【改訂版】Two Moons~砂に咲く花~

るなかふぇ

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第二部 エスペローサ編 第四章 陰謀

3 腹心(1)

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「えっ!?  シュウ様って、あの『黒き閃光』を知ってんの!?」

 冬も深まり、吐く息も凍りそうな通路の中。雪が普段以上の静けさを積み上げているその場所で、ホッパーが素っ頓狂な声を上げた。
 今日もまた、二人の護衛兵とともに「医務の間」に向かっている途中である。敢えて口を挟んできてはいないが、クリスもかなり驚いた様子なのが見て取れた。

 気温が相当低くなってきているため、今ではたとえ壁の内側であっても、三人とも分厚い毛織のマントを羽織っている。シュウはもちろん、いつもの包帯を顔に巻いた姿だ。
 いつも一緒にいるために、最近ではシュウも本当に様々なことをあれこれと、この男たちと話すようになっている。それで今日はたまたま、あのトロイヤードの千騎長にしてバルド城砦に常駐する黒い鎧の男、ノインの話になったのだった。

「ええ、まあ、一応……」

 ホッパーのあまりの驚きように思わず引きつつ、シュウは言った。
 エスペローサ兵からつけられたその「黒き閃光」という渾名ふたつなのことは、シュウも先日の野営地襲撃のどさくさでちらっと聞いただけだった。だが、あれは間違いなくノインのことだったはずだ。もっとも当の本人は、そう呼ばれるのを心底嫌がっていたようだったが。

「知っているというか、なんというか……。一応、恩人と言ってもよい人で……」

 それどころか、冗談半分とはいえ実は抱きしめられたことすらある。……などとは、口が裂けても言えないが。

「陛下……いえ『レド王』様とも、ごく親しい関係ですし」
「ひええ! 信じらんねえ……!!」
 ホッパーは目と口をほとんどまんまるに開き、絶句して立ち尽くした。

「俺、実は二年前のトロイヤード攻めの時にちらっと見たんだけどよ~。すんごい遠目だったけど、そりゃもう、怖いの怖くないのって──」

 思い出しただけでも身の毛がよだつらしく、ホッパーはぶるぶるっと体を震わせた。

「あの時、もし部隊の右翼側に立っていたなら、我々もここにこうしてはいなかったかも知れませぬ」静かな声でクリスも言い足した。

(……!)

 シュウはひそかに息を呑んだ。

(そうか……。そうだよね、二人は兵士なんだから──)

 しかし、もしもそうなっていた時の事を考えると、自然と寒気を覚えるのを抑えられなかった。ホッパーはまだ恐ろしげに話の先を続けている。少し震えているように見えるのは、きっとこの気温のせいだけではあるまい。

「ほんとに、戦場であいつにだけは会いたくねえよ。あいつが奇襲してきたら、とにかくあのでかい剣、一回ぶん回すだけで馬ごと十何人がいっぺんにやられちまうんだぜ? 信じられねえだろ? あんなもん、人間業じゃねえって、ほんと!」
「…………」
「あいつの周りには、大袈裟じゃなく、いつもほんとの血煙があがるんだ……。遠目でも見えるくらいにだぜ! あんな真っ黒な鬼か悪魔みてえなやつと、ほんとにシュウ様、ちゃんと話なんてできたのかい?」
「え? ええ……まあ……」

 「ちゃんと話なんてできた」もなにも。こちらが何か聞く前から、軽い調子で勝手にぺらぺらと喋りまくり、おどけては人を笑わせる、そんなタイプの男だったのだが。
 明るくて軽薄ぶっているのに実はちゃんとものを考えていて。本当は優しくて、頼りがいのある兄貴肌で──。実はレドも、あんな風に小馬鹿にしているそぶりでいながら、ノインのことは結構頼りにしているようだった。

(そうか……。そうなんだ)

 つまり、そういうことなのだ。
 戦争をする間柄の、敵国同士であるということは。
 自分にとってはどんなに親しみやすい「レドの兄貴分」のノインであっても、この国の兵士たちにしてみれば、ただただ恐怖の悪鬼のごとき数百人斬りの千騎長でしかないのである。戦場という非人間的な場においては、人間性などというものは綺麗に排除されてしまうものなのだ。
 当のノインとて、頭では分かっているはずだ。たったいま自分が斬り殺した何十人にも、死ねば泣く家族があり、友人があるはずだということは。それでも戦士である以上は、ある一線からはそのことを敢えて思考から締め出して、ただ闘うほかはないだろう。それが、国を守るために彼に課せられた使命であるからには。

「…………」
「そういえば、手紙の件ですが」

 少し悲しげな顔になってしまったシュウを見て、クリスがいきなり話題を変えた。どうやら気を遣わせてしまったらしいと気づいて、シュウは自分の表情を意識的にあらためた。

「その後、特になにか変わったことは?」
「え? ……ああ、いえ」

 例のトロイヤードの間諜を自称する「ふくろう」なる人物からの手紙は、あれからも何度かシュウの上着のポケットから見つかっていた。内容は最初のものと変わりない。
 護衛の二人はあれ以降、なるべくシュウの周りの人間を注意して見てくれている。だが今のところ、だれがどうやって手紙を入れているのかは分かっていなかった。分かっているのは、今まさに向かっている「医務の間」で入れられている確率が高いということだけである。

 ナリウスから命じられた通り、シュウはこの手紙に対してまったく何の反応も返してはいなかった。手紙はそのままナリウスに渡し、自分ではまったく気づかないまま、まるで護衛の兵士たちにでも抜き取られているかのように振舞っている。これはクリスの案だった。
 彼によると、シュウ自身もナリウス側についていると知られてしまうと、相手の尻尾をつかみにくくなってしまうということだった。あまり詳しくは教えてくれないのだが、クリスの方でもある程度城内の人間関係の概要がつかめてきて、そろそろ黒幕を見定める一歩手前までは来ているようだった。

 最近では、彼は一人でナリウスの執務室に入っては、二人だけでかなりの時間内密の話をすることも多いようである。どうやらクリスには、一介の護衛兵からすれば身に余るほどのたいした出世の道が開かれたようだった。
 情報収集の観点からも、また敵の目を欺く意味からも、今はまだこれまで通りにホッパーとともに兵舎で寝起きしているが、ひと通りこの問題が解決した暁には、クリスには恐らく大きな異動と昇進が彼を待っているのに違いない。

 シュウも少し前から気づいている。ナリウスが彼のことを話題にするときの口ぶりが、ここしばらくで随分と変わったことにだ。ナリウスは明らかに、一般的には重臣や側近と言える立場である宮宰きゅうさいや宮中伯たちよりも、このクリスに信を置いているようだった。
 夜、寝台の中で彼の仕事ぶりや才能のことを話すとき、ナリウスはむしろ心から楽しげに見えることすらある。そんなことは今までにはなかったことだった。

(なんだろう。嬉しいな……)

 シュウは素直にそう思っている。あのレドがそうであるように、周りに沢山の信頼できる部下がいることは、ナリウスにとってもやはり大切なことのような気がしていたからだ。そうなることは、結局はナリウスとアイリスの身を守ることにつながるだろう。ひいてはこの王国のためにもなるのではないだろうか。

 今でも思い出す。レドが秋に、あのエスカルド山脈のふもとからトロイヤードへと護送された時のことを。そしてあのとき、レドが最後にナリウスに放った言葉を。シュウは、もしかするとレドがあの言葉でナリウスに言いたかったのも、こういうことだったのかも知れないと思うのだ。

 「国は、人だ」とレドは言った。
 治める国は違えど、そしてその国同士、今は敵対した関係にあるのだとしても、それでも同じ王という立場の人間として、レドもやはり余人には分からない何かをナリウスに対して感じたのかも知れなかった。
 信頼できる部下が沢山いれば、それだけ心に余裕が生まれる。余裕ができれば、もっと多角的にものを見、より巨視的に、客観的に考えることもできるようになるだろう。そのことで、固定化した考え方が今よりずっと柔軟になれば、国を運営してゆく手法についてももっと沢山の良いアイデアが生まれてくるようになるのではないだろうか。

(そうですよね……? 陛下)

 きっとそうだ。
 レドはナリウスにそう言いたかったのに違いない。そしてそれを、ほんの一部だけかもしれないがこうして現場に居ざるを得なくなったシュウにも託してくれたのかもしれないのだ。ここでそれを実際に見て、可能ならばナリウスを助けることさえ、彼はシュウに望んでいたのかもしれない。
 もっとも、政治のことなどまったくわからない、素人とすら言えないような平民の自分にそこまでのことを期待しているなんて、シュウの勝手な妄想もいいところかもしれないけれど。「なにをバカなことを」とあっさり笑われてしまいそうだから、レドに言うのはやめておこうと心密かに決意する。

(でも、もしかして……)

 あのレドのことだ。もしかすると、これは単に「敵に塩を送る」というようなことでもなく、心の内にはさらにそのずっと先の両国の未来の姿を思い描いているのかもしれない。
 ありうる話だ、とシュウは思う。あのレドなら、きっとそこまで考えている。こうやっていつまでも毎年お互いに物資と兵力を消耗させるだけの関係を続けることが、双方にとっていいことのはずはないからだ。戦争はだれよりも、まず下層の民たちを疲弊させる。

 ただそうは言っても、まだまだナリウスの周りには不穏な分子が沢山いることも事実だ。クリスの件は、この国とナリウスにとってほんの端緒についたというだけの話かもしれない。それでも何かが変わるためには、やはりそのための一歩が必ずあるのだ。
 逆に言えば、その一歩を踏み出さなければ、誰も、何も、変わることなどできないのだから。

「やあ、来たね。ラギ君」
「わっ……!」

 突然頭の上から声がして、シュウはぴょんと飛び上がった。見上げると医療班長のドネルがいつものいかつい顔でこちらを見下ろしていた。少し不思議そうな目をしている。三人はすでに「医務の間」の入り口についていたのだ。

「あっ、す、すみません!」シュウは慌てて礼をした。「今日もよろしくお願いします!」
「今日は君に、あの奥の区画の重症者のあたりを中心にお願いしようと思ってるんだが。いいかな?」

 事務的に今日の担当区画と患者それぞれについての注意事項を通達されて、シュウはすぐにそちらへ向かった。護衛の二人もついてくる。

(今日は重症患者さんの所か……。良かった)

 心ひそかに思う。この《癒しの手》の力を使うにしても、あまり軽症の者が相手ではすぐに気づかれてしまう。それに、できればよりその力を必要としているはずの、重症の患者の近くを担当できる方がありがたかった。
 これまでは一応うまくやっているつもりだが、やはりドネルは少し奇妙な感じを受けているようにも見える。見た目よりもはるかに勘の鋭い男のようだ。シュウがここにやってきて以来、明らかに死亡する患者の数は減っている。特に瀕死の者や重病の者の割合が減っているわけではないのに、である。
 いまのところ、ドネルが何かしらシュウのことを疑っているような素振りはなかったが、シュウのこれまでの経験上、医者の長年の経験や勘は絶対に馬鹿にしてはならなかった。
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