のところタカアキラは、やはり夜になってから直接ミカドの寝所へ忍んでゆくことを選んだ。
もしも万が一あのヒナゲシの見立て違いであるならば、当の父からこの無礼の段を糾弾されて自分の命も危ういのかも知れない。しかし、あまりのんびりしている訳にもいかなかったのだ。
宮中では、亡くなったヒナゲシの喪が明け次第、すぐにもナガアキラの次なる后を選ぶ計画が進行するはずだった。このままではまたすぐにも、あのヒナゲシのような悲哀の女性を生んでしまうことになる。こうした場合のための「保険」として、ヒナゲシと同じ代の少女たちが数名、まだあの<燕の巣>にとどめ置かれているに相違なかった。
◆◆◆
そして、その夜。
タカアキラは十分に下準備をした上で、またも自分の寝床から忍び出た。このごろでは<隠遁>の技を使うことにも随分と慣れ、己が体や衣服のみならず、周囲のものもともどもに人々の視界から隠す術を身につけている。たとえば、開いた妻戸があたかも開いていないかのように装うことすらできるのもそのひとつだ。
タカアキラは足音を忍ばせて、すでに通い慣れた庭の中の道を、まっすぐに父の眠る寝所に向かって走った。
寝所の表には当然、それぞれの妻戸の前に宿居の武官が座っている。しかし、事前に調査した限りでは、彼らはいわゆる<恩寵もち>の男らではなかった。従ってタカアキラが自分の<隠遁>を発揮している限りにおいて、寝所に滑り込むことはたやすかった。
自分の寝所とさして変わらぬ広さのそこには、中央に御帳台が据えられている。御帳台というのは天蓋つきの寝台のことを言うのだが、周囲に帳を垂らしたつくりで、部屋の四隅に控えている宿居の者らからは中が覗きにくくなっている。これはうってつけだった。
タカアキラは足音を忍ばせて、仰臥されている父の枕辺ににじりよると、改めて「気」を集中させ、<隠遁>の力を増大させた。これで、この御帳台ごとタカアキラの能力の影響下に入ることになり、部屋の中の臣下たちにも内部の話は聞こえなくなる。
帳の内側からそっと外の者らの様子を確かめてから、タカアキラは父の枕もとに戻ってその耳に口を寄せた。
「……父上様。父上さま」
ミカド――真名をモトアキラとおっしゃるのだが――は、タカアキラの声を聞いた途端、ぱっとお目を開けられた。
そして瞳をめぐらし、そこに息子の顔を認めるや、「あっ」と小さく声を立てかけられた。タカアキラは慌てて人差し指を我が唇にあて、「お静かに」と囁いた。そうして、あのヒナゲシほど上手くはないのだったけれども、心のうちだけで父の心に語りかけた。これも<感応>のひとつの能力ではあるのだ。
《突然に、驚かせ奉るようなまねをしましたること、どうか平にご容赦くださいませ。第三皇子、タカアキラにございます》
「…………」
父は絶句して、まじまじと我が息子の顔を見つめているようだった。当時の父は御歳三十路をすこしばかり越えたほどだったのだけれども、すっと細身で整った顔立ちの男子だった。面差しはあのナガアキラにもよく似ておいでのようだったが、その額には覇気がなく、どこかやつれているようにも見えた。
タカアキラは急いでまた<念話>を使い、「どうかお心のうちだけでお答えください」とお願いをした。
父は驚いた目はそのままに、ゆっくりと上体を起こすと、静かに頷き返してくれた。
そして驚くべきことに、意外にもごく滑らかな調子でもって「分かった。取り乱したところを見せてすまなかったな、タカアキラ」と、同じ<念話>で答えてこられた。
《……父上。<念話>をお使いになれるのですか》
ついそう尋ねると、父は気弱げな表情で静かに笑った。それは自嘲の笑みに見えた。
《まあ、わずかばかりのものなのだがな。そなたにもその力があってまことに良かった。でなければ余のものは、相手とうまく意思を通じることも叶わぬ程度のものだから》
《……そうなのですか》
《うむ。幸いにしてそなたには、それ以上の<恩寵>があるようで何よりだ。ヒカリが知れば、さぞや喜んだことであろうよ──》
「ヒカリ」というのは言うまでもなく、タカアキラの母、故「光の上」のことである。
父は懐かしそうに、かつ寂しげな微笑を浮かべてタカアキラを見た。その瞳には、いつも公の席で見せてくるあの冷たい眼差しや態度は微塵もなかった。そのことに心中驚きながらも、タカアキラはほっと胸を撫で下ろしていた。なるほど、ヒナゲシの弁は間違いではなかったらしい。
と思ううちにも父の手が、そうっとこちらの顔へと伸ばされてきていた。
《どうか、よく顔を見せておくれ。昔から、そなたは最も、あのヒカリに面差しが似ておったからな……》
《はい、父上……》
父の手がそのまま自分の頬に優しく触れるのを、タカアキラはわずかに震えながら受けたのだった。
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