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第九章 めぐりあひて
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しおりを挟む「ベー、タ……?」
小さな声が耳元でして、びくりと男は停止した。
見れば黒髪の皇子様が、夢見るような潤んだ黒い瞳をあけて、ぼんやりとこちらを見ていた。
ベータは少し体を離し、彼をじっと見つめ返した。アルファは半ば朦朧としたような様子で、いま聞こえたことを反芻しているような顔だった。やがてその目が焦点を結び、ベータをまじまじと見つめてくる。
「あ……の。いま……」
男は思わず、くすりと笑った。
「すまん。聞こえたか」
「え? ……え?」
それでは空耳ではなかったのか。彼の目は確かにそう言っていた。
ベータは彼の脇に手を入れてゆっくりとその体を持ち上げると、まだつながっていた部分から自分のものを退かせた。ぐちゅ、と淫靡な水音がして、彼がまた色っぽく身じろぎをする。
「ん、あ……」
そのまま膝の上に跨らせ、再び彼の体を抱きしめる。
「言った通りだ。……まったく、とんでもないものをかっ攫ってくれたものさ。この皇子サマは」
「ベ、ベータ……」
まだ信じられないという顔で、彼が目を何度も瞬かせる。その唇に、少し音を立てて何度かキスをしてやった。
「しかし、大丈夫そうだな? お前」
「え?」
キスを受けるあいだ閉じていた目がまた開いて、不思議そうにこちらを見た。ベータはわざと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「だってそうだろう。お前は毎回、俺が何かするたびに妙なことになるじゃないか。奇声を上げてベッドから飛び出してみたり、まるきり人格が変わってみたりな。そんな奴、恐ろしくてほいほい触れるか」
「う……」
「今回も、下手をすればまたとんでもない『大変身』をやらかすんじゃないかと、内心ひやひやしてたんだ。まあ、結果オーライで何よりだったが」
「え? それは……」
ベータは人差し指で彼の鼻先を軽く叩いた。
「せっかくこんな可愛い皇子サマになったのに、これでいきなりあの兄上どものような『高飛車・自己中・メンヘラ皇子』に豹変されたら敵わんからな」
「め……めんへ……? なに?」
皇子はまったくわかっていない顔だ。確かにこんな俗語、この青年には似合わない。
「そんなことになってみろ。俺はそれこそ、あの凸凹コンビにあの世送りだ。ここまでの流れからして、そう考えるのが妥当だろう。特に、あのオオカミ野郎なんか発狂しかねん。『貴様、殿下に何をしたァ!』ってなもんだ。頼むからそれだけは勘弁してくれ」
「いや、あのな……」
アルファががくりと肩を落とす。
「いくらなんでもそれはひどい」とその目が恨めしげに睨んでいる。
ベータはくはは、と軽く笑った。
「目が覚めたならちょうどいい。さっそく後始末をするとしようか、皇子サマ」
「あ。ま、待ってくれ」
手早くスウェットパンツを穿き、シャワールームに連れて行くため抱き上げようとしたところを、腕を掴んで止められた。見れば皇子は必死の瞳をしてこちらを見上げていた。
「もう、一回……ちゃんと、言ってくれ」
「あ?」
「その……さっきの──」
言いながらも、どんどん彼の顔に赤い成分が集まっていくのが分かる。見る間にもう耳まで染まった。彼はたまらなくなったらしく、片手で顔を覆ってしまった。
「何を言う。そもそも、前の時だってお前の方が──」
一瞬、そうやってはぐらかしかかったが。指の間からこちらを見てくる彼の瞳の色を見て、ベータは「いや」と思い直した。それはあまりにも真剣すぎる瞳だった。そうしてこちらが下手な反応を見せてしまえば、またすぐに脆くも崩れてしまいそうな、そんな危うさを湛えていた。
「……しょうがないな」
ベータはベッドに座り直し、彼を自分の膝に向かい合わせに跨らせた。
「そんなに再々言うつもりはないからな。大サービスだ。……よく聞けよ」
こく、と皇子がうなずき返してくる。
ベータは彼の顔に自分の顔を近づけてそっと囁いた。
「……愛してる。タカアキラ」
「…………」
皇子の黒い瞳が見開かれ、きらきらと煌めいた。
それは、夢見るように美しかった。
と思ったら、その顔があっという間にぐしゃりと歪んで、黒真珠の瞳には濡れた熱い帳が下りた。それが見る間に下の瞼で盛り上がってあふれ出し、ぼろぼろと零れはじめる。
ベータはまた、彼の頭をぽすぽす叩いた。
「泣くなと言うのに。この、泣き虫皇子」
「っく……うえっ……」
皇子は何も言えないで、ふるふると首を横に振った。ベータの肩をつかんだ手に力がこもる。嗚咽を堪えているのだろう。それでもまったく雫は止まらず、次々その目からあふれ出し、彼の頬を、顎を濡らし続けた。
ベータはそれをキスで拭い、ぺろりと舌で舐め取った。
「なんだ。それで、返事はないのか?」
にやにや笑いながら囁いてやると、アルファは驚いたように見返してきた。やがておずおずと窺うような視線でこちらを覗き込んでくる。
「い……い、のか。わたし、なんか──」
ベータは彼に皆まで言わせず、その唇に吸いついた。
唇を離し、すぐ近くからじっとその黒い瞳を見返す。
「その『なんか』はもう言うな。何度も言った。『俺だって大概だ』、とな」
「…………」
「あの時は、あんなどさくさだったことだし。この際、きちんと聞いておきたい」
それは勿論、彼が胸に槍を受けたあの土壇場の時のことだ。
「お前はどうなんだ? 皇子サマ。……俺のことを、どう思ってる」
アルファはベータの首の後ろに両手を回したまま、しばらくじっとベータを見ていた。その瞳の中に様々な思いが去来し、ゆらぎ、あふれ、ぐるぐるとその場で複雑な螺旋を描き、やがて霧散していくのが見えた。
「……だ、ベータ」
「ん?」
詰まってしまった声帯のせいか、彼の言葉は掠れてよく聞こえなかった。
けほ、と少し咳をして、アルファはまっすぐにこちらを見た。
「……好き、だよ……ベータ」
きれいなきれいな、瞳だった。
もはや胸苦しくなるほどに。
「あい、してる……。ムラクモ──」
ベータはにかりと大きく笑うと、再び音を立てて彼の唇を吸った。
アルファの両手がこちらの顔を挟むように動き、ゆったりと舌が絡まってくる。
「ん……ん。ベータ……」
そのまま彼を抱きしめ直し、ベータはまたゆっくりと彼の体をベッドに沈めた。
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