ルサルカ・プリンツ 外伝《小さな恋のものがたり》

るなかふぇ

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小さな恋のものがたり

21 決意

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 さすがの男も、その場でぴたりと足を止めた。
 夜間の鍛錬のあとなのか、少し汗をかいているようだ。恐らく、その汗を流しに来たのだろう。
 ロマンはおそらく、目を「どんぐり」のようにしてしばらく彼を見つめているだけだった。湯舟に浸かっているからだけではなしに、体温が急上昇してくるのを感じた。

「くっ……くく、黒鳶ど──」
 言いかけた瞬間に、もう黒鳶は回れ右をしていた。ほとんど旋風つむじかぜに等しかった。
「すみませぬ。お邪魔をしました」
「えっ? あ! 黒鳶どのっ……!」
 思わずざばっと立ち上がったが、慌てて側に置いていた手ぬぐいで股間を隠し、端を結ぶ。そうして引き締まった彼の背中に向かって叫んだ。
「ま、待ってください。入浴に来られたのでしょう? 遠慮しないでください。こ、ここは共用の風呂なのですし──」

 が、黒鳶は振り返らないまま言った。

「所用を思い出しました。どうぞ、おひとりでごゆっくり」
「黒鳶どのってば!」

 恥ずかしいのもつい忘れて、ロマンは湯舟から飛び出した。が、足もとが滑りやすいことを忘れていた。急いで大股に歩いたのがあっさりと仇になる。つるりと足もとが空白になったかと思ったら、あっという間にバランスを崩した。

「うわっ!」

 はしっと二の腕を掴まれる。振り返った黒鳶が体を支えてくれていた。だが、視線はかたくなに明後日のほうを向いている。

「お気をつけて」
「あ……は、はい。ありがとうございます」

 おずおずと少し体を離す。
 入浴しに来たのだから当たり前なのだが、今の黒鳶はトレードマークとも言えるあの黒いマスクをしていない。彼が顔の下半分を人目に晒すのは非常に珍しいことだった。
 もちろん、御所内には彼の素顔を知っている者も多い。それでも一応、あまり人目につかないようにと、彼はいつもこうした深夜の時間帯を狙って入浴に来ているのかもしれなかった。
 と、黒鳶の手の力が緩んで、するっと離れる気配がした。

「あのっ! 待ってください!」

 ロマンはすかさず黒鳶の手首を両手で握った。その拍子に、腰まわりを隠していたはずの手ぬぐいが、ほどけてはたりと床に落ちる。

「……お放しを」
 黒鳶が押し殺した声で言う。
「いやですっ!」
「ロマン殿──」
「それに、ひどいじゃないですか。ぼ、僕の顔を見た途端……」
「いえ、それは」
「ば、化け物でも見たみたいにっ……。ひど、いよ……」

 ロマンの声は途中からぐずりと崩れた。
 そんな、まるで逃げるみたいに。
 ひとの気もしらないで。
 僕がどんなに悩んでるか、わからないはずもないのに。
 そんなのひどい。
 この男は、真面目だけれど結構ひどい。
 いや、真面目だからこそひどいのだ。

 でも。
 ……それでも、好き。

 そう思った途端に、またきゅうっと胸が痛んだ。こらえようと唇を噛んだら逆に、目元が一気にあやしくなった。
 黒鳶が慌てたように目を見開き、ロマンの体を見ないようにしながらも落ちた手ぬぐいを拾ってくれた。

「どうぞ」

 差し出されたものには見向きもしないで、ロマンは男の腕をさらに力をこめて握りしめた。あとで痣になりそうなほど。でも、いま手を放したらきっと逃げられる。
 いや、そうでなくてもこの男が本気になったら、ロマンが引き留められるはずもないけれど。

「どこにも行きませんか」
「……はい」
 ロマンはぎゅっと男を下から睨みつけた。
「本当ですか。絶対嘘じゃないですね?」
 黒鳶はもう、完全に困り果てたような目をしている。
「……はい。どうかご容赦ください」
「わかりました。それでは、どうぞ入浴なさってください。僕、外で待ってますから」
「え?」

 そこでやっと、ロマンはそろそろと男の手を放した。まるで野生動物の相手でもしているみたいだ。
 そのまま手ぬぐいを受け取って足の間をそっと隠し、一歩さがる。

「……お話が、あるんです。無理なことは言いませんから。……お願いです」
「ロマン殿」

 黒鳶の目に、明らかに戸惑う色がやどった。
 彼はもう、とっくに今後の展開のほとんどが目に見えていると言わんばかりの顔だった。

「あなたにご迷惑をお掛けするつもりはないんです。ほんの少しの時間です。……聞いていただきたいだけです。それでもダメでしょうか」

 黒鳶はしばらく黙った。
 ロマンはうつむき、足元に視線を落とした。
 彼の視線がようやく自分に当てられていることを、ロマンの肌は敏感に感じ取っていた。

 永遠にも思えるような沈黙がつづいたあと。
 とうとう黒鳶はため息まじりにこう言った。

「了解しました。しばし、外でお待ちくださいませ。……すぐに済ませますゆえ」

 湯殿を出て脱衣所に入り、ロマンはしばらく呆然と立ち尽くした。
 ばくばく、ばくばくと胸の音がうるさすぎる。足も手も、バカみたいにぶるぶる震えた。

(言うぞ。……ついに。言っちゃうぞ──)

 そうしてごくりと、飛び出そうな心臓を飲み下した。

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