190 / 191
終章
エピローグ
しおりを挟むそろそろ秋を迎えんとする果てもない蒼穹が、じっと自分たちを見下ろしている。濃淡に織りいろどられたかそけき雲が、重なり合ってひょうひょうとそこを飛んでいる。
吸い込まれそうなその藍の色を見上げながら、アルファはひとつ息をついた。
もと<燕の巣>のあった、皇室の別邸である。
ミカドのおわす宮城よりはずっと小ぶりな曲水の庭、その池の端に、アルファはかの男と佇んでいた。
ひと払いをし、いま周囲には誰もいない。
視線を戻せば、清らかな水を湛えた池の面は自分と彼の影をうつして、なにごともなかったかのように穏やかだった。自分は直衣と冠の姿のままだが、ベータはあっさりとぞろぞろした格好からは解放されて、再びいつものバーテン姿に戻っている。
(……似合っていたのに)
少し勿体ない気もしたが、やっぱりその恰好が彼には一番似合うと思い直した。
スメラギ風の装束もそれは美しく映えるのだったが、あれでは彼の引き締まった腰や背中のあたりがよく見えなくなってしまうから。
「……ここ、なんだな」
「そうらしいな」
ずっとずっと昔、ここに自分と彼の母たちが立って、恐らく悲しい目をしながら最後の別れを交わし、同じようにこの池を眺めていたのに違いなかった。マサトビから「ここがその、お二人がおられた場所にござりまする」と聞いたのだ。
「何をお話しになっていたのだろうな。母上がたは」
「さあな。そればかりは『神のみぞ知る』というやつだろう」
うん、と頷いて、アルファは少しベータの傍へ寄った。
水面にうつるふたつの影がそっと寄り添い、ひとつになる。
彼の肩にもたれさせた頭に、ごく自然な動きで彼の手がのび、静かに抱き寄せてくれた。
「喜んでくださっているだろうか……お二人は」
「そうなんだろう? お前がそう言ったんだろうが」
「うん。それは……そうなんだが」
でもあれは、生死の狭間を彷徨って見た、自分に都合のいいだけのただの夢であったのかもしれない。「あの子をお願いします」とおっしゃった美しい方は、単なる自分の妄想の産物であったのかも。
考えれば考えるほど、どんどん自信がなくなってゆく。
そもそも自分は男なのだ。もしも彼の母君が、彼が可愛い女人と一緒になり、子供をたくさんもうけて楽しい家庭を築くことを望んでおられたのだとしたら?
自分はそれに完全に逆行することをしてしまっているのでは──。
と、つむ、と眉間を人差し指で押さえられた。
「また、つまらんことを考えているだろう。その癖、いい加減にした方がいいぞ」
「……え」
「変なところに皺が寄る。癖になるからやめたほうがいい」
優しくぐりぐりとそこを揉まれて、とうとうアルファは苦笑した。
「少なくとも、お前の尽力であの<燕の巣>はなくなった。旧態依然とした皇族・貴族階級支配も消えようとしている。まだまだ完璧とは言えないし、そこまでには時間もかかるだろうが、いずれはそうなるだろう。そのことだけは間違いなく喜んでいるはずだ。それは俺も保証する」
「……そうか」
男は返事をする代わり、アルファの頭を抱き寄せて軽くぽすぽすとそこを叩いた。
二人でしばらく、黙って池の面を見つめる。
やがて男が何かを思い出したようにアルファから体を離した。
懐から何かを取り出す。
「これを」
「えっ。これは……」
差し出されたものを受け取ってしまってから驚いた。それは前にも彼の隠れ家のひとつで見たことのある、古びた表紙の「星の王子さま」だった。
あの時はまだタカアキラとしての記憶も戻っておらず、「どうしてこんな本がこんなところに」と不思議に思ったものだった。
「やる。お前に持っていて欲しい」
「そ、そんな。だってこれは」
彼がとても大切にしていた本ではないか。確か子供のころに、恐らくは母君から読んでもらったことのある古い古いお話の本。もちろん、その後彼は身一つで逃げなくてはならなかったはずなので、この本そのものを読んでもらったということではないだろうが。
しかし、慌てて返そうとするアルファの手を、ベータの手が包み込んでやんわりと押し戻した。
「俺にはもう、必要ない」
「で……でも」
「いいんだ」
それでもやっぱりと押し戻そうとして、アルファは止まった。
目の前にある彼の瞳に射抜かれて、動けなくなったのだ。
それはこれまで見たこともないような、ひどく優しい光を宿していた。
止まってしまったアルファの唇に、キスがひとつ降りてきた。
「もう、手に入ったからな」
「…………」
それが何を意味していたか。
アルファにもはっきりとはわからなかった。しかし。
じわじわと熱いものが胸の奥から湧き上がってきて、首に、耳に集まっていくのがわかった。
アルファは小さなその本をぎゅっと胸のところで抱きしめた。
「わかった……。大切にさせていただく」
そのまま、本ごと抱きしめられた。
去り行く夏を惜しむように、遠くでしゃくしゃくと蝉の鳴く声がする。
さっと吹き抜けていった風が、水面に小さな漣をたてた。
少し顔をあげ、見つめ合う。
互いに自然に唇を寄せ、それを触れ合わせようとした、その時だった。
「殿下!」
「殿下……!」
わさわさと、武骨な臣下の男二人が曲水の園をとりまく樹木の陰から現れた。狼顔をした男のほうが一足早くアルファの足元までやってきて地面に片膝をつく。
「灌漑を進めておりました西の奥地で、水害が発生した模様にございます」
「なんだって……!」
アルファはぱっとベータから離れて彼らの方を見た。屈強な体躯をした鷲顔の男が淡々と事態の説明を始める。狼男もそれに続いた。
「このところの大雨が災いしました」
「家を流され、田畑が水没し、多くの民らが困窮しておるとのこと」
「水にとりまかれ、孤立している村もあちこちにあるらしく。家を失った民、地崩れに巻き込まれた民、水に流された民、合計数百名に及ぶそうです」
(なんてことだ……!)
これだから、気象調整システムの導入は急がねばならなかったのに。他惑星では、こんなものはとうに常識になっている。気候に左右されやすい農業を守るため、人々は多くの人智を集めて素晴らしいシステム開発にいきついているのだから。
だと言うのにあの貴族連中ときたら、私腹を肥やすことにばかり熱心で、自分の領地以外のことはいっさい目もくれなかったのだ。
アルファは一瞬だけ目を閉じた。拳を握りしめ、唇を噛む。
そうしてきりりと顔をあげた。
「すぐに必要な物資を集めよ。備蓄している食料、衣類のとりまとめを。緊急用の飛行艇をかき集め、なるべく沢山応援に向かわせてくれ」
「は!」
「<恩寵部隊>の面々を中心に、救援部隊を組織して欲しい。特に<治癒>や<念動>もちなどがたくさん必要になるだろう。また、急いで家を失ったものたちの寝泊まりする場所を確保。すぐ仮住まいの建設計画を立てさせるように」
「はっ」
「私も現地に向かう。すぐに支度を!」
「それには及ばん」
隣から低い声がした。
と思ったらもう、頭上には見慣れた機体がやってきていた。
(<ミーナ>──!)
見上げたところを、ぐいと腰のあたりで抱き寄せられる。
「う、わ……!」
次の瞬間にはもう、アルファの体は空中に跳びあがっていた。
あの時同様、ベータが<ミーナ>のハッチにその驚くべき左腕を伸ばしてつかまり、一気に跳びあがったのだ。
「おい! 貴様っ……!」
「ひと足先に行く! お前らは後から来い!」
「ベ、ベータ……!」
彼の体に必死にしがみついて叫んだら、にやりと見返された。
「指揮は<ミーナ>からでもできる」
あれよあれよと思う間に、地上にいるザンギとミミスリの姿が遠のいていく。
「あンの……スケベづらァ!」
狼男の叫びを最後に、<ミーナ>のハッチがぴしゃりと閉じた。
ベータがすぐに指示を出し、彼の愛機は発進した。
コクピットに並んで座り、前方を見る。
「災害発生。速攻で飛んでくる新皇太子。これぞ顔を売るチャンスだ。正解だな」
「え? いや、ベータ──」
にやにや笑っている彼の横顔を見て、ちょっとげんなりする。別に自分はそんなつもりでああ言ったわけではない。
そんなアルファを目の端に捉えて、男はにかりとさらに口角を引き上げた。
「お前はそれでいい。下心なんぞ微塵も持つな。それがお前の売りだからな。その売り込み方を考えるのは俺の仕事だ」
「え? えっと……」
ベータはにやにやしながら親指で自分の顎を撫でている。実はこれは、何かよろしくない企みをするときの彼の癖のようなのだが。
「まあ、任せておけ。被災地に舞い降りる美々しい皇子。早急な対応、手厚い援助。感涙にむせぶ民衆。これで一気に民の心をわしづかみだ。なかなかドラマティックでいいぞ。ついでに顔も売れるしな」
「あのなあ……」
なんでこんなに嬉しそうなんだ。
と、横から首の後ろに手をやられてぐいと引き寄せられた。
軽く口づけをされ、目を見開く。
星の光を宿した瞳が、やけに楽しげにこちらをじっと覗き込んでいる。
その台詞は、ひどく甘い吐息とともに流し込まれた。
「お前を稀代の皇にする」
「……え」
「それがこれからの、俺の仕事だ」
もう一度キス。
するりと舌が忍び込み、ぴくっとアルファの体が跳ねた。
と、頭上から女性の声。
《余計なことでしたら申し訳ございませんが。視線をそらしておきましょうか、マスター》
「なかなか気が利く。そうしてくれ」
遠く果てない蒼穹に、銀翼きらめかせて艇がゆく。
頭上に広がるのは無限の闇と、あふれる光を抱いた大宇宙だ。
彼の舌を受け入れながら、
アルファはふと、彼の金色の髪ごしにそれを見つけた。
きらりと輝く蒼い星。
よく似た光を放つふたつの星が、
それぞれに優しい光を放ちながら、
清かな瞬きを送っていた。
幸せになろう。
幸せでいよう。
君と、二人。
いつかこの宇宙に還る、その日まで。
完
0
あなたにおすすめの小説
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
溺愛極道と逃げたがりのウサギ
イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。
想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。
悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。
※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。
二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる