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第二部 エスペローサ編 第四章 陰謀
8 計画
しおりを挟むその夜。
「手を止めよ、シュウ。大事な話だ」
ナリウスはシュウの部屋にやってくると、宿題をしていたシュウを促して暖炉の前のソファに座らせた。
「は、……はい」
シュウはいきなり緊張した。いきなり、ぐっと喉の奥が詰まったような気になり、体が強張る。ナリウスはシュウの隣に座ると、すぐに切り出した。
「そなたももう気付いていようが、『医務の間』に件の『ふくろう』がいる」その声は意外なほど穏やかだった。
「……はい」
「それが誰であるかはここでは言わぬ。ともかく、クリスとその手下の者が、その者を秘密裏に、医務の間からかねて準備した別室へと連れ出す手筈になっている。無論、医療班長ドネルにも了承は得てある」
「はい……」
(そうなんだ、ドネル先生にも──)
「実はその者は、そのままでは喋ることが難しいらしい。そなたの手の能力が要る」
「えっ……!?」
シュウは驚いた。
それは、その「ふくろう」がそんな重傷の相手だということだろうか? いったい誰が? それに、こんな企みを実行するのに、なぜそんな人間が関わっているのだろう?
一気に去来したシュウの疑問を制するように、ナリウスが片手を上げた。
「詳細については直接その者の口から聞くより仕方がない。ともかく、連れ出した『ふくろう』を、その場で話のできる程度まで、そなたに治療してもらいたい」
(な、なるほど……)
「もちろん、そやつはただの黒幕の使いっ走りに過ぎぬ。すでにクリスがあらかた黒幕の目星はつけているのだが、確実な証拠となるとまだ弱くてな。動かぬ証拠を掴むため、そやつの言質を取る必要がある。……ここまでは、わかったか?」
「は、はい……」
多少不安だが、ひとまずシュウは頷いた。
「問題は、いかにしてそやつの口を割らせるかだが──」
(ひ──!!)
「……どうした?」
そこで咄嗟に耳を塞いでしまったのを見て、ナリウスが妙な顔をした。シュウは早くも涙目である。
「だ、だって……。ご、ごご拷問とかそういうのは、もう、そのっ……!」
ぶんぶん顔を横に振って訴える。地下牢での、あの囚人たちの断末魔の叫びが頭の中に蘇る。あれは忘れようとしても、なかなか忘れられるような体験ではなかった。もちろんこの場合は拷問をせざるを得ないのかもしれないが、自分もその場に居合わせなくてはならないのだとしたら、シュウはもう、気を失わずにいる自信はまったくなかった。
が、ナリウスはなぜか軽く苦笑しただけだった。
「まあ、落ち着け」そのままシュウを抱き寄せて、優しく頭を撫でてくれる。「一足飛びにそこまではいかぬ。ともかく、話を戻すぞ」
「は、はい……」仕方なく、耳を塞いでいた手を離す。
「拷問が必要か否かはその場の判断になる。だが、どうもそやつがこの件に関わったいきさつが不自然でな。その辺りをよく聞きだして、もしもそなたに協力できるところがあれば、是非ともクリスに手を貸してやってもらいたい」
「は? はあ……」なんだか、よく分からない話である。「でも、その……」
「なんだ?」
シュウを見返した薄氷の瞳には暖炉の火の色が映りこんでいる。そのせいなのかどうなのか、普段よりも何倍増しかで温かなまなざしに見えた。
「それでも、その人が話さなかったら……。やっぱりその……拷問に?」その単語を口にするだけでも、どうしても声が震えてくるのを止められない。
「それは止むを得まいがな。ただ、恐らくそうはなるまいよ──」
「え? どうして……」
ナリウスはくすりと笑った。「その点については、私もクリスも意見が一致している。十中八九、心配は要るまい。そなたがそこにいれば、間違いなく大丈夫だ」
「そ、そうなんですか……?」
やっぱり話がいまひとつ読めない。いまだに不安な顔をやめられないでいるシュウを抱きしめて、ナリウスはその唇に口付けた。
「ん……っ」
「ともかく、話は以上だ。日程については、タイミングを見てクリスから話があろう……」言いながら、そのまま頬に、耳に、顎にと唇が移動してゆく。
「あ、ん……だめっ……!」
思わず、ナリウスの胸を押して体を離した。
ここで流されるからいけないのだ。
宿題はまだ、終わっていない!
「どうした?」見返したナリウスの瞳も声も不満げだったが、もうこれ以上引くわけにはいかなかった。
「宿題が、終わってないんです! お願いですから、もうちょっと待っ……んんっ!」
言い終わらないうちに、また唇を塞がれた。そのまま深く舌を絡められ、口腔をなぞられて、体をあちこちと撫でられる。腰から尻の方に触れられると、すぐに体の芯に熱が集まり始めてしまう。
「だめ、ですった、ら……」
必死に抵抗しようとするのを、逆にそのままソファに押し倒された。
「心配するな。宿題の問題は解決済みだ」
(……は??)
予想外の台詞に耳を疑った。
(解決済み? 解決って、どうやって??)
「マダム・モリスには、私から説明しておいた」シュウの夜着に手を掛けながら、けろっとした声で言う。すぐに胸元まで露にされてしまった。
「な……?」
(説明? 説明って、まさか──)
さーっと血の気が引いていくのが分かった。
(まさか……まさか)
嫌な予感は、的中した。
「『シュウは夜、私の相手で忙しい。宿題の量はほどほどに』、とな」
ナリウスの声は「ただ当然のことを言ったまで」といった調子だった。加えて、なんだか嬉しそうである。しかも、余計なウインクまで飛んできた。
「…………」
しばし、頭が真っ白になる時間。
(ぎゃああああああ!!)
次は真っ青になる時間だ。
「な……っ、なっ……!」
体じゅうがわなわな震えて、二の句が継げない。
(なんっってこと言うんだよ! この人は────!!)
ナリウスは、シュウの動揺には明らかに気付いているが、まったく平気な顔をして、その手も、唇も動きを止めない。
「構うまい? あちらは立派な妙齢の女性だ。アイリスとは訳が違うさ――」
「そっ、そそ、そういう問題じゃないでしょう……!」
どうするんだ。明日から一体、どんな顔をして先生に会えばいいんだ!!
「私とて、わざわざそなたとの大切な夜の営みについて他人にぺらぺらと喋るのは本意ではなかったさ。しかし、アイリスに頼まれては仕方なかろう? 『シュウさまがお可哀想です、なんとかして差し上げてください!』と、それは可愛い顔をしてお願いされてしまってはな――」
何を得々と説明してるんだ。わざとらしいにも程があるぞ。
「『明日から先生に合わす顔がない』、という顔だな?」
「…………っ」
シュウはもう、涙目でナリウスを睨むぐらいのことしかできない。その顔をちょっと眺めて、やがて美貌の王は溜め息をついた。
「……仕方がない。では、マダム・モリスには職を辞していただこう」
「……は!?」
シュウは思わず半身を起こした。
ちょっと待て。なんでそんな話になる!
「この国でも、まだまだ稀有な女性教師でもあることだし、アイリスにはよい先生だと思っていたのだがな。そなたがそこまで言うなら止むをえん。この際、地方都市の貴族の娘の家庭教師先でも世話して追い払うか――」
こらこらこらこら! 誰が「そこまで」言いましたか?
「反復練習も結構だが、いささか非効率にすぎるとは思っていたのさ。勉強は、なんでもただ牛馬のように、黙々とやればいい訳ではないからな。時間とは、即ち人生そのものだぞ。あまり無駄にはして貰いたくない」
落ちてくる銀髪をかき上げながら、またにっこりと微笑まれた。
シュウはもう、頭がくらくらし始める。
(冗談じゃないよ――!)
モリス先生に、そんなご迷惑が掛けられるものか!
「……やめてください。絶対、そんなこと──」噛み締めた歯の間からやっと言った。
「なんだって?」
ナリウスがにこにこしながら聞き返す。明らかに聞こえているのに、相変わらずこの王は意地悪だ。
「だからっ……。いいです、それで……。モリス先生には、このまま講義を受けさせていただきますから……!」
涙目のままふるふるしているシュウをしばし眺めてくくっと笑うと、ナリウスはまたシュウを抱きしめた。
「最初から、そう言えばいいものを」
別人のように優しい声でそう言うと、ナリウスはまたシュウをソファへと押し倒し、その体への愛撫を再開した。シュウはちょっと慌てる。
「あ、あの、ちょっと──」
「まだ何かあるのか? 今日の宿題は『できた所までで構わない』とのことだったぞ。心配するな」
シュウは真っ赤になる。「そ、そうじゃなくて……。その、こ、ここで……?」
ソファの上で押し倒されたままの体勢で、ナリウスを見上げて訴える。
「嫌かい? では、どこでしたいのかな?」
「…………」
やっぱり、そう来るのか。自分が茹で上がった顔で沈黙する姿が、この王はことのほか好きなのだ。
「言ってごらん? すぐに連れて行って差し上げよう」
にこにこ笑って先を促される。
シュウは深い溜め息をついた。
そしてもう、すべてをあきらめることにした。
「……ベ、寝台に、行きたいです……」
ナリウスは上機嫌でにっこり笑うと、シュウを抱き上げ、そのままご所望の場所に連れていった。
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