41 / 96
第一部 トロイヤード編 第六章 失踪
7 漂泊(1)
しおりを挟む街道沿いのオリーブの木の下で、シュウは目を覚ました。
頭の上で小鳥たちが鳴き交わしている。日はまだ高かった。
「あ……」
どうやら眠ってしまったらしい。
幸い、街道から少し離れたそこは、道ゆく人々からは丁度死角になっていて誰にも見つかることはなかった。
(まだ、こんな所までしか来てないのに……)
シュウが思っていた以上に、矢傷による体力の消耗は激しかった。午前中に予定していた行程の三分の一も進めていないにも関わらず、もう立っていることもできなくて、つい座ってしまったのがいけなかった。
(もう、みんなは気がついてるよね……)
そして、きっと今ごろ大騒ぎだ。
レドが八つ当たりで誰かを殴ったりしていないかが心配だった。
エデルも、きっとまた青ざめて泣いているに違いない。
ヴォダリウスも、タルカスも、きっと心配してくれている。
……でも。
(ごめんね……)
シュウはよろよろと立ち上がり、重い足を引きずって、また街道の上に戻った。
顔といわず体といわずぐるぐる巻きにした包帯を、マントで隠すようにして歩いてゆく。
通り過ぎる男も女も、そんなシュウを不快そうに不躾な視線でじろじろ眺めた。みな一様にシュウの周りを迂回してゆく。もちろん、疫病を恐れているのだ。
幼子を抱えた若い母親などは子供を必死でシュウから遠ざけ、凄まじい視線で睨みつけてきた。そんなとき、ただただシュウは申し訳ない気持ちだった。理由はどうあれ、人に嘘をついているわけだから。
この道は、王都の西側の大門からトロイヤードの北西地域へ通じている。エルドの村は北東方面なので、ほぼ反対方向ということになる。
故郷のエルドの村に向かいたいのは山々だった。だがもしそうしていたら、シュウはもうとっくに見つかって、今ごろは連れ戻されていただろう。
シュウは王都を出る時、敢えてこちらの街道を選んだ。以前、医務棟で患者の兵士が王都内で市の立つ日を教えてくれたことがあり、その日は早朝からこの大門が開くことを知っていたからでもある。
城を出たのは夜だったが、その後は入り組んだ街路に迷いながらようやく大門にたどり着き、その傍で早朝の開門まで待たねばならなかった。ここで、予想以上に時間と体力を消耗させられた。
ヨルムガルドも他の都市と同様、攻撃を受けた際の保険として迷路のような街路のつくりになっているのだ。
もちろん、今でもこれだけ時間を無駄にしているわけで、まっすぐ馬で追われていたならとうに見つかっていたに違いない。もしかすると、さっき眠っていた間にも捜索の者が通り過ぎていたかもしれなかった。
それにしても。
(暑いな……)
少し頭がふらつくようだった。熱があるのかもしれない。
この時期、もう夏の最盛期は終わろうとしている。だが、それでも熱い太陽が真上から容赦なく降り注いでいる。石畳の街道は太陽光を反射して、じりじりと足元からも熱を送ってきていた。そのために、包帯だらけのシュウの体は余計に熱気を籠もらせてしまうのだ。
王都を出てくるときに街なかの井戸で汲んでおいた水も残り少なくなっている。そろそろ、どこかの水場を探さなければならなかった。
レドには申し訳ない気もしたが、シュウは「ラギ」として貰った給金だけは路銀として持ち出してきていた。それ以外の持ち物は、水と着ているもの以外なにもない。
しかし、シュウの姿を見た途端、どんな農家も商人たちも扉を閉ざすばかりだった。あるいは遠くから犬を追うようにして怒鳴ったり、手を振り回したりする者もいる。酷い時には、石つぶてが飛んできた。当然ながら、小川や井戸などの水場にも近づくことができなかった。
もちろん、初対面の人々としてそれは当然の反応だった。
けれども、いつまでもこのままではいずれはまずいことになる。
レド達から「身を守るため」とあれほど警告されてはいたが、いつまでもこの包帯の姿でいるわけにはいかないようだった。せめて水場に近づくときだけでも、包帯を解く必要がありそうだった。
◇
それからまだ何ほども進まないうちに、シュウの足はまた言うことを聞かなくなり始めた。それに、とうとう皮袋の水も底をついた。
(やっぱり、どこかで水を手に入れないと……)
もう限界だった。これ以上我慢したら、行き倒れるのは目に見えていた。
ちょうど、前方には小さな宿場町が見え始めている。街の中の井戸で、なんとか水を分けてもらわなくてはならない。
本当なら、もう少し暗くなって水場に人がいなくなった時を狙うのが一番だったが、もはやそうも言っていられなかった。
よろめきながらも、どうにか宿場町にたどり着き、井戸を探した。
思ったとおり、町の中心部の広場らしき場所に町の住人や旅の人々が群がっている。井戸の周りで、男も女も次々と釣瓶を持ち上げては水音を響かせていた。聞いているだけで喉の鳴りそうな音だった。
家族連れらしき一団の中にいる子供たちの嬉しげな声が響いている。
シュウは一旦、廃屋らしき建物の陰に身を隠してからフードを取り、顔に巻きつけた包帯を解き始めた。
──が、その時。
人相風体にいかにも暴力的な雰囲気を纏った男たちが六、七人ばかり、町のどこからともなく現れて、どやどやと井戸の周りに集まってきた。
そうして、そこに集まっていた人々を取り囲み、短剣や棍棒をちらちらと見せびらかしながらしばらく値踏みするようにじろじろと眺め回していたかと思うと。
そのうちの一人が突然、傍に居た農家の者らしい女の髪を引っつかんで叫んだ。
「おかしら! こいつなんかどうですかい? なかなか上玉じゃありやせんか!」
下品な銅鑼声が広場に響き渡る。場にいた人々の顔が凍りついた。お頭と呼ばれた太った赤ら顔の男が、女を舐めるような目で眺めて言った。
「ふん、ちっと年増だが、まあいいだろう。連れていけ」
当の女は金切り声を上げて手を振りほどこうともがいたが、男に二、三度顔を殴りつけられて静かになった。
「子供は、歩けるの全部だよな、兄貴!」
それを聞いて、子供の親らしい男女が悲鳴を上げた。「やめてください!」と必死に叫ぶ声をかれらは完全に黙殺している。
「金の出せるやつには返してやんな。一人十ガルドで手を打ってやらあ」
がはははは、と汚らしい哄笑が響いた。
通常、こうした犯罪者を取り締まるために、宿場町には王国の警備兵が詰めている。宿場町の治安が悪ければ、犯罪を恐れて人の動きが滞り、それは物流に直接影響して、結果、国の商業促進と経済発展の妨げになるからだ。
だが今はたまたま午後のお茶の時間にあたるためなのか、近くに兵士らしい者の姿が見えなかった。この男たちもそうした隙を狙っていたものであろう。
子供たちと女たちの泣き叫ぶ声が広場に響いた。周囲の旅人も町の人間も、恐ろしさで動くこともできず、とても助けに入りそうにない。
と、母の名を呼んで泣き喚いている四、五歳の子供を、その腕を掴んだ男が力任せに張り飛ばした。
「うるせえんだよ! ギャーギャー泣くな!」
(──!)
シュウは解けかかった包帯のことなど忘れてしまって、思わずそこへ飛び出そうとした。
……が。
「やめときな。あんたが敵う相手じゃねえよ」
背後から低い声がして、がっしりと肩を掴まれていた。
0
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
王弟の恋
結衣可
BL
「狼の護衛騎士は、今日も心配が尽きない」のスピンオフ・ストーリー。
戦時中、アルデンティア王国の王弟レイヴィスは、王直属の黒衣の騎士リアンと共にただ戦の夜に寄り添うことで孤独を癒やしていたが、一度だけ一線を越えてしまう。
しかし、戦が終わり、レイヴィスは国境の共生都市ルーヴェンの領主に任じられる。リアンとはそれきり疎遠になり、外交と再建に明け暮れる日々の中で、彼を思い出すことも減っていった。
そして、3年後――王の密命を帯びて、リアンがルーヴェンを訪れる。
再会の夜、レイヴィスは封じていた想いを揺さぶられ、リアンもまた「任務と心」の狭間で揺れていた。
――立場に縛られた二人の恋の行方は・・・
おだやかDomは一途なSubの腕の中
phyr
BL
リユネルヴェニア王国北の砦で働く魔術師レーネは、ぽやぽやした性格で魔術以外は今ひとつ頼りない。世話をするよりもされるほうが得意なのだが、ある日所属する小隊に新人が配属され、そのうち一人を受け持つことになった。
担当することになった新人騎士ティノールトは、書類上のダイナミクスはNormalだがどうやらSubらしい。Domに頼れず倒れかけたティノールトのためのPlay をきっかけに、レーネも徐々にDomとしての性質を目覚めさせ、二人は惹かれ合っていく。
しかしティノールトの異動によって離れ離れになってしまい、またぼんやりと日々を過ごしていたレーネのもとに、一通の書類が届く。
『貴殿を、西方将軍補佐官に任命する』
------------------------
※10/5-10/27, 11/1-11/23の間、毎日更新です。
※この作品はDom/Subユニバースの設定に基づいて創作しています。一部独自の解釈、設定があります。
表紙は祭崎飯代様に描いていただきました。ありがとうございました。
第11回BL小説大賞にエントリーしております。
発情期アルファ王子にクッキーをどうぞ
小池 月
BL
リーベント国第五王子ロイは庶民出身の第二公妾の母を持つ貧乏王子。リーベント国は農業が盛んで豊かな国。平和だが貴族や王族の権力争いが絶え間ない。ロイと母は、貴族出身の正妃と第一公妾、その王子王女たちに蔑まれて過ごしていた。ロイの唯一の支えは、いつか国を脱出し母と小さな洋菓子店を開き暮らすこと。ある日、ロイが隣国アドレアに友好のため人質となることが決定される。国王の決定には逆らえず母をリーベントに残しロイは出国する。
一方アドレア国では、第一王子ディモンがロイを自分のオメガだと認識したためにロイをアドレアに呼んでいた。現在強国のアドレアは、百年前は貧困の国だった。当時の国王が神に救いを求め、卓越した能力を持つアルファを神から授かることで急激な発展を実現した国。神の力を持つアルファには獣の発情期と呼ばれる一定の期間がある。その間は、自分の番のオメガと過ごすことで癒される。アルファやオメガの存在は国外には出せない秘密事項。ロイに全てを打ち明けられないまま、ディモン(ディー)とロイは運命に惹かれるように恋仲になっていく。
ロイがアドレアに来て二年が過ぎた。ロイは得意の洋菓子でお金稼ぎをしながら、ディーに守られ幸せに過ごしていた。そんな中、リーベントからロイの母危篤の知らせが入る。ロイは急いで帰国するが、すでに母は毒殺されていた。自身も命を狙われアドレアに逃避しようとするが、弓矢で射られ殺されかける。生死をさ迷い記憶喪失になるロイ。アドレア国辺境地集落に拾われ、シロと呼ばれ何とか生きて行く。
ディーの必死の捜索により辺境地でロイが見つかる。生きていたことを喜び、アドレア主城でのロイとの生活を再開するディー。徐々に記憶を取り戻すロイだが、殺されかけた記憶が戻りパニックになる。ディーは慈しむような愛でロイを包み込み、ロイを癒す。
ロイが落ち着いた頃、リーベント国への友好訪問をする二人。ディーとリーベント国王は、王室腐敗を明るみにして大掛かりな粛清をする。これでロイと幸せになれる道が開けたと安堵する中、信頼していた親代わりの執事にロイが刺される。実はロイの母を殺害したのもこの執事だった。裏切りに心を閉ざすロイ。この状態ではアルファの発情期に耐えられないと思い、発情期を一人で過ごす決意をするディー。アルファの発情期にオメガが居なければアルファは狂う。ディーは死を覚悟するが、運命を共にしようと言うロイの言葉を受け入れ、獣の発情期を共にする。狂ったような性交のなかにロイの愛を感じ癒されるディー。これからの人生をロイと過ごせる幸福を噛みしめ、ロイを守るために尽くすことを心に誓う。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
嫌いなあいつが気になって
水ノ瀬 あおい
BL
今しかない青春だから思いっきり楽しみたいだろ!?
なのに、あいつはいつも勉強ばかりして教室でもどこでも常に教科書を開いている。
目に入るだけでムカつくあいつ。
そんなあいつが勉強ばかりをする理由は……。
同じクラスの優等生にイラつきを止められない貞操観念緩々に見えるチャラ男×真面目で人とも群れずいつも一人で勉強ばかりする優等生。
正反対な二人の初めての恋愛。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる