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第一部 トロイヤード編 第四章 揺れる心
2 竪琴(2)
しおりを挟む「閣下、毎日こんな所までおいで頂かなくても──」
「シュウ様、いけませぬぞ」
申しわけない気持ちそのままに言ったが、ヴォダリウスはそれを遮った。
「『閣下』はおやめくだされと、あれほどこの爺が申したではありませぬか?」
「あ……すみません、えっと……ヴォ、ヴォダリウス様」
ほ、ほ、ほ、とヴォダリウスが楽しげな笑声を漏らした。
「『爺』でよいと申しておりますのに。生真面目なお方じゃのう」
まさか、そんな呼び方ができるわけがない。舌が焼ける。喉がつぶれる!
シュウがぶんぶんと首を横にふると、ヴォダリウスは芝居じみた溜め息をこぼして肩をすくめた。そのままとことこと部屋の中ほどまで入ってくる。
「ま、よろしい。ともかく、毎日訪れる『茶飲み友達』をいつまでも『閣下』呼ばわりはいかにも無粋ですでのう」
「は、はあ……」
そうなのだ。ヴォダリウスはレドが逃げ去ったあの日以来、毎日一度はこの部屋を訪れ、なにくれとなくシュウの世話をしたり、世間話をしたりしに来てくれている。
「でも、お忙しい閣……ヴォダリウス様に、そこまでして頂いては──」
「なんの、なんの」
毎回、シュウは恐縮してしまう。だが老人は乾いた声でからからと笑うだけで、特に頓着しない様子だ。
「年寄りの楽しみを奪わんでくださりませ。このような老骨がいまだに忙しくしておるようでは困りまするわ」
第一印象こそ少し怖い雰囲気だったが、話してみると、ヴォダリウスは度量も見識も広く、それでいて細やかな気遣いに優れ、さすがはこの国随一の宰相といわれるだけの人物であった。レドが実の祖父のように慕っているのも頷ける。
聞けば、先代ばかりか先々代、つまり建国王トロイヤード一世の時代から、この王宮に仕えているのだという。
「仕事らしい仕事はもはや、すべて若い者が進めておりますれば。この爺は、もはや名ばかりの案山子に過ぎませぬゆえ」
「そ、そんなこと……」
ヴォダリウスがこれまで後進の教育に尽力してきたことは有名である。何十年もかけてこの国の礎を作ってきた男の言葉は、重そうでいて、そのくせ爽やかな軽さがある。何かを気負うでもなく、おかしな拘りにも捉われない、見事な生き方が垣間見える。
毎日話をするうちに、シュウもすっかりこの老人が好きになっていた。
「おお、そうじゃった。今日は、シュウ殿にこれを」
当初「シュウ様」としていた敬称も、いまは「シュウ殿」と、少しくだけてきたのも嬉しい。初めに感じた警戒心という名の冷たい壁は、もはやすっかり溶けてしまったようだった。今ではこの老人の目に、鷹の光が宿るなどとは微塵も思えない。
ヴォダリウスが背中に隠していた物をつい、とシュウに差し出した。
「え? これは……」
紫色の布に包まれていたそれは、開いてみると小さな金色の竪琴だった。
「ご存知でござりましょう。吟遊詩人どもなどが使う、あれでござりまするよ」ヴォダリウスが楽しげに目を細めている。「シュウ殿の、退屈なときの手遊びにでもと思いましてな」
「あ、ありがとう……ございます」
竪琴を受け取って、シュウはまた恐縮する。本当は、村を訪れた旅の吟遊詩人が弾くのを見たことがあるだけで、自分で触ったことなどない。しかし、この老人の気遣いはただ素直に嬉しかった。
吟遊詩人は、村から村、国から国へと渡り歩きながら、時にはその地で農作業を手伝い、時には春を鬻ぐなどしつつ様々な物語や詩などを音楽に乗せて語る人々のことである。
娯楽の少ないこの世界で、まして貧しい村ともなれば、村の祭り以外の楽しみといえば時折り訪れる吟遊詩人たちのそうした詩や物語の数々だった。
「よろしければこの爺が、少し手ほどきをして進ぜましょうぞ」
ただの好々爺然とした面持ちで、にこにことヴォダリウスが申し出てくれる。シュウの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか!? ありがとうございます!」が、ふと思いついてシュウは尋ねた。「それと、あのう……」言いかけて、やはり少し逡巡する。
「いかがなさいましたかの?」
ヴォダリウスの眼差しはあくまでも優しい。その瞳に励まされ、シュウは思い切って言うことにした。
「おっ、お願いが、あるのですが……」
そして、訥々と話し始めた。
「なるほど。よく分かり申した」ひと通り聞き終えてヴォダリウスは頷いた。「ご心配召さるな。この爺が、陛下によくよくお話し申し上げまするでな」
快く請け合ってもらえて、やっとシュウはほっとした。それを見て、ヴォダリウスの方もにっこりと微笑んだ。
「それでは、竪琴のご指南と参りましょうかの?」
「は、はい!」
その姿は、可愛い孫に竪琴を教えてやる祖父以外のなにものでもない。
涼やかな竪琴の音色の中で、和やかな午後の時間が過ぎていった。
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