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第一部 トロイヤード編 第一章 邂逅
2 シュウ
しおりを挟む目が覚めると、いつもの自分の小屋だった。
干し草を直接地面に敷いただけの寝台の上で、シュウはそっと視線を動かした。目にかかった長い髪をすかして、薄暗い室内が見て取れる。
もとは馬小屋だった場所。それを近所のエスペル爺さんの好意でこうして住居として貸してもらうようになってから、もう四、五年は経つだろうか。それはつまり、母が亡くなって自分一人になってから、もうそんなに経ったということでもある。
石と泥土の簡単な基礎に、薄い板張りの壁だけの粗末な作り。三メトル四方ほどの、ごく小さな住まいだ。床板はなく、足元は素の地面のままである。
家具らしいものといえば、これもまたごく粗末な作りの木製のテーブルと丸椅子、それに石で囲っただけの簡単な竈があるだけだ。その傍に、小さな鉄鍋と木製の椀や匙が少しばかりある以外、余分な物はなにひとつない。
……はず、だったが。
(ん?)
と、見慣れぬ物に目がとまって、シュウはじっと目を凝らした。
部屋の片隅に、何か金属製の大きなものがいくつかかためて置いてある。窓のない小屋だが、壁の板張りは隙間だらけで、陽の光があちこちから射し込んでいる。その光を反射して、その表面が煤けたような銀色に鈍く光っていた。
(これ、なに……?)
寝台から起きだして近寄ってみると、王家の兵たちが着る鎧に間違いない。たまに近くを通りかかる兵隊の列を見かけることがあるので、よく知っているのだ。
兜だけは見当たらないが、その他のものはひと通り揃っているように見える。よく見かける兵士達のものよりは縁飾り等が多少凝っているような気はするが、さほどの違いはないようだ。
(なんで、こんなものが――)
考えかけて、はっと思い出した。
(そうだ、昨日……)
と、突然小屋の戸が乱暴に引き開けられ、室内に強い光が射し込んだ。小さな小屋は、その振動だけで全体がびりびりと震えてしまう。
「やっと起きたな。よく寝る奴だ」
快活な、若い男の声がした。
驚きながら、急に射し込んできた陽光の眩しさに目を細めている間にも、声の主はすぐにシュウのそばにやってきた。手に何か食物の入った皮袋を下げている。
「昨日は世話になった。礼を言う」
「え? えーと……??」
事態がよく飲み込めないままどぎまぎしていると、髪の隙間から顔を覗き込まれた。
年の頃は、自分より少し上なのだろうか。長めの黒髪に、よく日に焼けた小麦色の肌。初夏の爽やかな空を思わせる、印象的な青い瞳。それが、目の前で強い意志を放ってきらめいている。青年は膝までの綿の長衣に、下履きと皮のサンダルといった軽装だ。
(なんだか、ライオンみたいな人だ……)
しなやかに伸びた四肢。野性味あふれる雰囲気。どれも、まさにあの黄金の鬣をなびかせた獣の王者の気迫を漂わせている。
ぼんやりとそんなことを考えながら見つめていると、青年のほうはちょっと変な顔をした。
「なんだ、まだ寝ぼけているのか」呆れたような声で苦笑している。「俺も、黒竜も――ああ、俺の馬だが――お前のおかげで助かった」
「あ、ああ……」
記憶が次第に形をなしてくる。
そうだ。昨日、いつものように近所の農家に作業を手伝いに行った帰り。川辺に黒い馬が倒れていて、そして――
「いえ、私は別に、なにも……」
「とはいえ」こちらの返事を遮るように青年が言葉を継いだ。「その後は、俺がお前の世話をしたわけだがな」
「えっ?」
ニヤリと笑った相手の顔を見返して、瞬時にすべてを思い出す。
「人を助けておきながら、自分はその場で気絶する。もしも俺が悪人だったら、一体どうするつもりだったんだ?」
シュウの目が見開かれた。
(う、うわああああっ!)
一気に耳まで赤く染まっていくのが、自分でもはっきりとわかった。
◇
エルドの村は、エスカルド山脈に発するレナ川の下流に位置する、わずか三十人ほどの小さな集落である。村民の多くは貧しい農民ではあるが、みな毎日の労働と、その見返りとしての収穫を楽しみに毎日を生きている。
父が死に、母が死んで孤児になったシュウがこれまで生きてこられたのも、ひとえにこの村人たちの優しい心根によるものだった。
この国の小麦、大麦のほか、各種の野菜や芋、豆類を栽培する農地、また家畜のための牧草地の多くは国や地主たちのものだ。そうではあったが、小作の農民たちはそれを借り受け、年ごとの収穫を得て生活している。もちろん毎年王国に年貢として、その半分以上を納める義務があるにはあるが。
シュウはその村にとどまって生活してはいるものの、いわば季節労働者のようなものだった。毎年あちこちの農家で、その時々に手が足りないところに雇ってもらっては、日々の糧を得て生きている。
「お父上、お母上は? どこの生まれだ」
レナ川の畔で愛馬の世話をしながら、青年が尋ねた。
今日のシュウの仕事は、臨時の休みになっている。昨日、気絶したシュウを馬に乗せ、彼の家を探すために近隣の農家を訪ねまわった際、この青年がその旨をエスペル爺さんに頼んでくれたためだ。
いずれにしろ、さきほど目が覚めたときには、日はもうとうに高く昇って昼近くになっていた。それから作業に行ったところで、半分の働きもできなかったことだろう。
「そ、そんな呼び方をするほどの身分ではありませんが……。私がまだ子どものころに、東方から渡ってきたと父が話していたことがあります」
小さな桶に水を汲む手伝いをしながら、シュウは答えた。
朝からの流れで、なんとなくこの青年に自分の生い立ちを話す羽目になっている。彼は、見た目の雰囲気とは打って変わって意外と聞き上手だった。自分の話はほとんどしないくせに、シュウの身の上話は次々に引き出されてしまう。
よほど気をつけていないと、この青年には語るべきでないことまでつい口を衝いて出てしまいそうになり、シュウは何度も冷や冷やさせられていた。一応、肝心なことはなるべく話題にしないか、ぼかした表現を使うようにはしていたが、うまく誤魔化せている自信はあまりなかった。
「……なるほどな」青年の、丸めた干し藁で黒竜の体を拭いていた手が、しばし止まった。
「シュウ、といったな。変わった名だとは思ったが、そういうことか」
東方には、小さな異民族の集団が多数ある。更にこの大陸の東の果てには、海を挟んで島国が存在するとも言われている。そこには、言語も民族も文化もまるでちがう、それでいて雅な国があるのだという。
伸びすぎた髪のせいで顔立ちは判然としないものの、確かにシュウも、体つきやたたずまいがこの辺りの人々とは異なっている……等々と青年が考えているように思われて、シュウはどぎまぎした。
と、ふとシュウはとあることに思い至った。
「あ、そ、そういえば」
「ん?」青年が振り返る。
「お、お名前を……まだ」
そうなのだ。シュウはなんと、この青年の名前さえ、いまだに教えられてはいなかった。
「ああ、そうだったな」
青年はにかっと笑った。が、豪快かつ意味ありげな笑みをうかべたまま、聞かれたことに答えようとはしない。
「まあ、すぐにわかる」
「は?」
「いずれにしても、なるべく早く、王都に戻らねばならんしな」
「はあ……」
その笑みの意味がよくわからないまま、シュウは首をかしげてしまう。
(それとこれと、何の関係が……?)
そのときだった。
「シュウ兄ちゃん!」
見上げると、小さな少年が大声で呼ばわりながら、川べりの小道から駆け下りてくるところだった。両手で何か、小さな毛玉を抱えている。
「レン……? どうしたの」
少年は息をきらせてシュウに駆け寄った。抱いているのは小さな子犬だ。ぐったりとして、目を閉じている。明らかに様子がおかしい。
「ポルが、ポルが……!」
わっと泣き出した少年と、慌ててそれを宥めるシュウを、黒髪の青年は背後でじっと見つめていた。
その目が、ごくひそやかに鋭く光を放ったことに、二人が気づくはずもなかった。
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