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第一部 トロイヤード編 第六章 失踪
4 願い(1)
しおりを挟むシュウは、エデルのために数日待った。
すぐに話をしてしまったら、疑われるのは彼女だったからだ。
また、レドにどうやって話をするのかシュウ自身も考える時間が必要だった。
分かってもらえる自信はなかったが、とにかくこのままではいけなかった。
◇
レドが見舞いに来る時間は、あまり決まっていなかった。
宮殿内での様々な案件の検討、来客との交渉や接待、城外での検分そのほか、様々な仕事の合間を縫っては、毎回本当に四半刻ほどの短い訪問だった。
ただ、不思議と夜にだけは来たことがない。この部屋が、執務室からレドの寝室まで歩く途上にあるにも関わらず、である。普通に考えれば、すべての仕事が終わってからのほうがゆっくり来られそうなものなのだ。しかし、怪我をしてから今まで一度も夜に訪問されたことはなかった。
今日も、レドは午後のお茶の時間に見舞いにやってきた。
今朝は軍船の新規建造の視察に出かけ、さらに街の商業ギルドとの会合があり、その帰りにシュウの部屋に寄ったという。毎日来ているため、もうあまり体調のことは聞かれない。
シュウの部屋でソファに座り、持ってきた羊皮紙に目を通しながら話をするのが、最近のレドのスタイルになっている。一方、シュウは出窓の縁に座って竪琴を触っていることが多かった。レドにはそうしていて良いと言われている。
「あの、……陛下」
竪琴を爪弾く指を止め、シュウは思い切ってレドに聞いてみた。
「ん? なんだ」
「あのう、ご典医の先生から、『そろそろ外に出て散歩でもするように』って言われてて──」
それは本当だった。が、シュウには別の目的もある。
この話をこの部屋でしてはいけない気がしていたのだ。
「それはめでたい!」レドが書類から目を上げた。嬉しげな笑顔である。「良かったな」
シュウの回復を素直に喜んでくれている。心から嬉しそうなその顔が、今のシュウには眩しいようだった。
「で、えっと……。いつか、お時間のある時にでも、ご一緒にどうかな……と思って」
つい、竪琴を抱いたまま体の前で両手を組んでもじもじさせてしまう。
が、レドの返事はあっさりしていた。
「今でもいいのか?」
「は? え、ええ、僕はいつでも……」
どうせ、療養中の暇な身の上である。
「なら行くか。丁度、仕事も一段落したところだ。中庭でいいか?」
言いながら、もうソファから立ち上がっている。
「えっ、は、はい……!」
シュウは、レドと共に久しぶりに廊下に出た。
後宮から出て食事の間や鏡の間を通り過ぎ、いつか泣きながら走りこんだあの中庭に到着する。なんだかあの出来事が、もうずっと昔のことのように懐かしい気がするのはなぜだろう。
「あのときは、お前がなかなか話を聞かずに閉口したもんだ。お前も結構、思い込みが激しいぞ」
「なんですか、それ……」
穏やかにあのときの話をしながら、二人は庭の小道をゆっくり歩いた。いつもなら大股で、小走りでもついていくのが大変なレドが、今日は恐らくシュウのためにかなり歩度を緩めてくれている。
あの噴水と彫刻像のある庭までやってきて、二人はそこで立ち止まった。
レドがシュウを噴水の縁に座らせた。
さわさわと、風が庭木をそよがせている。
(さあ……頑張るんだ、シュウ)
シュウは、秘かに自分に気合をいれた。
シュウにとっては、これはひとつの正念場と言っていい。
レドの時間が限られていることは承知している。だから、大切なことではあるものの、初めからごく手短に聞いてみることにしていた。
噴水の縁から周りの花々を眺めながら、なんでもなさそうにシュウは尋ねた。
「陛下」
「ん?」
レドは彫刻に凭れるようにして立っている。
「あそこって、王妃様のお部屋なんですよね?」
レドが虚を突かれたようにこちらを見た。ちょっと探るような目をしている。
「……だれから聞いた」
この質問は予想済みだ。一応、返事は考えてきた。
「うーん……『お部屋の花柄のカーテンが教えてくれました』、なんていうのはどうでしょう。……あっ、もちろん冗談ですよ?」
シュウは微笑みながら、やんわりとではあったけれども珍しくレドの質問をはぐらかした。レドがちょっと意外な顔になる。
「そんなことより」シュウの穏やかな言葉はまだ続く。「そんな大事な所に、いつまで僕なんか置いておくおつもりなんですか?」
シュウはレドを見つめて、涼やかな笑顔で笑っている。レドがますます意外そうな目をした。
「主不在の部屋が、そんなに大事か?」またそんな下らぬ話か、と言わんばかりだ。「まったく、どいつもこいつも──」
実は今まで、いろんな人に諫言されているのかもしれない。
おそらくは、ヴォダリウスにも。
「たかが部屋だろう。俺が許可したんだ、だれが使おうが構うまい。部屋の名だけの問題なら、いっそ『シュウの間』とでもしてしまえ」
(それは勘弁して──!)
とは心底思ったが、真面目な話の腰を折るのはやめておいた。ここで脱線している暇はない。
「そう、ですね……。大事なのは部屋じゃなくって、これからその主になるかたのほうでしょうね」
レドは彫像に凭れるのをやめ、シュウに向き直った。ようやく、なにか込み入った話が始まっている気配を察したようだ。少し目を細め、探るような視線をシュウに向けてくる。
「……なにが言いたい」
声音が、やや硬質の響きを帯びている。
シュウは噴水の縁から立ち上がり、レドに一歩近寄った。瞳には、飽くまでも穏やかな笑みを湛えている。
「陛下はお忙しいお体ですから、やっぱり、結論から言いますね」
「そうしてくれると有難い」
レドが、シュウの瞳を見据えて言った。
シュウは、さらににっこりと微笑んだ。
ひと呼吸置いて、思いきって次の言葉を紡ぐ。
「陛下。お妃様をお娶りください」
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