77 / 137
被写体として
しおりを挟む
今日はリュウールの撮影日。
スタジオは前回と同じ場所だが、リヴィエラの田村さんが念のために全てのスタッフについて確認作業をしてくれたらしい。
あいつら2人は起訴されているから出てくることはないだろうし、真島はあれから本当に慰謝料という名目で晴の口座に振り込みがあったのを確認した。
まだ微々たるものだったがこのまま続けていって更生してくれるものだと信じたい。
だから、もう晴に被害が及ぶことはないとは思うが、それでも心配なのだろう。
確認して安心できるのならそれでいい。
田村さんに全てを任せることにした。
「晴、そろそろ出かけようか」
準備を終え声をかけると、晴は、はーいと寝室から出てきた。
最後まで今日の格好を決めかねていたのだが、結局俺が選んだものにしてくれたらしい。
まぁ、撮影の時は衣装を変えるのだから関係ないと言えばそうなのだが、
晴曰く『理玖にちゃんとカッコいい格好もできるんだ』というところを見せたいらしい。
おそらく、撮影時は前回と同じく女装するからこれはあくまでも撮影の時だけなのだと念を押したいのだろう。
「隆之さん、どう?」
「ああ、よく似合ってるよ。今日は撮影終わったら、そのまま社に戻って桜木部長が話したいって言ってたからその格好ならちょうどいいだろう」
晴の格好は黒の細身のパンツにグレーのシャツ、ベージュの薄手のジャケットを合わせ、腕にはこの前晴にプレゼントした時計がはめられていた。
「やっぱりその時計、よく似合うな。つけてくれて嬉しいよ」
「ふふっ。びっくりするくらい腕に馴染むんだ。隆之さん、ありがとう」
実は今日は久しぶりに一緒に会社に行くから、俺も晴にプレゼントしてもらったネクタイピンをつけている。
晴は気づいてくれるだろうか。
そう思っていたら、すぐに晴の視線が俺のネクタイに注がれているのに気づいた。
「隆之さんもつけてくれて嬉しい!」
気持ちいいくらいの晴の弾けるような笑顔が眩しい。
「今日はうちの社にとって、リュウールにとって、そして俺たちにとって大切な撮影だからな、晴からもらったものを身につけたら頑張れる気がしたんだ。これは俺にとっての大切な御守りなんだ」
そういうと晴はさらに嬉しそうな笑みを浮かべた。
車に乗り込み、理玖をピックアップするためにアルの家へと向かう。
俺は場所を知らないから、晴にナビを頼んで向かっているのだが、この辺は高級住宅地じゃないか?
「あっ、隆之さん。あそこの角を曲がったところにある家だよ」
広くて大きな家が並ぶ中、小さめだが造りは一番豪華な家がどうやらアルの家らしい。
ドイツ風の建築か。すごいな。
こんな良い家があるのに、理玖と住みたくて新しい家を探すなんて……愛の力は偉大だな。
家の前に車を止め、晴がチャイムを鳴らすと
「はーい」
と理玖の声がした。
もうすっかり馴染んでるな。
ガチャっと重厚な扉から出てきた理玖の後ろからアルも一緒に出てきた。
「 GutenMorgen! ハル、ユキ! 今日はリクを頼むよ」
「ああ、帰りもまた送るから心配しないでくれ」
アルはその言葉に満足そうだったが、理玖はちょっと顔を膨らませて
「もう、あんまり過保護にするなって」
と文句を言っている。
とはいえ、目は笑っているからただの痴話喧嘩だな。あれは。
撮影スタジオへと向かう車の中で晴と理玖は2人で後ろに座ってなんだか楽しそうに話している。
「香月、俺この前 【talk on】を検索してみたら、お前のポスターかなりバズってたぞ」
そういえば、特設会場に顔を出したときに友利がそんなこと言ってたな。
晴は【talk on】をやってないから、あのすごさに気づいていないだろうが日本トレンドランキングで1位を取るなんて大したことだぞ。
晴は自分のことなのに特に気にしていないような口ぶりで
「なんか発売日にそんなことを聞いた気がする。かなり前の検索で出てきたの?」
と理玖に尋ねている。
「違うよ。あの発売日から絶えずトレンドには入ってるんだよ。最初はリュウールの話題ばっかだったんだけど、最近はあのポスターの子は誰だ? に変わってきてるみたいだ。お前、【talk on】以外でもネットでかなり話題になってるぞ」
笑いながら晴にスマホ画面を見せている。
「えーっ? なにこれ?」
晴の驚く声に俺も気になって見たかったが、俺は今運転中。
幸い、もうすぐスタジオに着くからついたらすぐに見せてもらうことにしよう。
最後の角を曲がり、スタジオの駐車場へと入る。
「この前このスタジオに来たときはじっくり見る暇もなかったけど、こんな大きなスタジオだったんだな。すごく本格的じゃん!」
理玖が興奮した様子で窓の外のスタジオに見入っている。
「そっか。理玖、あの時スタジオまで来てくれたんだったよね。あの時はありがとうね」
「今更お礼なんて言うなよ。今日は楽しみに来たんだから」
「ふふっ。そうだね。ゆっくり見ていって」
そんな2人の会話を聞きながら俺は駐車場に車を止めた。
「理玖、さっき晴に見せていたサイト、見せてくれないか?」
そう頼むと、理玖はすぐに見せてくれた。
[あの美少女の正体!!]
と言う見出しで載せられてはいるが、最後まで読んでも結局何もわからないままだ。
内容も当たり障りのない調べたらわかることしか書かれていない。
少しほっとしながら、礼を言って理玖にスマホを返したが、とりあえずは少し警戒するように田村さんにも伝えておいた方がいいだろう。
熱狂的なファンというのはどこにでも現れるものだからな。
「おはようございます!!」
晴は久しぶりの撮影で緊張しているのかと思いきや、理玖がいるからか素の表情が出ていて良い感じだ。
あのポスター写真を撮ってくれたカメラマンの永山さんはもちろん、メイクの桧山さんも続投だ。
晴にとっては知ってる人に囲まれて撮影もしやすいだろう。
今日の撮影は早く終わるかもしれないな。
「あっ、田村さん。おはようございます!」
スタジオに入ってすぐの場所に田村の姿を見つけて、晴はすぐに走り寄っていって挨拶をしていた。
撮影の時に来ると言っていた通り、早々と来てくれているようだ。
「香月くん、おはよう。今日の撮影も頑張ってね。早瀬さんもおはようございます。あれ? 後ろの君は確か……」
ああ、この前シュパースで会ったときのことを覚えているんだな。
少し酔っていたようだったし、晴のことで珍しくテンションも高かったからあの時は理玖を紹介する暇がなかった。
しかし、理玖も晴と違うタイプの美少年だから、田村の記憶に残っていたのかもしれない。
「田村さん、この子は香月くんの友達でシュパースでアルバイトをしている戸川 理玖くんですよ。今日は香月くんの撮影の見学がしたいというんで連れてきました」
「そうか、戸川くん。よろしく。ところで、気にはモデルの仕事には興味ないかい?」
やはり、理玖のことを気に入っているみたいだな。
田村の目が輝いている。
理玖はなんと答えるだろうか?
「えっ? モ、モデル? いやいや、俺がモデルなんてとんでもないですよ。撮影されるより、撮影するほうが興味あります」
「撮影するほうが? ああ、だから今日見学に?」
「あ、はい。あの話題になっている香月のポスターをどうやって撮影したのか、実際に見てみたくって。あのポスター見てみたんですけど、普段の香月の表情っぽいのに妙に色っぽくて何度も見たくなるってすごいなって思ったんですよね」
「いやー、そんな褒めてもらえると照れるなぁ」
急に後ろから声が聞こえて驚いてみんなで振り向くと、嬉しそうに笑うカメラマンの永山の姿があった。
「永山さん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
晴の挨拶に続き、俺も田村も挨拶を交わした。
そして、理玖の紹介をすると、永山は興味津々の様子で理玖に声をかけていた。
「あれを普段の表情だって見分けられるだけでもすごいのに、色気もわかるってさすがだな。香月くんとは長い付き合いなの?」
「はい。高校入学の時に知り合って、大学も一緒なんで……7年くらいですね」
「へぇ……。君もかなり興味を惹く被写体なんだけどな」
理玖が話をしているその表情がどうやら永山の興味を惹いたらしい。
カメラマンの表情に変わっている。
「とりあえず、俺がどんな感じで撮影しているか一緒に見てみないか?」
「ええっ! いいんですか?」
てっきり離れた場所から見学だと思っていただけに、すぐ近くで見せてもらえることになって理玖は大喜びしている。
こんな機会滅多にないからな。
しかも天才カメラマンと名高い永山自らの誘いなんて断る理由がないな。
「香月くん! おはよう。今日はよろしくね!」
元気一杯の声でスタジオに入り、晴に挨拶してきたのはリュウール広報部の友利。
その後ろから商品開発部の緒方部長が友利の肩を叩いている。
「友利、お前うるさすぎるぞ。もう少し静かに挨拶しろ」
「すみません。久しぶりに香月くんに会えて嬉しくなってしまって……」
晴はふふっと笑いながら、2人に近づき
「おはようございます。緒方部長、友利さん。今日はよろしくお願いします」
とにこやかに挨拶をした。
晴のその可愛らしい表情にすっかりやられてしまったらしい2人は締まりのない笑顔を浮かべて、晴を見つめていた。
「あ、あの?」
その視線に晴が声をかけたのと同時に、
「おーい、香月くん。そろそろ準備しようか」
と声がかかった。
「あ、はーい。それじゃあ、緒方部長、友利さん。失礼しますね」
晴はまた可愛らしい笑顔を見せ、足早に田村の元へ走って行った。
晴が田村に着替えとヘアメイクに連れて行かれ、スタジオは撮影開始に向けて慌ただしく動き始めた。
「戸川くん、ちょっといいかな」
理玖は永山に声をかけられ、嬉しそうに走って行った。
俺もあとでアルに報告してやろうと理玖の後ろからこっそりついて行くと、
「戸川くん、撮影場所の確認するからそこに立ってもらえるかな?」
という指示に理玖は、はいと元気よく指示場所に立った。
「うん。いいね」
今の動作は、カメラの配置や動きを確認するのには大切な作業だが、永山の視線はなんとなく被写体として理玖を見ている気がするんだよな。
「戸川くん、動きを見たいから適当に動いてもらえる?」
「えっ? て、適当って……」
「ああ、なんでもいいよ。部活とかやってたならそれの動きでもいいし、適当に歩いたり座ったりしてポーズ決めてくれてもいいよ。カメラは意識しないで本当、適当に動いてもらえていいから」
適当でいい、こういうのが一番困るんだよな。
というか、これ、モデルの試験みたいなものじゃないか。
普通の人はカメラを意識するなって言われてもやはりあんな大きなカメラで狙われてると表情や動きが固くなるものだ。
忘れようたってそうはいかない。
それを初めてカメラの前に立たせてやらせるなんて……やっぱり永山は理玖を被写体として相当気に入ってるみたいだな。
さて、理玖はどんな動きをするだろうか。
理玖は少しの間、考えていたようだったけれど、
「じゃあ、動きます」
と声をあげると、突然両足を肩幅に開きピシッとした綺麗な姿勢でその場に立った。
ただ立っているだけなのに威圧感のあるその立ち姿に圧倒される。
なんだ? 理玖の周りの空気が変わったな。
先ほどまでざわざわとしていたスタジオが理玖の気迫に押され、しんと静まり返った。
誰も理玖から目を離すことができない。
なぜだろう、ただ立っているだけなのに。
その美しい凛とした立ち姿に皆が見入ってしまっているのだ。
理玖はスッと手を引き、さっとおでこの前で構えたと思ったら、さっと足を引き腕を突き出す。
四股を踏むように腰を落とし、腕を引いたり伸ばしたりを繰り返している。
これは、空手か?
理玖の手や足が動くたびにバシッバシッと空気を切る音、衣擦れの音が聞こえてきて、その迫力ある音鳴りに驚かされる。
まさか理玖にこんな特技があったとは……知らなかったな。
永山を見ると、理玖の汗はもちろん、声すらも写真に残りそうなほど必死にシャッターを切っている。
これはすごい写真が出来上がりそうだ。
「エエイィィー!」
ものすごく気合の入った勇ましい声が上がり、理玖は最初のピシッとした綺麗な立ち姿に戻った。
型が終わったのか……。
ずっと見ていたいと思わせるような演武にそこかしこから、はぁっ……と感嘆の声が漏れていた。
理玖を見ると、演武していた時とは別人のようなにこやかな笑顔で
「こんな感じでよかったですか?」
と永山に話しかけていた。
「いやぁ、びっくりしたよ。なんというかすごい演技だったね」
「実はずっと海外に住んでたんで、日本の心を忘れないようにって親にずっと空手を習わされてたんですけど……ここで役に立ってよかったです」
さっきの凛々しい表情から一転したそのいたずらっ子のような笑顔にどこか惹きつけられる。
晴の友達だけあって、理玖もやはり何か人を惹きつける能力に長けているな。
「戸川くんには、また近いうちにぜひ会いたいものだね」
「えっ? それはどういう……?」
「ふふっ。俺は自分の目で見たものは逃さない主義だからね」
???
理玖はよくわかっていないようだが、永山はきっとまた理玖に会いたいと言ってくるだろう。
これはアルに報告しとかないとおかしなことになるかもしれないな。
「すみません。お待たせしました」
まだ理玖の演武の興奮冷めやらぬなか、スタジオの入り口から晴の戸惑ったような声が聞こえた。
パッと晴の方に目を向けると、そこにはこの世のものとは思えないほど眩いオーラを放った美しい人が立っていた。
晴……。
このスタジオには俺も含めて数十人がいるというのに、どこからも声が聞こえてこない。
水を打ったような静けさの中、
「スゲェー! 香月、めっちゃ美人じゃん!」
と軽快な理玖の声がスタジオ中に響いた。
誰しもが晴の美しさに目を奪われて声も出せないのに、理玖はさすがとしか言いようがない。
「もう! 恥ずかしいからやめてよ!」
いつの間にか晴の元に駆け寄っていた理玖と2人で戯れる姿は見ているだけで微笑ましい。
「これ、イケるな」
2人の様子を見ていた永山がぽつりと呟いた言葉が俺の耳に入ってきた。
その言葉に俺はもう一度、晴と理玖が戯れる姿を見ると永山の言っている意味がよくわかった。
リュウールのポスターの構図はもう既に決まってはいるが、あの2人を撮らない手はない。
「これは撮っておくべきでしょうね」
「そうだな。彼がうまく香月くんの表情を引き出している」
楽しそうに話している2人の姿を俺たちはずっと見つめていた。
永山はこっそりシャッターを何枚か切った後、何食わぬ顔で晴に呼びかけた。
「おーい、香月くん。そろそろいいかい?」
「あ、はーい。遊んじゃってごめんなさい」
と謝りながら急いで永山の元に駆けつけた晴は遠目で見ていたときの眩いオーラを遥かに上回るほどの神々しい光を放っているように見えた。
ここは天界なのか……と勘違いしてしまいそうなほどの圧倒的な美しさの前に俺はただ晴を見つめることしかできなかった。
「隆之さん? 隆之さんってば!」
何度か声をかけられてやっと晴の声に反応することができた。
「あ、ああ……ごめん」
「変、かなぁ?」
「いいや! そんなことない。晴が美しすぎて見惚れてしまっただけだ」
そういうと、晴はお世辞とでも思ったのか軽くふふっと笑いながら、
「ありがとう」
と言ってくれた。
「じゃあ、香月くん。ここに立って。戸川くん、手伝いを頼んでもいいか?」
晴の隣に立っていた理玖はとうとう始まる撮影に顔を綻ばせながら、永山の隣に立つと耳元で何かを囁かれ、
『わかりました』と小さく呟いた。
そして、永山が手渡した小さめのカメラを手にして、晴にゆっくりと近づいていった。
「香月、どうだ? 俺、結構カメラ持つの似合うだろう?」
「うん。いいね! すごく上手そう」
晴は理玖が相手だからか、永山には見せないようなラフな顔を見せている。
この軽い感じ、理玖だから引き出せるんだろうな。
「じゃあ、こっちに顔むけて笑ってみてよ」
「ふふっ。理玖ったら、本物みたい」
そう言って笑った晴の笑顔にスタジオにいた人たちが一瞬にして引き込まれていくのがわかった。
永山はそれに動揺することもなく、晴に気づかれないようにシャッターを切っていく。
今日は理玖が一緒に来てくれて正解だった。
あれを引き出せたのは大きな功績だ。
修正も何もいらないだろう。
今回のポスターもきっと話題になること請け合いだ。
そして、撮影はあっという間に終わった。
晴も理玖も気づかないままに……。
「はーい。お疲れー。じゃあ、休憩しよっか」
「えっ? もう撮影終わったんですか?」
「いや、まだだよ。どういうふうに撮っていこうかリハーサルしてたんだ」
「あっ、そうですよね。流石に早すぎると思ったぁ」
と晴と理玖は2人で顔を見合わせて笑っているが、さっきの写真でもうとっくに撮影は終わったはずだ。
だとしたら、永山の考えは別にあるのだろう。
「ねぇ、戸川くん。香月くんのメイクどう思う?」
休憩だと言って2人をそのまま撮影場所に座らせ、話をしている傍にススっと寄っていった永山は急に理玖に晴のメイクについて尋ねた。
「えっ? メイクですか? いや、俺メイクとか全然わからないんですけど……」
と言って、晴の顔をじっくりと見始めた。
そして、
「でも、ナチュラルで可愛いと思いますよ。すごく自然だし、なんか触りたくなるっていうか……吸い寄せられますね」
と言って、晴の頬に少し指先を当てた。
その瞬間、永山が後ろ手に構えていたシャッターボタンがカチッと押されたのに気づいた。
確かに指が動いていたけれど、音が鳴らないように設定されているのか、それともそういうものなのか、永山の押したシャッターボタンは無音のまま、後ろ手に構えた指だけが何度も何度も同じ動きを繰り返していた。
晴も理玖もそれに気づくことなく楽しそうに戯れを続けている。
永山が満足そうな表情を浮かべ、
「よし。今日は撮影終わり。お疲れさまーっ」
と声をかけた。
えっ? と呆気に取られた表情で晴も理玖も永山を見ているが、永山はふふっと笑ったまま、機材の片付けを始めた。
「いつの間に終わったんだ? 休憩っていってなかったか?」
と理玖は不思議がっていたが、
晴は前回も同じように自分が気づかない間に終わってしまっていたから、今回も同じだと思ったんだろう。
「ねっ、理玖、僕の言った通りだったでしょう? 前回も今回も僕の知らない間に撮影が終わっちゃってるんだよ」
「ほんとだな。これがプロの撮影ってやつか? すごいな。でも、あんなすごい人と同じ場所に立ってカメラも触らせてもらえて、すごくいい体験になったよ」
「ふふっ。確かにそうかも。僕も理玖がいてくれたから、緊張せずに済んだし。実際、どんな写真が撮られたのかもわからないけど、出来上がりのお楽しみってことかな」
「ああ、そうだな。前回のがかなり話題になってたから、それを超えるのはなかなか難しいだろうけど、こんなに早く撮影が終わるくらいだから、きっと永山さんも相当自信がある写真が撮れたんじゃないか?」
「うん。そうだといいけど。僕のポスターでリュウールさんの売り上げが落ち込んだりしたら嫌だもんね」
「そこは大丈夫だろう。香月ももっと自信持たないと! ですよね、早瀬さん」
2人の会話に聞き入っていたが、突然話を振られて驚いてしまった。
「あ、ああ。そうだぞ。永山さんは納得いくまで撮影を続ける人だからな。撮影が終わったってことは、納得できるものが撮れたっていうことだよ。心配しなくていい」
晴は俺の言葉に『ありがとう』と微笑んでいたが、お世辞とでも思っているのか少し緊張しているように見える。
俺は少し永山と話がしたくて、理玖に晴の着替えに付き合ってもらうよう頼むことにした。
「理玖、悪いが俺は少しここで打ち合わせがあるから、晴の着替えについて行ってやってくれるか?」
「はい。大丈夫ですよ。じゃあ、香月行こうぜ」
晴はいつもなら遠慮しそうなところだったが、前回のことを思い出したのか、理玖に『よろしく』と言って用意されていた楽屋へと向かった。
スタジオは前回と同じ場所だが、リヴィエラの田村さんが念のために全てのスタッフについて確認作業をしてくれたらしい。
あいつら2人は起訴されているから出てくることはないだろうし、真島はあれから本当に慰謝料という名目で晴の口座に振り込みがあったのを確認した。
まだ微々たるものだったがこのまま続けていって更生してくれるものだと信じたい。
だから、もう晴に被害が及ぶことはないとは思うが、それでも心配なのだろう。
確認して安心できるのならそれでいい。
田村さんに全てを任せることにした。
「晴、そろそろ出かけようか」
準備を終え声をかけると、晴は、はーいと寝室から出てきた。
最後まで今日の格好を決めかねていたのだが、結局俺が選んだものにしてくれたらしい。
まぁ、撮影の時は衣装を変えるのだから関係ないと言えばそうなのだが、
晴曰く『理玖にちゃんとカッコいい格好もできるんだ』というところを見せたいらしい。
おそらく、撮影時は前回と同じく女装するからこれはあくまでも撮影の時だけなのだと念を押したいのだろう。
「隆之さん、どう?」
「ああ、よく似合ってるよ。今日は撮影終わったら、そのまま社に戻って桜木部長が話したいって言ってたからその格好ならちょうどいいだろう」
晴の格好は黒の細身のパンツにグレーのシャツ、ベージュの薄手のジャケットを合わせ、腕にはこの前晴にプレゼントした時計がはめられていた。
「やっぱりその時計、よく似合うな。つけてくれて嬉しいよ」
「ふふっ。びっくりするくらい腕に馴染むんだ。隆之さん、ありがとう」
実は今日は久しぶりに一緒に会社に行くから、俺も晴にプレゼントしてもらったネクタイピンをつけている。
晴は気づいてくれるだろうか。
そう思っていたら、すぐに晴の視線が俺のネクタイに注がれているのに気づいた。
「隆之さんもつけてくれて嬉しい!」
気持ちいいくらいの晴の弾けるような笑顔が眩しい。
「今日はうちの社にとって、リュウールにとって、そして俺たちにとって大切な撮影だからな、晴からもらったものを身につけたら頑張れる気がしたんだ。これは俺にとっての大切な御守りなんだ」
そういうと晴はさらに嬉しそうな笑みを浮かべた。
車に乗り込み、理玖をピックアップするためにアルの家へと向かう。
俺は場所を知らないから、晴にナビを頼んで向かっているのだが、この辺は高級住宅地じゃないか?
「あっ、隆之さん。あそこの角を曲がったところにある家だよ」
広くて大きな家が並ぶ中、小さめだが造りは一番豪華な家がどうやらアルの家らしい。
ドイツ風の建築か。すごいな。
こんな良い家があるのに、理玖と住みたくて新しい家を探すなんて……愛の力は偉大だな。
家の前に車を止め、晴がチャイムを鳴らすと
「はーい」
と理玖の声がした。
もうすっかり馴染んでるな。
ガチャっと重厚な扉から出てきた理玖の後ろからアルも一緒に出てきた。
「 GutenMorgen! ハル、ユキ! 今日はリクを頼むよ」
「ああ、帰りもまた送るから心配しないでくれ」
アルはその言葉に満足そうだったが、理玖はちょっと顔を膨らませて
「もう、あんまり過保護にするなって」
と文句を言っている。
とはいえ、目は笑っているからただの痴話喧嘩だな。あれは。
撮影スタジオへと向かう車の中で晴と理玖は2人で後ろに座ってなんだか楽しそうに話している。
「香月、俺この前 【talk on】を検索してみたら、お前のポスターかなりバズってたぞ」
そういえば、特設会場に顔を出したときに友利がそんなこと言ってたな。
晴は【talk on】をやってないから、あのすごさに気づいていないだろうが日本トレンドランキングで1位を取るなんて大したことだぞ。
晴は自分のことなのに特に気にしていないような口ぶりで
「なんか発売日にそんなことを聞いた気がする。かなり前の検索で出てきたの?」
と理玖に尋ねている。
「違うよ。あの発売日から絶えずトレンドには入ってるんだよ。最初はリュウールの話題ばっかだったんだけど、最近はあのポスターの子は誰だ? に変わってきてるみたいだ。お前、【talk on】以外でもネットでかなり話題になってるぞ」
笑いながら晴にスマホ画面を見せている。
「えーっ? なにこれ?」
晴の驚く声に俺も気になって見たかったが、俺は今運転中。
幸い、もうすぐスタジオに着くからついたらすぐに見せてもらうことにしよう。
最後の角を曲がり、スタジオの駐車場へと入る。
「この前このスタジオに来たときはじっくり見る暇もなかったけど、こんな大きなスタジオだったんだな。すごく本格的じゃん!」
理玖が興奮した様子で窓の外のスタジオに見入っている。
「そっか。理玖、あの時スタジオまで来てくれたんだったよね。あの時はありがとうね」
「今更お礼なんて言うなよ。今日は楽しみに来たんだから」
「ふふっ。そうだね。ゆっくり見ていって」
そんな2人の会話を聞きながら俺は駐車場に車を止めた。
「理玖、さっき晴に見せていたサイト、見せてくれないか?」
そう頼むと、理玖はすぐに見せてくれた。
[あの美少女の正体!!]
と言う見出しで載せられてはいるが、最後まで読んでも結局何もわからないままだ。
内容も当たり障りのない調べたらわかることしか書かれていない。
少しほっとしながら、礼を言って理玖にスマホを返したが、とりあえずは少し警戒するように田村さんにも伝えておいた方がいいだろう。
熱狂的なファンというのはどこにでも現れるものだからな。
「おはようございます!!」
晴は久しぶりの撮影で緊張しているのかと思いきや、理玖がいるからか素の表情が出ていて良い感じだ。
あのポスター写真を撮ってくれたカメラマンの永山さんはもちろん、メイクの桧山さんも続投だ。
晴にとっては知ってる人に囲まれて撮影もしやすいだろう。
今日の撮影は早く終わるかもしれないな。
「あっ、田村さん。おはようございます!」
スタジオに入ってすぐの場所に田村の姿を見つけて、晴はすぐに走り寄っていって挨拶をしていた。
撮影の時に来ると言っていた通り、早々と来てくれているようだ。
「香月くん、おはよう。今日の撮影も頑張ってね。早瀬さんもおはようございます。あれ? 後ろの君は確か……」
ああ、この前シュパースで会ったときのことを覚えているんだな。
少し酔っていたようだったし、晴のことで珍しくテンションも高かったからあの時は理玖を紹介する暇がなかった。
しかし、理玖も晴と違うタイプの美少年だから、田村の記憶に残っていたのかもしれない。
「田村さん、この子は香月くんの友達でシュパースでアルバイトをしている戸川 理玖くんですよ。今日は香月くんの撮影の見学がしたいというんで連れてきました」
「そうか、戸川くん。よろしく。ところで、気にはモデルの仕事には興味ないかい?」
やはり、理玖のことを気に入っているみたいだな。
田村の目が輝いている。
理玖はなんと答えるだろうか?
「えっ? モ、モデル? いやいや、俺がモデルなんてとんでもないですよ。撮影されるより、撮影するほうが興味あります」
「撮影するほうが? ああ、だから今日見学に?」
「あ、はい。あの話題になっている香月のポスターをどうやって撮影したのか、実際に見てみたくって。あのポスター見てみたんですけど、普段の香月の表情っぽいのに妙に色っぽくて何度も見たくなるってすごいなって思ったんですよね」
「いやー、そんな褒めてもらえると照れるなぁ」
急に後ろから声が聞こえて驚いてみんなで振り向くと、嬉しそうに笑うカメラマンの永山の姿があった。
「永山さん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
晴の挨拶に続き、俺も田村も挨拶を交わした。
そして、理玖の紹介をすると、永山は興味津々の様子で理玖に声をかけていた。
「あれを普段の表情だって見分けられるだけでもすごいのに、色気もわかるってさすがだな。香月くんとは長い付き合いなの?」
「はい。高校入学の時に知り合って、大学も一緒なんで……7年くらいですね」
「へぇ……。君もかなり興味を惹く被写体なんだけどな」
理玖が話をしているその表情がどうやら永山の興味を惹いたらしい。
カメラマンの表情に変わっている。
「とりあえず、俺がどんな感じで撮影しているか一緒に見てみないか?」
「ええっ! いいんですか?」
てっきり離れた場所から見学だと思っていただけに、すぐ近くで見せてもらえることになって理玖は大喜びしている。
こんな機会滅多にないからな。
しかも天才カメラマンと名高い永山自らの誘いなんて断る理由がないな。
「香月くん! おはよう。今日はよろしくね!」
元気一杯の声でスタジオに入り、晴に挨拶してきたのはリュウール広報部の友利。
その後ろから商品開発部の緒方部長が友利の肩を叩いている。
「友利、お前うるさすぎるぞ。もう少し静かに挨拶しろ」
「すみません。久しぶりに香月くんに会えて嬉しくなってしまって……」
晴はふふっと笑いながら、2人に近づき
「おはようございます。緒方部長、友利さん。今日はよろしくお願いします」
とにこやかに挨拶をした。
晴のその可愛らしい表情にすっかりやられてしまったらしい2人は締まりのない笑顔を浮かべて、晴を見つめていた。
「あ、あの?」
その視線に晴が声をかけたのと同時に、
「おーい、香月くん。そろそろ準備しようか」
と声がかかった。
「あ、はーい。それじゃあ、緒方部長、友利さん。失礼しますね」
晴はまた可愛らしい笑顔を見せ、足早に田村の元へ走って行った。
晴が田村に着替えとヘアメイクに連れて行かれ、スタジオは撮影開始に向けて慌ただしく動き始めた。
「戸川くん、ちょっといいかな」
理玖は永山に声をかけられ、嬉しそうに走って行った。
俺もあとでアルに報告してやろうと理玖の後ろからこっそりついて行くと、
「戸川くん、撮影場所の確認するからそこに立ってもらえるかな?」
という指示に理玖は、はいと元気よく指示場所に立った。
「うん。いいね」
今の動作は、カメラの配置や動きを確認するのには大切な作業だが、永山の視線はなんとなく被写体として理玖を見ている気がするんだよな。
「戸川くん、動きを見たいから適当に動いてもらえる?」
「えっ? て、適当って……」
「ああ、なんでもいいよ。部活とかやってたならそれの動きでもいいし、適当に歩いたり座ったりしてポーズ決めてくれてもいいよ。カメラは意識しないで本当、適当に動いてもらえていいから」
適当でいい、こういうのが一番困るんだよな。
というか、これ、モデルの試験みたいなものじゃないか。
普通の人はカメラを意識するなって言われてもやはりあんな大きなカメラで狙われてると表情や動きが固くなるものだ。
忘れようたってそうはいかない。
それを初めてカメラの前に立たせてやらせるなんて……やっぱり永山は理玖を被写体として相当気に入ってるみたいだな。
さて、理玖はどんな動きをするだろうか。
理玖は少しの間、考えていたようだったけれど、
「じゃあ、動きます」
と声をあげると、突然両足を肩幅に開きピシッとした綺麗な姿勢でその場に立った。
ただ立っているだけなのに威圧感のあるその立ち姿に圧倒される。
なんだ? 理玖の周りの空気が変わったな。
先ほどまでざわざわとしていたスタジオが理玖の気迫に押され、しんと静まり返った。
誰も理玖から目を離すことができない。
なぜだろう、ただ立っているだけなのに。
その美しい凛とした立ち姿に皆が見入ってしまっているのだ。
理玖はスッと手を引き、さっとおでこの前で構えたと思ったら、さっと足を引き腕を突き出す。
四股を踏むように腰を落とし、腕を引いたり伸ばしたりを繰り返している。
これは、空手か?
理玖の手や足が動くたびにバシッバシッと空気を切る音、衣擦れの音が聞こえてきて、その迫力ある音鳴りに驚かされる。
まさか理玖にこんな特技があったとは……知らなかったな。
永山を見ると、理玖の汗はもちろん、声すらも写真に残りそうなほど必死にシャッターを切っている。
これはすごい写真が出来上がりそうだ。
「エエイィィー!」
ものすごく気合の入った勇ましい声が上がり、理玖は最初のピシッとした綺麗な立ち姿に戻った。
型が終わったのか……。
ずっと見ていたいと思わせるような演武にそこかしこから、はぁっ……と感嘆の声が漏れていた。
理玖を見ると、演武していた時とは別人のようなにこやかな笑顔で
「こんな感じでよかったですか?」
と永山に話しかけていた。
「いやぁ、びっくりしたよ。なんというかすごい演技だったね」
「実はずっと海外に住んでたんで、日本の心を忘れないようにって親にずっと空手を習わされてたんですけど……ここで役に立ってよかったです」
さっきの凛々しい表情から一転したそのいたずらっ子のような笑顔にどこか惹きつけられる。
晴の友達だけあって、理玖もやはり何か人を惹きつける能力に長けているな。
「戸川くんには、また近いうちにぜひ会いたいものだね」
「えっ? それはどういう……?」
「ふふっ。俺は自分の目で見たものは逃さない主義だからね」
???
理玖はよくわかっていないようだが、永山はきっとまた理玖に会いたいと言ってくるだろう。
これはアルに報告しとかないとおかしなことになるかもしれないな。
「すみません。お待たせしました」
まだ理玖の演武の興奮冷めやらぬなか、スタジオの入り口から晴の戸惑ったような声が聞こえた。
パッと晴の方に目を向けると、そこにはこの世のものとは思えないほど眩いオーラを放った美しい人が立っていた。
晴……。
このスタジオには俺も含めて数十人がいるというのに、どこからも声が聞こえてこない。
水を打ったような静けさの中、
「スゲェー! 香月、めっちゃ美人じゃん!」
と軽快な理玖の声がスタジオ中に響いた。
誰しもが晴の美しさに目を奪われて声も出せないのに、理玖はさすがとしか言いようがない。
「もう! 恥ずかしいからやめてよ!」
いつの間にか晴の元に駆け寄っていた理玖と2人で戯れる姿は見ているだけで微笑ましい。
「これ、イケるな」
2人の様子を見ていた永山がぽつりと呟いた言葉が俺の耳に入ってきた。
その言葉に俺はもう一度、晴と理玖が戯れる姿を見ると永山の言っている意味がよくわかった。
リュウールのポスターの構図はもう既に決まってはいるが、あの2人を撮らない手はない。
「これは撮っておくべきでしょうね」
「そうだな。彼がうまく香月くんの表情を引き出している」
楽しそうに話している2人の姿を俺たちはずっと見つめていた。
永山はこっそりシャッターを何枚か切った後、何食わぬ顔で晴に呼びかけた。
「おーい、香月くん。そろそろいいかい?」
「あ、はーい。遊んじゃってごめんなさい」
と謝りながら急いで永山の元に駆けつけた晴は遠目で見ていたときの眩いオーラを遥かに上回るほどの神々しい光を放っているように見えた。
ここは天界なのか……と勘違いしてしまいそうなほどの圧倒的な美しさの前に俺はただ晴を見つめることしかできなかった。
「隆之さん? 隆之さんってば!」
何度か声をかけられてやっと晴の声に反応することができた。
「あ、ああ……ごめん」
「変、かなぁ?」
「いいや! そんなことない。晴が美しすぎて見惚れてしまっただけだ」
そういうと、晴はお世辞とでも思ったのか軽くふふっと笑いながら、
「ありがとう」
と言ってくれた。
「じゃあ、香月くん。ここに立って。戸川くん、手伝いを頼んでもいいか?」
晴の隣に立っていた理玖はとうとう始まる撮影に顔を綻ばせながら、永山の隣に立つと耳元で何かを囁かれ、
『わかりました』と小さく呟いた。
そして、永山が手渡した小さめのカメラを手にして、晴にゆっくりと近づいていった。
「香月、どうだ? 俺、結構カメラ持つの似合うだろう?」
「うん。いいね! すごく上手そう」
晴は理玖が相手だからか、永山には見せないようなラフな顔を見せている。
この軽い感じ、理玖だから引き出せるんだろうな。
「じゃあ、こっちに顔むけて笑ってみてよ」
「ふふっ。理玖ったら、本物みたい」
そう言って笑った晴の笑顔にスタジオにいた人たちが一瞬にして引き込まれていくのがわかった。
永山はそれに動揺することもなく、晴に気づかれないようにシャッターを切っていく。
今日は理玖が一緒に来てくれて正解だった。
あれを引き出せたのは大きな功績だ。
修正も何もいらないだろう。
今回のポスターもきっと話題になること請け合いだ。
そして、撮影はあっという間に終わった。
晴も理玖も気づかないままに……。
「はーい。お疲れー。じゃあ、休憩しよっか」
「えっ? もう撮影終わったんですか?」
「いや、まだだよ。どういうふうに撮っていこうかリハーサルしてたんだ」
「あっ、そうですよね。流石に早すぎると思ったぁ」
と晴と理玖は2人で顔を見合わせて笑っているが、さっきの写真でもうとっくに撮影は終わったはずだ。
だとしたら、永山の考えは別にあるのだろう。
「ねぇ、戸川くん。香月くんのメイクどう思う?」
休憩だと言って2人をそのまま撮影場所に座らせ、話をしている傍にススっと寄っていった永山は急に理玖に晴のメイクについて尋ねた。
「えっ? メイクですか? いや、俺メイクとか全然わからないんですけど……」
と言って、晴の顔をじっくりと見始めた。
そして、
「でも、ナチュラルで可愛いと思いますよ。すごく自然だし、なんか触りたくなるっていうか……吸い寄せられますね」
と言って、晴の頬に少し指先を当てた。
その瞬間、永山が後ろ手に構えていたシャッターボタンがカチッと押されたのに気づいた。
確かに指が動いていたけれど、音が鳴らないように設定されているのか、それともそういうものなのか、永山の押したシャッターボタンは無音のまま、後ろ手に構えた指だけが何度も何度も同じ動きを繰り返していた。
晴も理玖もそれに気づくことなく楽しそうに戯れを続けている。
永山が満足そうな表情を浮かべ、
「よし。今日は撮影終わり。お疲れさまーっ」
と声をかけた。
えっ? と呆気に取られた表情で晴も理玖も永山を見ているが、永山はふふっと笑ったまま、機材の片付けを始めた。
「いつの間に終わったんだ? 休憩っていってなかったか?」
と理玖は不思議がっていたが、
晴は前回も同じように自分が気づかない間に終わってしまっていたから、今回も同じだと思ったんだろう。
「ねっ、理玖、僕の言った通りだったでしょう? 前回も今回も僕の知らない間に撮影が終わっちゃってるんだよ」
「ほんとだな。これがプロの撮影ってやつか? すごいな。でも、あんなすごい人と同じ場所に立ってカメラも触らせてもらえて、すごくいい体験になったよ」
「ふふっ。確かにそうかも。僕も理玖がいてくれたから、緊張せずに済んだし。実際、どんな写真が撮られたのかもわからないけど、出来上がりのお楽しみってことかな」
「ああ、そうだな。前回のがかなり話題になってたから、それを超えるのはなかなか難しいだろうけど、こんなに早く撮影が終わるくらいだから、きっと永山さんも相当自信がある写真が撮れたんじゃないか?」
「うん。そうだといいけど。僕のポスターでリュウールさんの売り上げが落ち込んだりしたら嫌だもんね」
「そこは大丈夫だろう。香月ももっと自信持たないと! ですよね、早瀬さん」
2人の会話に聞き入っていたが、突然話を振られて驚いてしまった。
「あ、ああ。そうだぞ。永山さんは納得いくまで撮影を続ける人だからな。撮影が終わったってことは、納得できるものが撮れたっていうことだよ。心配しなくていい」
晴は俺の言葉に『ありがとう』と微笑んでいたが、お世辞とでも思っているのか少し緊張しているように見える。
俺は少し永山と話がしたくて、理玖に晴の着替えに付き合ってもらうよう頼むことにした。
「理玖、悪いが俺は少しここで打ち合わせがあるから、晴の着替えについて行ってやってくれるか?」
「はい。大丈夫ですよ。じゃあ、香月行こうぜ」
晴はいつもなら遠慮しそうなところだったが、前回のことを思い出したのか、理玖に『よろしく』と言って用意されていた楽屋へと向かった。
139
あなたにおすすめの小説
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜
なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。
そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。
しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。
猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。
契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。
だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実
「君を守るためなら、俺は何でもする」
これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は?
猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。
必要だって言われたい
ちゃがし
BL
<42歳絆され子持ちコピーライター×30歳モテる一途な恋の初心者営業マン>
樽前アタル42歳、子持ち、独身、広告代理店勤務のコピーライター、通称タルさん。
そんなしがない中年オヤジの俺にも、気にかけてくれる誰かというのはいるもので。
ひとまわり年下の後輩営業マン麝香要は、見た目がよく、仕事が出来、モテ盛りなのに、この5年間ずっと、俺のようなおっさんに毎年バレンタインチョコを渡してくれる。
それがこの5年間、ずっと俺の心の支えになっていた。
5年間変わらずに待ち続けてくれたから、今度は俺が少しずつその気持ちに答えていきたいと思う。
樽前 アタル(たるまえ あたる)42歳
広告代理店のコピーライター、通称タルさん。
妻を亡くしてからの10年間、高校生の一人息子、凛太郎とふたりで暮らしてきた。
息子が成人するまでは一番近くで見守りたいと願っているため、社内外の交流はほとんど断っている。
5年間、バレンタインの日にだけアプローチしてくる一回り年下の後輩営業マンが可愛いけれど、今はまだ息子が優先。
春からは息子が大学生となり、家を出ていく予定だ。
だからそれまでは、もうしばらく待っていてほしい。
麝香 要(じゃこう かなめ)30歳
広告代理店の営業マン。
見た目が良く仕事も出来るため、年齢=モテ期みたいな人生を送ってきた。
来るもの拒まず去る者追わずのスタンスなので経験人数は多いけれど、
タルさんに出会うまで、自分から人を好きになったことも、本気の恋もしたことがない。
そんな要が入社以来、ずっと片思いをしているタルさん。
1年間溜めに溜めた勇気を振り絞って、毎年バレンタインの日にだけアプローチをする。
この5年間、毎年食事に誘ってはみるけれど、シングルファザーのタルさんの第一優先は息子の凛太郎で、
要の誘いには1度も乗ってくれたことがない。
今年もダメもとで誘ってみると、なんと返事はOK。
舞い上がってしまってそれ以来、ポーカーフェイスが保てない。
龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜
中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」
大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。
しかも、現役大学生である。
「え、あの子で大丈夫なんか……?」
幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。
――誰もが気づかないうちに。
専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。
「命に代えても、お守りします」
そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。
そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める――
「僕、舐められるの得意やねん」
敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。
その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。
それは忠誠か、それとも――
そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。
「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」
最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。
極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。
これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。
義兄が溺愛してきます
ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。
その翌日からだ。
義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。
翔は恋に好意を寄せているのだった。
本人はその事を知るよしもない。
その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。
成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。
翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。
すれ違う思いは交わるのか─────。
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
フードコートの天使
美浪
BL
西山暁には本気の片思いをして告白をする事も出来ずに音信不通になってしまった相手がいる。
あれから5年。
大手ファストフードチェーン店SSSバーガーに就職した。今は店長でブルーローズショッピングモール店に勤務中。
そんなある日・・・。あの日の君がフードコートに居た。
それは間違いなく俺の大好きで忘れられないジュンだった。
・・・・・・・・・・・・
大濠純、食品会社勤務。
5年前に犯した過ちから自ら疎遠にしてしまった片思いの相手。
ずっと忘れない人。アキラさん。
左遷先はブルーローズショッピングモール。そこに彼は居た。
まだ怒っているかもしれない彼に俺は意を決して挨拶をした・・・。
・・・・・・・・・・・・
両片思いを2人の視点でそれぞれ展開して行こうと思っています。
陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。
陽七 葵
BL
主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。
しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。
蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。
だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。
そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。
そこから物語は始まるのだが——。
実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。
素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる