【改訂版】Two Moons~砂に咲く花~

るなかふぇ

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第一部 トロイヤード編 第一章 邂逅

3 疑惑

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 黒髪の青年は、シュウの小屋で彼の帰りを待っていた。
 かまどにかけた鍋の下で、薪がぱちぱちと音を立てて燃えている。暗い小屋の中で灯りといえばそれのみである。小屋いっぱいに薪と料理の匂いが満ちてゆく。

 あれから、具合のよくない子犬を連れてシュウと少年はどこかへ行ってしまった。そのままついに日が暮れて今に至る。
 青年の方は、帰りに近くの農家に寄って大銅貨バーモルド一枚を支払い、今夜の食料そのほか明日から入用な物を調達してきていた。崖から転落したうえ川に流されるというどさくさの中でも、貴重な金子を失わずに済んだのは幸いだった。
 入手した食材を煮込みながら竈の火を見つめて待っているが、若者はなかなか戻らない。戦闘中、野営の際など、どんな状況になっても生き残れるよう、普段から身分には関わりなくひと通りのことはできるようにしているのだ。
 それにしても。

(遅いな、あいつ)

 一体どこまで行ったのだろう。明日あたり出立しようと考えていたのだが。
 ひどく静かだった。竈の薪がはぜる音以外は何も聞こえない。時おり、外につないだ黒竜が静かに地面を掻く音がするだけだ。
 こんな所にたった一人で何年も暮らして、あの若者は毎日何を考えていたものだろう。ひどく貧しい暮らしであるのは一目瞭然だ。だがシュウ本人は、さして不満を抱えている様子はない。むしろ楽々と、のびのびと、その日その日を楽しく生きているようにさえ見える。

(いや……そうではないな)

 青年はしばし一人ごちた。
 たとえ貧しくとも、それで幸せなのだとすれば、それは恐らくいいことなのだ。そもそも人の幸せを他人の尺度で測れるなどと思うほうが傲慢であろう。

 そんな民が、この国に一人でも多く居てくれればいい。
 王とはおそらく、そのために必要な器なのだから。
 それを望むからこそ、毎年飽きもせずに攻め込んでくる敵どもを、血と、汗と、埃にまみれながら薙ぎ払ってきたのではないか。

(もちろん、わざわざ貧しくならずとも構わんのだがな)

 そんな風に考えて、ちょっと自分で苦笑した。

(だが……)

 どうも釈然としないことがひとつある。
 どう考えても奇妙なのだ。
 村人に尋ねたところ、先日の国境近くの戦闘から今日で三日目だという。幸い今年もわが軍が無事に敵を撃退しおおせたらしい。さすがはわが国が誇る古参の将軍たちといったところか。

 自分の記憶に間違いがなければ、このエルドの村は戦闘区域からレナ川を下流へ三キロルばかり下ったところにあるはずだった。そこへ無事に流れ着いたというだけでも奇跡的だったが、それよりも不思議なのは、やはりあの時の負傷のことである。
 あのとき自分は間違いなく敵の矢に当たった。それも、複数だった記憶がある。鎧の隙間を巧妙に狙われ、脇腹に二本、確かに刺さったはずだ。あの激痛が夢であるはずがない。愛馬・黒竜も同様である。
 にも関わらず、自分も馬も、矢傷はおろか、あんな崖から転落すれば負わずには済まないだろうはずの打撲や掠り傷すらないのである。いやそれどころか、その傷の治った跡さえないというのはどういうわけなのだろう。

(やはり、あいつが……?)

 そうとしか考えられない。
 あのとき、川原で初めてシュウに出会ったときに感じた、体内での変化。あの尋常ではない熱の爆発。常識的に考えているだけでは、あれの説明はまずつかない。やはりあのとき、彼が自分に何かしたのに違いない。
 黒竜は恐らく、シュウが先に見つけて同様の技を施したものだろう。

(つまり、その力とは──)

 結論に至りかけて、しかし、青年は自分の考えに疑問を抱く。
 自分のこの予測が正しいのだとしたら、その「技」は非常に重大なものではないだろうか? 神代の昔から、神や聖人と呼ばれるものたちの十八番おはこというべきものではなかったか。
 今のこの時代、この世の誰も、まだ本物のそうした力を持ってはいない。
 もともと自分は、呪術師による祈祷やまじないといったものをあまり真摯に扱うほうではない。と言うより、むしろ積極的に眉唾ものとして退けてきた。

(だが、なぜだ)

 なぜ、彼はそんな力を持ちながら、こんなところでこれほど貧しく、人目を避けるようにして暮らしているのだろう。
 その力をうまく利用しさえすれば、恐らくは現世のどんな望みも叶うに違いない。時の権力者に取り入れば、この世を思うがままに操ることさえ──。


 ◇
  

 と、小屋の外に足音がした。
 薄い扉の向こうで少し躊躇する気配がする。

「さっさと入れ。お前の家だ」

 こちらから声をかけると、今度は驚いた気配。なんともわかりやすい若者である。

「えーと……お邪魔します」

 恐る恐る扉を開いて入ってきたのは、やはりシュウだった。気のせいかもしれないが、多少顔色が優れないように見える。

「言葉がおかしい」
「は?」若者がぴたりと足を止め、怪訝な声をだした。
「言葉がおかしい、と言ったんだ。ここはお前の家だろう」
「は、はあ……」
「自分の家なら黙って入るか、『ただいま』が妥当なところじゃないのか」
「あ、はい。えーと……た、ただいま……」

 語尾はもはや消え入るようだ。家族でもない相手にそう告げるのも考えてみれば妙な話ではある。が、シュウも言われるままそう言って、ようやく中に入ってきた。

「それで?」
「は……?」

 シュウがびくっと顔を上げる。
 黒髪の青年はこれで何度目かになるため息をついた。

「お前の『は?』も『え?』も『えーと』も、いい加減聞き飽きたぞ」

 うっ、と声にならない音をたててシュウが黙った。

「えっと……その、すみません」
「あの子犬はどうなったんだ?」謝る言葉を半ば無視して畳み掛ける。
「あ、はい」途端、シュウの声音に明るさとやわらかさが戻った。「多分、もう大丈夫です」
「お前が手当てを?」
「えっ? ええ、まあ……」再び声音に困惑の色が混ざり込む。「少し弱ってはいましたけど、まだ若い犬ですし……。すぐに回復してくれるかと」
「ふーん。そうか」

 わざとらしい笑みを浮かべながらじっと見つめてやると、シュウはあからさまに居心地が悪そうになった。

「ええっと……あっ! しょ、食事の用意を……?」
「ああ」

 もはや必死に話題を変えようとしているのが見え見えだ。
 しかし実のところ青年のほうも、それ以上追及するつもりはなかった。吹き出しそうになるのをかみ殺しつつ、あっさりと話に乗る。

「遠慮せず食ってくれ。世話になった礼の一環とでも思ってくれればいい」
 若者が飛び上がった。
「せ、世話だなんてとんでもない! でも、あの……ありがとうございます。頂きます……」

 シュウがちょっとはにかんだようだった。なにしろ、ぼうぼうと伸び放題の蓬髪ほうはつが邪魔をして表情がよくわからないのだ。

「悪いが、お前があんまり遅いんで、俺は先に食わせてもらった」
「いえ……それは」
「とにかく今夜は、早く食って寝るんだな。明日は早いぞ」
「は……えっ?」

 単なる話の流れのような軽い口ぶりに、明らかに一瞬聞き流しかけてからシュウが静止した。それにはまるで気づかぬ風で青年は続ける。

「見たところ、たいした持ち物はなさそうだが。一応準備はしておけよ」
「えっ、えっ? あの、どういう……」

 事情がまったく飲み込めず、まごまごしている。そんな彼を尻目に、青年は鍋の料理を勝手に椀に盛り始めた。大麦と豆を煮込んだだけのものだが、なかなかにいい香りだ。

「近所の、エスペルといったか? あの爺さんから紹介されてな。村長から明日の朝、馬も借りる手筈になっている。馬には乗れるな?」
「いっ、いやいやいや、ちょっと待っ──」
「日の出前に出発だ。寝坊するなよ」

 手も頭もぶんぶん横に振っているシュウの鼻先へ、椀をずいとつきつけた。押し付けられたそれを受け取ったまま固まっている彼をそのままにして、青年はさっさとその場に横になり背を向ける。
 彼がまだ背後で同じ姿勢のまま口をぱくぱくさせているのはわかっていたが、わかった上での完全無視である。

 (……面白いことになりそうだ)

 知らず、頬に笑みがのぼってくる。
 そうして瞼を閉じた途端、あっという間に眠りに落ちた。
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