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第七章 兄二人
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しおりを挟む物心のついた頃には、とうに母から引き離されていた。
もちろん、それは兄、ナガアキラとても同じだった。だが、皇太子として文武両道において厳しく育てられながらも大切にされている兄とは違って、<恩寵>なしの只人たる第二皇子など皇家にとってほとんど無用の存在だった。
このまま長じても何らの<恩寵>も受けぬままとなれば、いずれは臣下にくだり、兄たる皇太子がミカドにのぼったときその手助けをする立場になる。それ以上のことは何も、彼に期待されてはいなかった。
とは言え無論、腐ってもミカドの子だ。周囲の臣下らや身の回りの世話をする女房たちは当然ながらツグアキラのことだとて下にも置かぬ扱いだった。だがそれでも、ツグアキラは知っていた。それが単なる表面上のことに過ぎず、彼らの目の中には間違いなく、この第二皇子を侮り見る色があることを。
聞けばまだ母のもとで育てられている弟、第三皇子タカアキラにはすでに素晴らしい<恩寵>が片鱗を見せているのだという。このままいけば恐らくはあの弟が第二皇位継承者になるのは間違いなかった。
成人の儀を終えてから後は、男子はたとえ親子といえども母に直接会うことを許されなくなる。万が一見つかれば、重い罰を受けることは避けられない。だからツグアキラは、成人する直前までなるべく暇を見つけては、そっと「曙光の宮」へ忍んでいくことが多かった。
母、光の上は、すでに男子を三人もお産みになったとは思えないほどに若く華やいだ姿の女人だった。それは単に外面的なことのみならず、お心映えまでが清く美しい方なのだというのが、宮中でのもっぱらの評判だった。そうして、上の二人の子は早々に手元から離されてしまったため、母は今では一人だけ手元に残してもらえた末弟をひどく愛しているようだった。
「ははうえさま、ははうえさま」と幼い声をたて、子供の着る童水干の袖をはねさせて母にとびついていく小さな皇子を、少年はいつも物陰から恨めしい目で見つめていた。
もしもこの視線に憎しみという名の矢がつがえられるなら、あの弟はそれによって何度貫かれ、命を落としていることだろう。仲睦まじい二人の姿を見るにつけ、ツグアキラの胸の壁には真っ黒な澱がぬかるみ積もり、凝り、へばりつきつづけていった。
やがて、ふとしたことから病を得た母はあっという間に他界した。
さらに数年後、そんな「はなたれ小僧」だったはずの弟も十四になり、正式に成人の儀を経てミカドや兄たちに挨拶に来た。その時、上座にいる父のみならず、兄も周囲の大臣たちも思わず息を呑んだのが分かった。
弟はまさに、光輝くばかりの美貌の少年に成長していた。涼やかな目元。品のある顔立ちと物腰。それらすべては、もはやあの母に生き写しかと思われた。たとえそれと知らない者であっても、彼をひと目見ればすぐさま、あの「光の上」と呼ばれた母の面影を彷彿とさせるほどのものだった。
一の后たる母を深く愛していた父ミカドが、そんな弟を愛するのは当然の成りゆきだった。もちろん父はその思慮深さを遺憾なく発揮して、息子たちを分け隔てなく扱おうとはなさっていた。しかし当然、その目つきやら言葉の端々で抑えきれぬ愛情を表現してしまうほどには素直でありすぎた。
ツグアキラにはよく分かっていた。兄、ナガアキラは長男として、また皇太子として最も大切にせねばならない立場だ。だから父もそれなりの配慮をする。しかし何と言ってもことが「愛情」ということになれば、それは間違いなく、あの弟タカアキラに対して最も多くの部分が注がれていたのだった。
そうなれば、ツグアキラの立つ瀬などはどこにもなかった。皇太子のお立場を持つ兄と、父の愛情を一身に受ける弟。その二人に挟まれて、臣下たちからもひそかに侮り見られるだけの少年は、急速にその心を萎えさせ、水気を失い、病んでいった。
(気に入らぬ。気に入らぬ……!)
少年は女房や下働きの者に命じてときどき小さな犬や猫などを所望した。当然、可愛がるためのものと思ってかれらがつれて来るそれは、どれも愛らしく美しい生き物ばかりだった。
だが、少年はそれを、決して可愛がるために所望したのではなかった。
追い回して矢を射かける、刺し殺す。あるいは水に沈めて苦しみ抜かせ、絶命させる。体の一部を少しずつそぎ取って、その悲鳴と断末魔を聞き、やがて最後の痙攣を見せて動かなくなり、冷たくなっていくのをじっと見つめる。生きて動いていたものが、ただの「物」になり果てていく様は、どうしようもなく少年の心を暗く癒した。
それらの生き物は、彼のそういう歪んだ「楽しみ」のための供物でしかなかった。それが可愛ければ可愛いほど、美しければ美しいほど、少年の嗜虐の度合いは強まった。彼らの発する痛みを訴える悲鳴が、最期の足掻きが、彼の心をやっと瑞々しく保たせてくれるような気さえしていた。
兄とのことは、弟が成人する少し前から始まった。
初めは勿論、ツグアキラが自ら望んでそうしたことではなかった。
とある夜、寝所で横になっていたツグアキラは、突然自分の体が思うように動かせなくなっていることに気づいた。「これはいったい」と思っているうちに、自分の体は勝手に動いて寝具から這い出し、周囲の宿直の者らに「ついてくるでない」と勝手に言い渡して歩き出した。
あれよあれよと思う間に、ついたのは兄の寝所の前だった。ツグアキラの口はまた勝手にそこを守っている衛士だの女房だのに「邪魔をするでない」と言い渡し、部屋の奥、御帳台の手前に立ててある几帳ごしに奥に声を掛けた。
「兄上。……兄上。ツグアキラにございます」
途端、兄がばさりと几帳台の帳を跳ねのけて現れた。
(これは……?)
さすがのツグアキラも息を呑んだ。
その瞳は、凶兆といわれる赤い月の色よりも赤く、暗い中で輝いていた。
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