154 / 191
第六章 舞楽の宴
5
しおりを挟む「者ども、出合え! ここな反逆者どもを捕らえるのだっ!」
しかし、彼の言葉どおりのことは起こらなかった。
「ぬ……?」
兄は不審げな顔になり、尚も何度かそこに触れ、素早く周囲を見回す様子だったが、何度やっても同じだった。
「どうしたというのだ。みな、出合え! 一体どうしたのだ、衛士どもは……!」
「ん?」
「おお……?」
これまで呆然と事の成り行きを見守っていた大臣連中も、束帯の袖の下でごそごそと似たようなことをやっている。しかし、本来であれば「何事ですか」と駆けつけてくるはずの武官の一団はちらとも現れはしなかった。
それどころか、すぐそばでこれらの事態を見ていたはずの槍や弓を手にした衛士たちがいつのまにやらその場に倒れてすっかり眠り込んでいる。大極殿の前庭のそこここで直立不動の姿勢で立っていた数十名の男たちが、すべてそのような状態だった。
もちろんこれは<催眠>の恩寵を持つエージェントの仕事だった。<恩寵>もちの彼らにとって、それを持たない一般人の脳を操るなどは赤子の手をひねるよりも容易いことなのだ。
彼らはこの舞台の周りだけにいるのではない。すでにずっと前から変装をし、かれら衛士の間にまぎれこませてあったのだ。
ベータがふはは、とせせら嗤った。
「なんの準備もせずに俺たちが、こんな場所へのこのこやってくるとお思いか? 兄上殿」
「き、貴様……!」
兄は歯ぎしりせんばかりの顔である。
「試しにやってみればいいが、まあ同じことだと思うぞ。この内裏にいる武官という武官について、すべてこちら側で抑えさせて貰っている。……ああ、大臣がたの家臣どもも同じだからそのつもりで」
ちらっと周囲の衣冠束帯姿の男たちを見やって、ベータはちょっと肩を竦めて見せた。
「さて。ということで、選ぶのはお大臣がたという話になるな。どうするんだ? あんたらはそこのもと皇太子殿下の側につくか。それともこちらのミカドと、新しい皇太子殿下につくか」
「ぬ……」
「ううっ……」
周囲から掠れて悲鳴じみたなんとも言えない声が聞こえた。ベータは構わず言葉を継ぐ。
「ああ、先に断っておくが。すでに今後の政の形態については、大筋が出来上がっている。お大臣がたには悪いんだが、あんたらのほとんどが今まで通りの権益を享受することは難しくなるだろう」
再び座がどよめいた。
「な、なんと……?」
「基本的には能力優先。身分や血筋にはこだわらん。今まで平民やら賤民やらと呼ばれてきた奴らの中からも分け隔てなく、能力と忠誠心に厚い者から重用する。……と、まあそれが大体のミカドと新皇太子のご意向だ」
「いや、しかし、それはっ……!」
驚愕と反発、不安と不信。
そんなような感情の入り乱れた恐慌の「気」がうわっと大臣らの並びから立ちのぼる。それはアルファの目からすると、濁って澱んだ紫色の靄に見えた。
どす黒く煮凝った、澱のかたまり。それはこのスメラギという惑星が数千年かけて溜め続けた、腐れた膿そのものだ。
心の水底からあがってくる熱い何かを覚えずにはいられなくて、アルファはつっと前に出た。
「皆様。……どうか、お聞きください」
すると、それまで前にいたベータが顔を半分だけこちらに向け、にやりと口角を上げて一歩引いた。
皆の視線が自然と自分に集中してくるのを感じて、アルファは一度深く息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。そうして徐に言葉を始めた。
「どうか、皆さま。おひとりおひとりが、きちんと考えて頂きたいのです。これまでのこの、スメラギという国の在り方。私を含め、『高貴』と呼ばれてきた人々が享受してきたものと引き換えに、一体何を犠牲にしてきたかという、そのことを」
あの<燕の巣>の子供たち。
母、光の上も、ベータの母、二の君も。そしてあのヒナゲシも。
ここにいるエージェントたちも、その家族も。
……そしてこのベータ──いや、ムラクモも。
みんなみんな、この利己的で理不尽なスメラギの「貴人」たちの犠牲、つまりは人柱にされてきた。
「斯様な犠牲、人柱の上に成り立つ国家とはそも、何だというのでしょう。わたくしはこの数年、とある場所で幽閉されていたも同然で、余所で決して多くを見聞きしてきたわけではありません。されどそんなわたくしですら、この国家は根本が歪んでいると思えてならない」
「そも、国家というものは民を安んじてこそ意味があるのではないのでしょうか。こうしてごく一部の者だけが享楽に耽り、他の多くがその日の食事も満足にとれぬような生き方を余儀なくされる。そのようなものが、本来の国家というものなのでしょうか」
前庭に居並ぶ者は、いまやしんとしてアルファの声を聞いている。
アルファは傍で自分の手を握ったままの父の手のぬくもりを感じ、前に立つベータ、脇にいるザンギやミミスリの気などまでを感じつつ、思うままを言葉にし続けた。
「この場には、こうした事実を知らぬ御仁もあられるとは思います。ゆえに敢えて申し上げます。<燕の巣>から生まれいでた多くの子らが、多額の代価と引き換えに、この何千年というスメラギの歴史の中で怪しからぬ筋にその身を売られ続けてきております。子らはここで言葉にはできぬほどの、それは惨い仕打ちの果てに、まさに非業の……非業の最期を遂げてきたはずでございます──」
そこでつい自分の声が掠れて、アルファは腹に力を入れ、再び前をぐっと見た。
どよ、と一部がざわめいたのは、恐らくその事実を知らなかった下級の文官らや女官たちなどだと思われた。
「斯く申すわたくしも、お恥ずかしながらこの数年、その一端をこの身に受けることに相成りました。……つまり、その売られた子らと同様の憂き目を見るに至ったのです」
ざわっと、さらに一同のどよめきが大きくなる。
「えっ?」「まさか、殿下が?」「一体どうして、そのような……」と囁きかわす声がちらほらと耳に入った。
父がアルファの手を握る力がぐっと強くなり、振り向いたベータの瞳がちらりと悲し気な色になって逸らされる。
アルファはそれにそっと微笑み返し、また皆のほうに目をやった。
「そうまでして守らねばならぬほど、皇家の純血は尊いものだと言えるのでしょうか。……まことに? 本当に……? わたくしには、どうしてもそうは思えぬのです」
「ですからどうか、考えて欲しい。少なくともわたくしは、斯様に歪んだ皇家の血筋を守らんがため、父も母もおらぬ非業の子らを生み出して叩き売り、国家の人柱とするような、そのようなことはもうやめにしたい」
「もう二度と、そのような状態で産み落とされ、自分の意思すらわからぬうちに奴隷以下の扱いで搾取される子らを生み出したくはないのです──」
ざわざわと、ゆらゆらと、大極殿前庭の人々の空気がゆらぐのが分かった。
皆がそれぞれ、自分の立場によって迷い、悩み、考えているのが手に取るように伝わってくる。
と、鋭く斬りこむ声があった。
「甘っちょろい御託はそれで終わりか?」
0
あなたにおすすめの小説
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
溺愛極道と逃げたがりのウサギ
イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。
想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。
悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。
※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。
二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる