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第一部 トロイヤード編 第八章 暗転
17 毒針(1)
しおりを挟む「ラギ様。どちらへ」
大きな水瓶を持って立ち上がったシュウを、タルカスが呼び止めた。
「あ、はい。ちょっと水が足りなくなってきたので……」
近くの小川まで今から汲みにいくところだった。
すっかり夜も更けている。だがシュウとタルカスはまだ医務班で、他の医務官たちとともに負傷した兵士たちの世話をしている。
幸い瀕死の重傷者はいなかったが、それでも下手に傷を化膿させたりすれば一気に重症化しかねない状態の兵もいる。あまり目を離すわけにはいかなかった。
清潔な水はいくらあっても足りなかった。ただ汲んでくるだけではなく、一旦沸騰させてから使用するため、手間も倍かかることになる。早めに汲んでおくに越したことはなかった。
あちこちで普段よりも多めに焚き火が焚かれ、次こそは賊の侵入を許すまいと夜番の兵士の人数も多めである。足の自由を取り戻したタルカスは、いまやシュウの警護だけでなく医務班そのものの警護も任されていた。
「まだ完全に安全になったとは言えません。お一人で行動されるのはお控えください」
タルカスが気遣わしげに言って、シュウの手から水瓶を取り上げ、有無を言わさず自分の広い肩に乗せた。
ほかの警護兵にその旨を告げ、ふたりは一旦野営地を離れた。タルカスが水瓶を持ってくれたので、シュウは小さな松明と把手つきの桶を手にする。
小川はすぐ近くだが、なにしろ月のない晩だ。松明がなければ星の光しか頼るものがない。明かりの届かない暗い足元には、草や石ころの感触を覚えるだけだ。
(あ、そういえば……)
シュウは、今頃になってやっと思い出した。
あのどさくさで、「あとでお話しますから」などと言ったきりタルカスの足の件は今の今まですっかり忘れていたことを。
「あのっ、タルカスさん、ごめんなさい……!」
「……なんでしょうか」突然立ち止まって謝りだしたシュウを、タルカスが不思議そうに見下ろした。
「え、えっと……そのっ、あとでお話するって言ったのに、僕──」
「ああ」とでも言うように、タルカスが頷いた。
そして徐に水瓶を下に下ろすと、シュウの足元に片膝をついた。
「え……、えっ!?」
予想外の反応にびっくりして、シュウは立ち尽くしてしまう。タルカスが深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。こちらこそ、早くお礼を申し上げるべきでした。シュウ様のお力でこうしてまた歩けるようになりました。誠に、心より、感謝申し上げます」
真摯で丁寧な、心からの感謝の言葉だった。朴訥な男から発せられるその言葉は、素直にシュウの胸を打った。
「タルカスさん……」
思えば、この能力に最初に気付いたレドはともかく、こうしてまっすぐに自分に感謝してくれたのはタルカスが初めてかも知れない。レドの場合、あの時は感謝というよりはただ「大喜び」していただけのような気もするが。
ほかの医務棟の傷病兵たちはその能力に感謝したのではなく、あくまでも医務官としての「ラギ」の働きに感謝してくれていたのであって、やっぱりこの場合とは少し違う。
もちろん、それはそれで素直に嬉しかったけれども。
「いいえ……。お役に立てて、良かったです……」少しだけ泣きそうになりながらシュウは言った。「もっと早くに、そうしたかったんですけど……。ごめんなさい……」
タルカスがそれを聞いて顔を上げた。「それなのですが、シュウ様」
「はい?」
タルカスは少し考えてから言葉を継いだ。
「もしやそのお力のこと、周囲に秘密になさっておいでなのでしょうか」
「あ……はい、実は……」
シュウは遂に、タルカスにすべて話した。故郷のこと、母のこと。レドとの出逢いのこと、彼との約束のこと。そして今までの様々なことも。
「本当に、ごめんなさい……。タルカスさんの足をいつも傍で見ていながら、結局今日まで──」
「そのようなこと。どうぞ、お気になさらずに」
言いながら次第に項垂れるシュウを、タルカスは片手を上げて押し留めた。そうして一礼すると、再び水瓶を担いで立ち上がった。
が、やがて思い出したようにぼそりと言った。
「問題はノインですが……。見た目通りに口の軽い男というわけではございませぬが、あやつのあしらいは、手馴れた陛下にお任せすると致しましょう」
タルカスにしては、なにげに酷い言い草だ。さすが戦友には言うことも容赦がない。
「あ、ははは……」
ちょっとびっくりしてしまったが、シュウは苦笑するしかなかった。
それに、何故だかほんのちょっぴり、ノインが羨ましい気もした。
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