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第八章 愛別離苦
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しおりを挟むベータが目を剥く。アルファもまた、絶句していた。
「どういうことだ」
ベータは絞り出すように言うとマサトビに詰め寄った。今や氷のようになったその瞳が恐ろしい光を放って小男を見下ろしている。
「いい加減なことをぬかすと承知せんぞ」
今にもその胸倉を掴み上げそうである。マサトビは驚いて、思わず後ろへ半歩ほどさがった。
「い、……いえ。何度も調べ直してみたのでござります。目の光る形質は、確かに完全体のヒューマノイドとしてはスメラギ皇家独自のもの。たとえ同じスメラギの者であっても、<恩寵>なき者にはまず発現することのない形質でもございます。つまり二の君様にも、その形質はもともとなかった」
「だから?」
ベータの声は「だからさっさと結論を言え」と言わんばかりだ。
「で……ですから」
マサトビはぷつぷつと噴き出した額の汗を手の甲でぬぐった。
「二の君様は、かの貴族のもとへ参られる前こちらに来られ、なんらかの方法でこちらに保存されている遺伝形質を──平たく申さば精子を、でござりまするが──その体内に取り込んだうえでその家へ入られたのでござりましょう。もとより、皆さまもご存知の通り、そのような形で貴族に下げ渡された女人が子を孕むこと自体、許されぬことにござりましたゆえ」
「…………」
「お、……思うに」
ようやくひと息ついて、マサトビは態勢を立て直し、まっすぐにベータを見上げた。
「二の君さまは、お子が欲しくてあらせられたのではないかと。それも、非常に。斯様な朴念仁のわたくしなどには女人の気持ちなどとんと分かりはせぬのですが、女人の中には人の子の親に、つまり母になりたいという強烈な願いを抱く者も少なからずいるという話にござりまする」
「…………」
ベータの目つきがさらに険しくなった。アルファははらはらして見ているしかない。マサトビは言葉を続けた。
「ベータ殿のお母上は、そうしたお方だったのではあるまいかと。あなた様を心よりお産みになりたいと願っておられた。人の子の、母になりたいと思うておられた……のではないかと。しかし、かの貴族のものになったれば、間違いなくその望みは絶たれまする。だからそうなる前に、どうにかしてこちらで子種を受け取ろうとした……。そのように、勝手ながら推察したのでござりまする」
だれも、何も言わなかった。
場にはただ、古から集められ続けてきた「子らのもと」とでもいうべきものを満たしたものが立てる心音だけが響いていた。
◆◆◆
一同はそのまま、ろくに言葉も交わさないまま外界へ戻った。
<燕の巣>の心臓部から外へ出て、見慣れた寝殿造りの屋根を目にし、蝉の声をきくと、おのずとアルファはほっとした。
「それで……。今後、いかがなさいますのですか、殿下」
おずおずと訊ねてきたのは、後ろからついて来ていたマサトビだった。それは勿論、こちら<燕の巣>の処遇についてのことだった。自然、皆の視線がアルファに集まる。アルファはそれぞれの男たちをゆっくりと見回してから言った。
「……うん。このところ、長らく父上や皆とも話し合っていたのだが。やはり、以前から私が考えていた通りにさせてもらいたいと思っている。幸い、父上も了承してくださったことだし」
やがて視線は、自然とベータの上で止まった。
もの問いたげな星の色の瞳をまっすぐに見て、アルファは少し微笑んだ。
「こちらに保存されている『子らのもと』は、すべて焼却……いや、荼毘に付す。今後二度と、あの子らのような非業の者らが生まれてくることだけは許すべきではないからだ。そして我がスメラギの陵墓の隅に、かれらを祀る陵墓を造りたいと思っている──」
一瞬の沈黙があった。
しかしマサトビはゆっくりと微笑むと、玉砂利の敷かれた地面の上に座り込み、アルファに向かって恭しく叩頭した。
「ご英断かと存じまする。どうぞ殿下のご意思のままに」
ザンギとミミスリも、同様に地面に膝をつく。そうして無言のまま、武人らしく低く頭を垂れた。
「……ありがとう」
ベータだけは頭を上げて立ったまま、じっとアルファを見つめていた。彼らしい強かさを持ちながら、それでもちゃんと優しさを秘め、けれどどこかさびしげなその瞳。やっぱり星の色だ、と思った。
その瞳の奥に瞬くものの正体は分からなかったけれども、アルファは何か説明のつかない胸騒ぎを覚えて彼を見返した。
だが男は、その不思議な目の色をしたままきれいに笑った。
(ベータ……?)
それはなんだか、透き通るような笑顔だった。
彼がそんな綺麗な笑顔を見せたのは初めてだった。それは、これまでその心を蝕んでどぶ泥に彷徨わせていた何ものかから、ようやく解放された人の顔のようにも見えた。
アルファはふと、胸を衝かれて彼を見つめた。
「ベータ──」
「ここまでだ」
「え……?」
それは何か、始まりかけたものをばさりと斬り落とすような声だった。表情がそのままであるだけに、その落差は大きかった。だからアルファは、一瞬なにを言われたのかも分からなかった。
なんとなく、幾重にも折りたたまれた地層のどこかに冷たい氷の結晶が生じた、そんな気がした。
「ここまでくれば、後はあんたらで出来ることだ。幸い<恩寵部隊>の連中の中にも<恩寵博士>にも、優秀な奴は多い。はじめのうちは大変だろうが、それでもどうにかなるはずだ。お前のその、人心掌握術があるならな」
そう言ううちにも、ベータはすでにじりじりとこちらから距離を取っていたようだった。あっという間に彼我の間は五メートルほど離れている。
「そもそも俺は、このクーデターのためだけにお前に雇われていた。その後の国づくりまで手伝うと言った覚えはない。そんな面倒ごとは御免だ」
「ま……まってくれ」
一体、何を言っているのだろう。
嫌な予感ばかりがひしひしと迫ってきて、アルファはこくりと喉を鳴らした。
と、ベータがさりげなく口元に左の手首を持って行くのが見えた。そこに小さく何事かを囁いたようだ。
アルファは目を見開いた。その仕草には覚えがあった。
彼が「彼女」を呼ぶ、その仕草には。
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