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第二部 エスペローサ編 第二章 解放
1 禁錮の間(1)
しおりを挟むその後数日で、アイリスの治療は滞りなく終わった。
最終日である今日は、本当にもう最後の確認といった風で、シュウの顔色が悪くなるところまでも行かなかった。
アイリスは、今では食欲も以前どおりに戻り、薔薇色のふっくらとした頬を取り戻していた。痩せ細っていた身体も全体的に丸みを帯びて、元通りの、誠に美しい姫として蘇っていた。
若き国王の喜びようは一廉のものではなかった。
ナリウスと共にアイリスの部屋を辞したところで、その美貌の王がそっとシュウに耳打ちしてきた。
「そなた、『禁錮の間』は分かるな?」
「え? ……ええ」
いきなりまた、この王は何を言い出すのだろう。
もしかすると、自分は再びあそこへ逆戻りさせられるのだろうか?
たとえそうだとしても、文句の言える立場ではないけれども。
だが、ナリウスの続く言葉は意外なものだった。
「礼の一環だと思ってくれればいい。一度、行ってみることを勧めるぞ」
それだけ言うと、ナリウスは意味ありげに少しだけ微笑んだ。そしてそのまま、公務のためだと言い残し、足早にどこかへ行ってしまった。
監視の兵二人とともに、シュウは廊下に取り残される。
「って、言われても……」
どうやってその部屋まで行けばよいのか、皆目分からない。
別に方向音痴なほうではないが、先日は体調も優れなかったし、精神的にも参っていたし、移動もむりやり押されたり引っ張られたりで、とても周囲を観察している余裕などなかった。
「あ、あのー……」
シュウは振り向くと、後ろで槍を立てたまま立ち尽くしている甲冑姿の二人の監視兵に恐る恐る尋ねてみた。
この城の兵士たちは、目の辺りを横に切ってそのままT字状に切り下ろした部分以外、ほぼ完全に顔を隠す兜を被っている。そのため、まったく表情がわからない。当然、話しかけるのにも相当の勇気が要った。
「は、なんでしょうか」
幸い、すぐに一人が応じてくれた。落ち着いた声音だった。一応、シュウの監視のための兵ではあるが、態度や言葉遣いは至って丁寧である。
もちろん、いざとなればその槍先は容赦なくシュウに向けられるのだろうが。
「『禁錮の間』というのは、どう行ったら……?」
「ああ、はい。ご案内します」
幸いにも今のところ、彼らは飽くまでもシュウの「護衛兵」として以上の仕事はするつもりがないようだった。
◇
二人の兵士に案内されて、シュウは見覚えのある扉の前にやってきた。
あのボダンとまた顔を合わせるのかと思うと少し憂鬱な気持ちになったが、幸い周囲にあの初老の男の姿は見当たらない。シュウについている兵士と同様の甲冑姿の警備兵が二人、扉の前に立っているだけだった。
「あのう……」
言いかけただけで、そのうち一人がすぐに応対した。
「は、陛下から承っております。どうぞ」
言って、すぐに扉を開けてくれた。
監視兵二人とともにシュウは中に入った。
「……!」
ある程度予想はしていたが、その人を見るとやっぱり嬉しかった。
(陛下……!)
思わず、駆け出して鉄格子にとりついた。
が、うっかりその言葉を声に出さないようにと、十分に用心した。
一応、まだ彼がレド王であることは知られていないことにせねばならない。
ナリウスはもちろんとうに気付いているけれども、二人としてはそれを易々と認めるわけにはいかなかった。
レドは、先日シュウが監禁されていたのと同じ部屋に移されたのだ。
シュウの時とは違い、いかめしい鉄の首輪などは施されていない。
レドは簡素なベッド上に座って片足をたて、肘を突いて何ごとかを考える風だったが、シュウを見るとすぐに立ち上がった。衣服は単衣に下穿きといったごく素朴なものだが、見たところ清潔なもののようだった。
あれ以降、特に拷問などはされていないらしく、身体はどこも傷ひとつ無かった。シュウは胸をなでおろした。
日に焼けた精悍な顔だちは、至極元気そうに見える。
レドは素早く鉄格子のところまでやってくると、まずこう聞いた。
「なんと呼ばれることになった?」
名前のことだと、すぐにわかった。
「……シュウ、です……」
鉄格子を握り締める手が震えた。
涙が溢れた。
(よかった……)
同じ囚人の身であることに違いはないとしても、彼をいつまでもあの地下牢に置いておくのは、シュウには堪らないことだった。
あの囚人たちの断末魔の叫びを聞き続けていたら、シュウなら数日で気がおかしくなることだろう。もちろん、レドの胆力ならそんなことはないのかも知れなかったが。
「そうか。では、俺のことは『ジタン』で頼む」
レドが片頬を上げてにやりと笑った。少し片目をつぶって見せている。
そして、俯いて鉄格子にこすり付けるようにしているシュウの頭を、鉄柵ごしにがしがしとかき回した。
「泣くな。せっかくの貴公子姿が台無しだ」
レドの声音は、普段となんら変わりなかった。
そう言われると、かえって涙がぽろぽろ零れ、余計に止まらなくなった。
「よく似合っている。あの王、性格は気に入らんが、なかなかセンスはいいらしいな」平気な顔で、にこにことそんな冗談まで飛ばしている。「で? 妹姫はどうなった」
呑気に世間話をする風で、当たり前のように聞かれた。
シュウは顔を上げる。
「あ、はい……。だいぶ、お元気になられました」
それを聞くと、レドはシュウの顔色をじっと検分するように見つめた。
「そうか。……あまり、無理はするなよ?」
シュウがこくこくと頷く。「へ……、ジタンさんも──」
いかにも危なっかしい言い方で、シュウはなんとか男の偽名で答えた。
レドが苦笑する。
「ま、お前らしいが──」
言いながら、レドは鉄柵越しについとシュウの顎を持ち上げた。すぐにその顔が近づいてくる。
シュウは慌てた。「……あ! ちょ、ちょっと……!」レドの指先を握って、辛うじてその先の行為を押し留める。
背後では、二人の監視兵が黙然と二人を見つめて立っている。それもすぐ近く、二メトルほどしか離れていない所でだ。
まさかこの状況で、こんなことを仕掛けられるとは思わなかった。
(なに考えてるんだよ、この人は──!)
いや、それがいつものレドなのだが。
「今更、何が問題だ?」指先をシュウに握られたまま、レドは意味ありげな笑みを浮かべている。「地下牢で、あれだけ大胆なことをやってのけておいて?」
「……!」
自分でも、顔が真っ赤になるのが分かった。
嫌なわけはない。ただ、今ここでするのは恥ずかしいだけだ。
地下牢でのことは、あの極限だったからできたことで、普段まで同様であるわけがない。
「……で? するのか? しないのか?」
それが分かっていての、この質問。
しかも、ものすごく嬉しそうなのが癪に障る。
まったく、いつもながら始末が悪い。
「うー…………」
シュウは、鉄格子を握ったまましばらく逡巡した。
レドは面白そうに、シュウの中で次第に羞恥心の方が敗北してゆくさまを眺めていた。
「え、えーと、あの……」仕方なく、シュウは振り向いて二人の兵士にお願いした。「ほんの、ちょっとでいいので……。後ろを向いていていただけると……」
恥を忍んで頼み込む。
とにかく、そう言うだけでも滅茶苦茶に恥ずかしかった。
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