星のオーファン

るなかふぇ

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第七章 兄二人

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 不届きな囁きを流し込んできたのは、右大臣ヨリナガだった。
 この男は以前から、下級貴族やら武官やらを中心とした「温情派」とでも言うべき一派をうるさく思っていた。かの派閥は政治的にさほどの力こそなかったものの、一般庶民たちからは絶大な信頼を得ており、陰に陽に彼らからの多くの協力を得ているという話だった。
 彼らはもとからあの弟タカアキラに未来を託すところがあったらしい。かの美しく優しい皇子であれば、これまでのような貴族偏重のご政道を少しは正してくださるのではないか。その温情によって、苦しき庶民の暮らしを少しは顧みてくださるのではないか──。
 タカアキラに確かな<恩寵>があると分かってからは、それはより顕著なものになった。彼らはできることなら皇位継承者を兄ナガアキラからタカアキラへと移譲できないものかと様々に画策し蠢いていたのである。

 当然、右大臣派の面々はそれを疎ましく感じていた。
 そうして水が低きへ流れるがごとく、タカアキラを疎んじるツグアキラに擦り寄って来たというわけだ。

 ヨリナガは言った。
「なにも、殿下ご自身の手を汚す必要はございませぬ。これは戦争。戦時に何が起こるかなど、神ならざる身にはわかりませぬ。ユーフェイマス、ザルヴォーグ双方に潜ませておる間諜の報告によれば、もう少しすればかなり大きな海戦が起こるは間違いないとのことにござりまする」
「タカアキラ殿下をうまくそこへおびき出しましょうぞ。恐らく皇太子殿下は体面上、弟殿下を後方へ配備させよとおっしゃるでしょう。その場合でもどうにかなるよう、うまくことを運べばよろしいのでござります。ものはやりよう。要はの使いようにござりまする──」

 頬や顎にぶくぶくと醜い肥りじしを蓄えたヨリナガは、笏の後ろでぐふぐふと含み笑いながら己が頭を指さした。その傍に寄るのでさえ怖気おぞけが走るのを堪えながら、ツグアキラはその計画の全貌をよくよく聞いて頷いたのだ。「わかった。良きにはからえ」と。

 あとのことは、タカアキラもよく知る通りである。
 ザルヴォーグに潜ませてある<恩寵>もちの間諜らを縦横に使い、ヨリナガ派は己が計画を着々と進め、最終的に成功した。実際には様々な予定外の事態もあったようだが、結局はうまくタカアキラの乗る戦艦を攻撃せしめ、彼を行方不明にすることができたのだ。
 さらにヨリナガは面白い話を聞かせてくれた。
 我がスメラギ人に異常な愛着を見せる富豪の男らによって、大海戦後の宙域を掃海させようというのだった。もしもタカアキラが存命で、いつかスメラギに戻ってくるようなことになっては一大事。そういう針の穴を通すような事態になることさえ避けるようにと、ヨリナガは様々の手を打っていた。
 あの時、その宙域の情報を流したのは、何も例の蜥蜴の男一人にだけではなかった。ヨリナガ一派は、これまで<燕の巣>から「売却」した子らの引き取り先、つまり完全体のヒューマノイドを愛玩する傾向を持つ人物には片っ端から、「ひょっとするとあそこでは、素敵な落とし物を拾えるかもしれませぬぞ」とばかりに甘い囁きを流したのである。食いついた者は多かった。そのうちの一人が、あの蜥蜴の富豪、ゴブサムだっただけのことである。

 やがて弟皇子が強運をもって命を永らえ、しかし最後にはその蜥蜴の男に捕らえられて咥えこまれたという顛末を、ツグアキラはヨリナガから聞かされた。
 いやもう、腹の底から湧き上がってくる笑いを堪えるのには苦労した。
 ツグアキラは部屋を飛び出し、広い庭の片隅に走った。そうして人払いをしてから、涙を流して大笑いした。転げまわり、手足をばたつかせて大いに笑った。

「あっははは。あーっはははは──!」

 勝った。これで、勝ったのだ。
 ざまを見ろ。ざまを見るがいいのだ。
 これでもう、あの忌々しい弟皇子にこの心をかき乱されることはない。
 もう兄上があの弟を物欲しげに見つめるあの目を見せつけられないで済むのだ。
 こんなに楽しいことはない。

 犯されろ。
 体も心も、めちゃくちゃに犯されてしまうがいい。
 貴様のように母に甘やかされ、誰にでも無条件に愛されるような奴。
 もっともっと、人生の悲哀を味わうがいいのだ。その本当の苦しさを、理不尽さを、その体で知るがいいのだ……!

 ツグアキラがこれほどまでに我を忘れて笑い狂ったのは、あとにも先にもそれ一度きりのことだった。



◆◆◆



「大丈夫か、アルファ」

 言われて初めて、アルファは後ろからベータに支えられている自分に気づいた。どうやら、ぐらりとバランスを失って倒れそうになったところを抱きとめられたようである。
 ふと見れば、座敷牢の中では先ほどと変わらぬ姿勢でツグアキラ兄が向こうを向いて横になっている。どうやらここまで見たものは、ほんの瞬きの間に自分の中に流れ込んできた兄の記憶であったようだ。

「…………」

 アルファは黙って兄の背中を見つめたが、一度だけそちらに頭を下げると、ベータの手をやんわりと断って自分の部屋に戻りかかった。ベータはこちらの顔色を目ざとく見切ったような顔で、微かにため息をついた。

「すまん。どうやら要らんことを勧めたようだ」
「え……」
 珍しく謝罪の言葉が来て目を上げる。
「どうせそんなことになるとは思っていたんだがな。何を見たかは大体想像がつくが、あまりあいつを憐れむな」
「え、ベータ……」
 自分でも驚くほど掠れた声しか出なくて、アルファは黙り込んだ。
「お前をあんな目に遭わせた奴を、皆は憎み切っている。下手に罰を軽くすれば、必ず不満が出ることになるぞ。下々に温情を持って当たるのは重要だ。だが、それと臣下から舐められるのとは別の話だ」
「こやつの申す通りにございます」
 口を挟んだのは、背後からついてきていたミミスリだ。
「ナガアキラはともかくも、ツグアキラとヨリナガについては重罪に処するのが妥当かと存じます。特にヨリナガは臣下の分限を甚だしく逸してツグアキラをそそのかし、一族郎党及び右大臣派の面々と共に大いに旨味を吸い上げてまいりました。そのもとは勿論、あの<燕の巣>の子らを売ることによって得られたもの。易々と許されるべきにはございません」
 彼の怒りのほどは、その目つきと逆立った首の後ろの毛を見るだけでも明らかだった。ザンギは何も言わなかったが、炯々と光るその猛禽の目が「然り」と強く主張していた。

「うん……。わかっている。わかっているよ──」

 力なく頷いて、アルファは自室に戻った。
 「すまないが一人にしてくれ」との言葉に対して、否やを言う者は居なかった。が、ベータだけは何か思うところがあるかのように、しばらくじっとアルファを見つめていたのだった。

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