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第八章 愛別離苦
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しおりを挟むその後も多忙の日々は続いた。
朝議に次ぐ朝議。さらに、地方へ視察に向かったり、国民に新たなる皇太子として顔を見せる行事、つまりお披露目の御幸などもせねばならない。
訪れるどこの町、どこの村でも、新皇太子は歓迎されているように思われた。若く美しいタカアキラ皇太子の展望は、すでに国じゅうに広まっていたからだろう。それは、力ある人々が弱き者たちからただ搾取するのではなく、人に平等の機会を与えられる世を作るという光に満ちたビジョンだった。
これから新しい時代が始まる。
この方がきっと、この苦しい状況を打破してくださる──。
人々の顔には、そんな希望が輝いているようだった。
しかしそれも、ここからの舵取りをひとつ間違えばあっという間に暗い絶望に逆戻りすることだろう。だから一瞬の気も抜けないのだ。自分は彼らの希望にならねばならないのだから。ひとつの過ちが瞬時に足もとを打ち砕く。今はまだ、そういう気の抜けない段階に過ぎなかった。
アルファの仕事は、さらに忙しさを増した。夜も十分に眠らないこの皇太子を、彼をとりまく人々は心配していた。だがアルファにとって、多忙であることはむしろ救いのようにも思われた。
一人になれば、去来する思いはいつも同じだ。
疲れ果ててようやく深夜に寝床に就いても、どうせ目が冴えて眠れなくなるだけである。それならいっそ、眠らずに働いたほうがいくらかでもマシというものだろう。
ひとり、寝床にいる時間は恐ろしかった。
それは、それまで多忙にかこつけて蓋をしていたはずの懊悩があっさりと顔をだす時間だった。
浮かんでくるのは、ただただ彼の顔ばかり。
そうでなければ、「あの時、ああ言えばよかった、いや言わなければよかった」「こうすればよかった、しなければよかった」と、そんな愚にもつかない後悔がぐるぐると回るばかりだ。
そうして気が付けば、枕をぬるく濡らしているものがある。ミミスリが付いてくれるのは基本的に昼の間だけで、宿直の武人たちはすべて人間型だからよかったけれども、もしそこにミミスリがいたならば、アルファの押し殺した嗚咽を聞いたのに違いなかった。
いや、恐らくは聞いていたのだと思う。
なぜならある日、自室に戻って自分とザンギ、ミミスリだけになったところを見計らったように、彼がこう言ったからだ。
「殿下。まことに差し出がましいことにはございますが」と。
唐突な彼の言葉に、アルファははじめ面食らった。
「な、……なんだい? ミミスリ……」
見ればザンギも不思議な目の色をして、じっとアルファを見つめている。どうやら二人の間ではすでに話のついたことらしい。
「失礼を承知で申し上げます。……殿下は、お考え違いをなさっておいでです」
「えっ? なんのことだい?」
空中に開いたままだった画面を消去させて、アルファは文机から彼に向き直った。
「あやつのことにございます。あそこまで殿下に何も言わずに消えるなどとは思いませんでした。……まこと、忌々しい限りにございます。不甲斐なき我らをどうか、お許しくださいませ」
そこで初めて、アルファは彼がだれのことについて語っているのかを悟った。
つい、少しの間ができた。が、アルファは静かに笑って言った。
「……仕方がないよ。私が、ついあんなことを言ってしまったのだから。愛想を尽かされてもしょうがない」
「違います!」
鋭く返されて、息を呑む。
ミミスリは明らかにその目に怒りを乗せていた。
「先日も申しましたが。あやつは殿下が臥せっておいでの間、それは……それはひどい状態だったのです」
「えっ……?」
ミミスリはそこで少し言い淀んだが、またきっとこちらを向いて言い募った。
「ろくに、飯も食わんのです。それでずっと、殿下のお部屋のそばの桟敷で一人で座っておりました。最低限のことで離れる以外は、もはやそこを決して動かず──」
ザンギも重々しくひとつ頷く。
「こやつの申す通りです。ナガアキラやツグアキラの訊問には一応同席しておりましたが、それ以外はほぼずっとそこに座っておりました。自分の見たところ、ろくに寝ている様子もありませず──」
「そ、……そうなのか」
見ればミミスリも、真剣そのものの瞳でアルファを見返している。その顔にはありありと「俺がこんなことを言う筋合いではないんだが」と困惑するような、また躊躇うような色があった。
「何より、あれほど狼狽えたあやつを見たのは初めてでした。つまり、その……殿下があのツグアキラの槍をお受けになったとき、でございますが」
「…………」
(狼狽えた……?)
あの、ベータがか。
信じられない。
そんな彼の様子など、想像しようとしても無理だった。
と、ミミスリがずいと膝を寄せてきた。
「そこで、殿下。ご相談……いえ、お願いがあるのです」
「え?」
「少しの間、自分にお傍を離れることをお許しくださいませぬか」
「な……なんだって?」
アルファは面食らって、ふかふかした大きな耳をもつ大好きな臣下の男をまじまじと見返した。
「それはまた……急なことだね。何かあったのかい、ミミスリ」
「斯様にご多忙の折にお傍を離れるなど、まことにもって申し訳ございませぬ。なれど、どうしても外せぬ所要ができましてござります」
ミミスリはもう、床に頭をこすりつけるようにして懇願している。と、横に居たザンギも少し膝を進めて、珍しく口を挟んだ。
「どうか、聞き届けてやってくださいませ。殿下の警護は自分だけでも、遺漏なきよう務めさせていただきますゆえ」
そしてミミスリ同様にその横で頭をさげた。
「もしお許しいただけるのでしたら、我が息子、ヤマトをお傍に付けさせてくださいませ。あやつにもそろそろ武人としてのたしなみを叩き込まねばなりませぬし」
「ちょ、……ちょっと、待ってくれ」
アルファは狐につままれたような気になって、目の前で平身低頭している男二人を代わるがわる見やった。
「どういうことだ? 私にもわかるように説明してくれ」
「いえ、それは」
ミミスリはすぐに少し顔を上げて言った。
「申し訳ございませんが、なにとぞご容赦を。きちんとしたことをご報告できるようになりましたら、必ずお知らせいたしますゆえ。どうか自分に、ひと月の猶予を──」
「…………」
わけがわからない。
アルファは困って、彼の隣のザンギを見た。が、ザンギは気づいているのだろうにも関わらず、少し頭を上げただけで黙ってこちらを見据えているばかりだ。
アルファはしばらく考えたが、やがてため息をついて頷いた。
「……わかった。君たちが一度言い出したら聞かないことはよく分かっている。それが決して悪心や利己心から出たことでないこともだ。いいだろう。思うようにしてくれたらいい」
「寛大なお言葉、感謝の極みにございます。斯様な勝手を申す自分を、どうぞお許しくださいませ」
ミミスリが再び、板の間に額をこすりつけた。
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