【改訂版】Two Moons~砂に咲く花~

るなかふぇ

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第一部 トロイヤード編 第六章 失踪

5 願い(2)

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「陛下。お妃様をおめとりください」
「…………」

 一瞬の沈黙があった。いきなり何を言い出す、といわんばかりの視線で見返される。

「この国のみんなは、陛下がそうすることを望んでいます」
「知っている」

 「百万遍聞いたわ」という声音である。

「お城のみなさんは、もっとそうです。陛下が一刻も早く……」
「『嫡子を持て』、と言うのだろう。分かっている」

 レドの声が、ますます硬度を上げた。「それを今なぜお前が言う」という厳しい眼差しで睨みつけられる。
 圧力を強めてきたレドの気魄に気圧けおされないよう、シュウはきゅっと拳を握り、足を踏みしめた。それでも笑顔は崩さない。

「昔は、僕もそう思ってました。王家に早くお世継ぎが生まれたら、みんなが安心するのになあ、って──。勝手ですよね」

 自嘲の笑みを浮かべる。

(そう、それは無責任な願いだった)

 自分たちの暮らしの安定を僅かなりとも保証されたいという、ただの庶民の身勝手な願いだったに過ぎない。

(……でも)

 今のシュウの願いは、それとは似て非なるものだ。そのことをなんとかレドに伝えたかった。

「『昔は』……?」シュウの発したその言葉に、レドも引っかかったようだった。「では……今は」片眉を上げて確認してくる。
「そう……ですね」シュウは考えるように目線を足元に落とした。ちょっと微笑む。「どうなんでしょう……。なんだかもう、よくわかんなくなってます……」

 自分でも、笑顔が歪んでゆくのが分かった。

「でも……でも、なんていうか──」

 必死で、自分の中から言葉を拾い集めようとした。

「陛下には……しあわせに、なって……欲しいです」

 結局、小さな声でそんなことしか言えない。
 言葉を紡ぐのが次第に難しくなってゆく。声が震えてしまう。

(優しいお妃さまがいて、可愛いこどもたちがいて──)

 国王とはいえ、人の子だ。

(陛下が、いつも笑ってて──)

 そんな、普通の望みがあってもいい。

 レドが、レド自身の幸せをつかめるように。
 今のシュウには、ほかには何も望むことなどなかった。

 ……そして、そこには、多分。

(僕がいるような場所はない──)

 いや、居てはいけない。
 そう思った途端、胸を裂かれるような痛みを覚えて、とうとう涙が転がり出た。
 
 ──だから。

「あんな、大切な、大切な部屋で……陛下の、お世話になる……なんて──」

 声が掠れて、目の前が曇った。
 シュウは片手で口を覆って俯いた。

 と。
 レドの腕が伸びてきて、シュウはあっというまに抱きすくめられていた。

「え、ちょっと……陛下?」

 びっくりしておろおろするシュウを、さらにきつく抱きしめてくる。
 背中の傷が、ぴりっと痛んだ。

「まったく、おまえは……!」
 耳元でレドの声がした。今まで堪えていたものが、一気に噴出したような声だった。
「人の自制心を、どこまで試せば──」

(……え?)

 何を言われたのか、よくわからなかった。
 次の瞬間。
 シュウの唇は、レドのそれで塞がれていた。

「んんっ……!」

 今度は、「二セントル手前で停止」など、微塵もなかった。
 それはすぐに熱くて深いものに変わり、荒々しくシュウの舌を蹂躙して、頭の芯をくらくら焼いた。

「あ……っふ」

 息もできない。涙が滲む。
 支えられていなければ、立っていることもできなかった。
 レドのキスは、まるで獅子が噛み付くようだった。

「ん……んっ」

 シュウは目を閉じ、レドのマントを夢中で握った。

「陛下! どちらにいらっしゃいますか?」
 遠くで文官がレドを呼ぶ声がする。
「軍船設計技師が来ておりますが──」

 それでようやく、熱い唇は離れていった。
 じんじんとまだ痺れる頭でそっと目を開けると、レドの瞳が間近にあった。
 嬉しそうな光を湛えた、いつもの碧い、強い瞳だ。

「俺のそばにいろ。……いいな」

 目と目を見合わせ、額をこすり合わせるようにして囁かれる。
 そうしてシュウの髪をくしゃくしゃ掻きまわし、もう一度だけ軽くキスを落として静かに笑うと、レドは声のするほうに去っていった。


 ◇


 そして、その夜。
 シュウは手に入れておいた包帯を取り、慣れた手つきで自分の顔に巻きつけた。

 そっと唇に触れると、昼間の感触が蘇った。
 こらえきれず、ぽとりと涙が零れ落ちた。

 「ごめんなさい……」

 月明かりだけが、その床を静かに照らしていた。
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