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第一部 トロイヤード編 第八章 暗転
16 闇
しおりを挟む残党狩りがほぼ終了してから、シュウとタルカスは怪我人の治療に当たるべく、すぐに医務班の手伝いに向かった。
全部で二十名ほどの死者が出てしまったが、一方で怪我人はそれほどいない。それはやはり相手がプロの暗殺集団だからなのであろう。兵に警告の声を出させぬよう、殺す時には確実に殺す。反面、必要のない殺生は一切しない。彼らなりの矜持のあり方なのだろう。
先ほどレドが絡まれていたのも、話を聞いてみるとどうやらレドの方から仕掛けたことであるようだった。
「まったく、一人ぐらいは残しておいてくれればいいものを──」
あらためて急ごしらえに立て直した天幕に場所を移し、レドはいま、呆れたといわんばかりの声でノインを詰っていた。やはり兜は被ったままである。
「無茶言ってんじゃねーよ、ったく……」
ノインは少し離れた位置で胡坐をかいて座っている。多少、ふて腐れた風情である。
その隣に、水を汲んだ手桶を手にしてシュウが膝をついている。見張りをするため、タルカスは天幕の入口付近に立っている。二人はさきほど怪我人の治療が一段落して、医務班から戻ってきたばかりだ。
「背後関係の言質をとろうと、口の軽そうな者を見繕っていたというのに──」
その口ぶりからして、どうやらレドは見た目どおりかなり余裕でトゥラーム兵の相手をしていたらしい。
そもそも、向こうにも本気の殺意はなかったのだろう。無関係な異国の大使を殺したところで彼らには何の得もないのだから。むしろ余計な恨みを買うだけ損なぐらいだ。
「気の利かんこと、この上もない──」レドがわざとらしく額に指をあてて溜め息をついた。
「なっ……!」
「陛下!」ノインが鼻白んで言い返そうとするのを遮って、シュウがきっと顔を上げた。「ノインさんはこんなになってまで、陛下を助けに来てくれたんじゃないですか。まずはお礼を言ってあげてください!」
「おお、シュウちゃんが俺の味方に!」
ノインの顔が途端にきらきらと輝いた。なんというか、非常に不自然なほどに。
「言ってやって、言ってやって! もっと、どんどん言ってやって!!」
「…………」
早速嬉しそうに茶化すノインを、レドがぎろりと睨んで黙殺した。
ノインも腕を組み、負けじと睨み返す。
「……んだよ?」
背後で勃発しているそんな楽しそうな二人の睨みあいは無視して、シュウは自分の長衣の袖を引き裂いた。そうしてノインに向きなおる。
「ノインさん、ちょっといいですか?」
「ん?」
シュウはその布を、汲んできた水に浸して固く絞った。
「すみません、ちょっと目をつぶってて下さい。血を拭きたいので……」
「お? ……おお」
ノインは一瞬、ちらりとシュウの背後に目をやったが、言われるままに目を閉じた。シュウはそのまま彼のべったりと血糊に塗れた顔を丁寧に拭きはじめた。
(ノインさんって……)
あらためて見てみると、ノインもかなりのいい男ではある。すっきりと通った鼻筋に、意外に長い睫毛。きれいな眉の形。全体的にも、家柄の良さからくる品の良さがどことなくにじみ出ている気もする。まあ飽くまでも「こうして黙って目を閉じている分には」という但し書き付きではあるのだが。
いや譬えそうでなかったとしても、女性には相当もてるのではないだろうか。
「怪我はなさってないんですよね?」血を拭きながらシュウが訊いた。
「ん? ああ、返り血だけだ。ありがとな」少しくすぐったそうに顔を顰めて、ノインが目を開けた。「けどよ~、シュウちゃん。聞いていい?」
ノインは愉快げな声でそう訊くと、からかうように首を傾げた。
胡坐をかいた膝の上に肘をつき、指先でとんとんと頬を叩いている。
「はい?」
すでにかなり乾いてこびり付いた血糊は、水で拭いてもなかなか綺麗には取れなかった。シュウはそれを取ることに集中していて、あまり周囲の様子に気がつかないでいたのだが。
「俺は今、これまでちょっと味わったことのねえ身の危険を感じてんだけど? これって、シュウちゃん的にはオッケーなの?」
にやにやと、惚けた顔で訊かれる。
「……は?」
怪訝に思って振り向くと、レドはもちろんタルカスからも、なにやら不穏な冷気の刃がノインに向けてびしびしと放射されまくっていた。
「あ……あれ? え、ええっと……」
レドとタルカスの目が怖い。
……それも、かなり。
どうしてそんなに怒っているのだろう。
よく分からないが、自分がなにか非常にまずいことをやらかしてしまったようだ。
シュウは慌てた。
「ごっ、ごめんなさい! 僕、なにか……??」
「ぶっははは!」ノインがまだ血まみれの顔で噴き出した。「そっか~、わかんねーかー。さっすがシュウちゃん、国宝級だわ!」
くっくっくと膝を叩き、涙まで滲ませて笑っている。
「ったく、可愛いったらありゃしねえ。おっさんまでとは恐れ入ったぜ……!」
もはやノインは上機嫌だ。
(……は? どういう──)
などと考える暇もなく、ノインはいきなりがしっとシュウの肩に腕を回して抱き寄せた。いやそればかりか、そのまましっかりと両腕で抱きしめてしまった。
「うわっ……!?」
万力のような力である。シュウが逃げ出せるはずもなかった。
弾みで手桶がひっくり返り、せっかく汲んできた水が音をたてて足元に零れた。
「ちょ、ちょっと……!」
「こうなったらもういっそ、俺もシュウちゃんに惚れちまうかあ!?」
前から抱きしめられているため顔は見えないが、ノインは明らかに満面の笑みだ。
(こうなったらって、どうなったらだよ──!!)
内心で突っ込みながらじたばたもがく間にも、天幕内の空気が絶対零度まで冷え込んでいた。
冷気の中で、しばしの沈黙。
「あー……。わかった。わ~かったから──」
耳元でノインの呆れたような声がして、ぱっと身体から手を放された。シュウはあっさりと自由の身になる。
「ったく、冗談通じねーなー、お前ら……」
見ると、ノインは諸手を挙げて座ったまま「降参」の体である。
ではあるが、顔では必死に笑いを堪える様子だ。
「まっ、とりあえずお二人さん?」言いながら、肩までひくひく震えている。「得物に手ェ掛けんの、やめてくんね?」
シュウはぱっと振り向いた。
「……!!」
その瞬間、血も凍った。
獅子と牡牛がそれぞれに毛色の異なる殺気を放ち、今にも抜き放たんばかりの剣呑さで己が剣の柄を握っていた。
◇
ノインに遅れること一刻後。ようやく彼の部下たちが五十騎ばかり、レドの野営地に到着した。
ノインはあのあと適当に顔を洗って部下を迎えに出てゆき、シュウはタルカスとともに医務班に戻って怪我人の治療に当たっていた。
レドは天幕で、他の将軍や武官たちと今後の方針についての検討に入っている。
時刻はそろそろ真夜中の刻限である。
空は降るような星の絨毯になっていた。
今回の一件については「これでようやく一旦幕引き」と、野営地の誰もがそう思っていた。
……しかし。
「ラ……ギサマ、ラギ、サマ……」
闇の中にはその《禍い》が、まだじっと息を潜めていた。
「ラギサ……マ、ラギサマ……」
呪文のような囁きが、叢のなかに沈んでゆく。
……機会は、必ずやってくる。
その時をひたすらに待つだけだ。
やつらは、間違えた。
本当はあんな男、どうでもよかったというのに。
「ラギサマ……ラギ様」
にたりと笑った。
その、真っ黒な禍いが──。
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