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第七章 兄二人
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しおりを挟む「俺はそいつの、そのお綺麗な顔が憎うて憎うてたまらんのだからな……!」
兄の狂ったような絶叫が、座敷牢にこだました。
アルファは再び声を失って、鬼面と化した兄の顔を見つめていた。吹き付けてくるのは恐ろしい怒りと憎しみの「気」だ。
兄の心はもうその気持ちに凝り固まって、誰が何を言おうとも溶けることはないのかも知れなかった。ましてや彼の憎しみの元凶ともいえる自分が何を言っても、通じるはずがないのは道理だった。
為すすべなく項垂れたアルファを見て、ミミスリとザンギがじろりと兄を睨みつけた。
「殿下。こやつはずっと斯様な調子なのです。訊問など、ここまでほとんど成立した例もございませぬ」
「もうおやめください。これでお分かりにございましょう。こやつと話すのは無駄にございます。当人が望むとおり、死罪にでもしてやるよりほかございませぬ」
「…………」
ベータだけは何故かひと言も言わず、特に感情の乗らない目でツグアキラを見返しているだけだ。
と、ツグアキラはそのベータに向かってにやりと笑った。
「おお。そこな男妾は黙っているのか。大切なご主人が目覚めたとあって、急に身なりを整えたようだな。なるほど、そうしていればなかなかの美形ではないか。皇の子に侍るだけのことはある。さすが、犬は己が役割をよう知っておるわ──」
「な……」
アルファは慄然とした。
何を言い出す。
この男は何を言っているのだろう。
ベータに向かって、なんという暴言を投げつけるのか。
(『男妾』……と言ったのか?)
ふつふつと沸きたってきた腹の底を押さえつけ、アルファは意識的に静かな声を作って言った。
「おやめください。彼は、左様な者ではありませぬ」
「ほう? 何がどう違うのだ、皇太子殿下」
兄はにへらにへらと気持ちの悪い笑みを崩さないまま言った。もとが美形であるだけに、そのひきつった笑みは醜怪だった。
「そやつと何度も夜を共にしておるのだろう? まあ見たところそなたの方が、私と同じ側ではあるようだが。いずれにしても同じことよ。金で買われて体を差し出す者と言うは、なべて『妾』また『犬』であろう」
「そんな──」
「まこと、卑しいことよなあ。金さえもらえばどこの女だろうと男だろうと平気で相手するような野良犬ではないか。そなたもさぞや、そやつの手練手管で夜な夜なひいひい啼かせてもらっておるのであろうな?」
「ちがうっ……! ベータは──」
(やめてくれ……!)
そんな下世話な言葉で彼を貶めるなんて。
そんな輩とこのベータとを一緒くたにするなんて──。
いや、もちろん以前のベータはそう言われても仕方のない仕事もしてはいた。その夫から金を貰って人妻を誑かし、離婚の手助けなどまでやっていた。だからこの場面でそういう揶揄を浴びたからといって、さほど大きな顔ができる男でないのは確かだ。
(しかし、ベータは──)
だからといってこんなところで、それも他ならぬこの男に、こんな風に貶められる謂れはない。断じてない。そもそも彼がそういう仕事をしてまでも生き抜かねばならなかった理由の多くが、このスメラギにある以上は。
耳を塞ぎたい思いに駆られながら、アルファは兄を睨みつけた。
「それ以上おっしゃらないでくださいませ。でないと──」
途端、兄の目がぎらりと光った。
「ほう? 『でないと』なんなのだ? 言ってみろよ、皇太子殿下」
「う……」
「憎いのか。殺したいのか? どうとでも、お前の好きにしてよいのだぞ。車裂きでも鋸引きでも、好きに処刑すればいいことだ」
「な……」
アルファが言葉に詰まったその時だった。
「やめろ」
目の前に遮るように、すいと手が差し出された。
ベータだった。
「黙って聞いていれば。どこまで乗せられやすいんだ、この皇子サマは」
「え、ベータ……?」
それは明らかにアルファに向かって言われた言葉だった。
「こんなお粗末な挑発にほいほい乗りやがって。人間、そうそう素直なばかりでも先々困るというもんだぞ」
「え……え?」
アルファは目を瞬いた。ベータは面倒くさそうに半眼になり、ちょっと肩を竦めている。
「言っておくが、こいつはずっとこんな調子だ。これさえつつけば俺が怒り狂うとでも思ってるんだろうが、そうは問屋が卸さんさ」
言ってアルファの表情を読み、ベータは片眉を跳ね上げた。
「わからんのか? これはこのお兄さんの常套手段だ。お前や俺を怒らせて、できればさっさと極刑にして貰おうとしている。それで最後にお前の顔に泥が塗れれば御の字なのさ。こんな分かりやすい手にうかうか乗るな、バカ皇子」
「ベ、ベータ……」
ふと脇を見れば、ザンギもミミスリも「左様、その通り」と言わんばかりに頷いている。とは言えもちろんミミスリは「バカ皇子とは何事だ。言葉を慎めスケベ面」とひと言釘を刺すのを忘れなかったが。
憎々しげな顔のままこちらを睨みつけているツグアキラを一瞥して、ベータはにかりと笑ったまま言葉を継いだ。
「考えてみろ。こいつにしてみれば、このところの顛末でお前についた家臣どもをなるべく多く引きはがしたい。そのために最も効果的なのは何だ?」
「え……。それは」
変な顔になってしまったアルファを見て、ベータがほんのわずかに肩を落とす。完全に「やれやれ」といった顔だ。
「『お前が無残に血族を殺すこと』だ。それに尽きる。ここでお前が挑発に乗り、怒りに任せて一言でも『こいつを殺せ』だの『八つ裂きにしろ』だの言ってみろ。こいつは晴れて、お前の声望に瑕疵をつくることができるというわけだ」
「…………」
「『清く優しいタカアキラ殿下』も、結局は人の子だ。憎ければ肉親だとて容赦はしない。自分の命を狙ったとはいえそもそも血を分けた兄たちを残酷なやり方で八つ裂きにした。そんな噂が流れてみろ。今後の政権運営にどれだけの障害を抱えることになることやら」
アルファは絶句して兄を見やった。
ツグアキラは面倒くさげな顔になり、鼻を鳴らして横を向いたきりである。どうやらベータの言が本当であるということらしい。
ベータは相変わらずの静かな瞳でひたと次兄を見つめたまま言った。
「このお兄さんはもはや、死ぬことなんぞ何とも思っちゃいないのさ。お前を引きずり下ろすことのほか、何も考えていやしない。……それこそ、美しいぐらいにな」
「…………」
ベータの言葉が進むにつれて、兄の瞳に宿る憎悪の炎はさらに燃え上がったように見えた。
「単に残酷な死を賜るぐらいのことじゃ、こいつにとっちゃむしろご褒美みたいなもんだ。そんなもんでは、こいつに『お灸』を据えたことにはならん。だから処遇は、よくよく考えて結論を出せ。……それに尽きるぞ、皇子サマ」
「あ、兄上……」
アルファは思わず立ち上がると、格子の傍に歩み寄った。
「教えてください。いったい、どうして……? 何故そこまで、このわたくしをお厭いになるのでしょうか。私の何が、貴方様をそこまで──」
が、兄はぷいとそっぽを向くと、最前のようにまた床にごろりと横になり、向こうを向いてしまった。
「…………」
アルファは唇を噛んで項垂れる。と、背後から多少呆れたような声がした。
「別に、わざわざ本人に話させる必要はなかろう」
もちろん、ベータだ。不思議に思って見返すと、星の色の瞳がさらに呆れたように細められた。
「……お前。あまりにも封印しすぎて、自分の<恩寵>も忘れたか」
「……あ」
言われてようやく、アルファもそのことに思い至った。
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