王子と公爵令嬢の駆け落ち

七辻ゆゆ

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 王が倒れ、危険な状態にあるという情報は、公爵派にもすぐに伝わった。下位貴族ばかりの王家など、話が漏れないはずがない。

「ようやく元凶にも終わりが来たということか」

 ミラッダ公爵は深い皺を歪めて微笑み、グラスを掲げた。
 長かった。半分平民の王、彼が王位についたことから、全ては始まった。たとえ平民の母を持つ王子がいたところで、他の王子が即位するなら何の問題もなかったのだ。
 だが正当なる王妃の子を押しのけて、王となってしまった。

 すべてはそこからだ。

「ようやく、ようやくですな。彼らも出来の悪い王子の対応に手を取られ、気を抜いたのでしょう」
「はっ、だとしたら、なんとも可哀想なことだ。敵はまさに身内ということか」
「マリーエ王妃の血も、平民の愚かな血をすすぎきれなかったものと見える」

 今日もツァンテリは表情を変えることなく、話し合いの食卓についている。冷えてもやわらかい肉をナイフが丁寧に、じっくりと、音を立てずに切り裂く。時間をかけて彼女はそれを咀嚼した。

 王へ暗殺者を差し向けるようなことは、もう何度も、日課のように行われてきた。そして王はそれを切り抜けてきたのだ。
 必ず毒見がいたし、護衛もいた。周囲に置くものの中に裏切り者はいなかった。注意深い以上に嗅覚が優れていたのかもしれないし、単に運がよかったのかもしれない。

「王家の悪運も尽きた。これより我らの時代だ」
「おう!」
「しかし、こうなれば、あの凡庸王子も早いうちになんとかしなければ」
「ああ、もはや期待する価値もない。それに、まさかこれだけ早く婚約を決めるとは」
「なんとしても次代を産むつもりだろう。恥知らずめ」

 王が倒れた情報とともにもたらされたのが、王子の婚約だ。
 こんな時にと眉を潜めるタイミングだが、もし王が倒れてすぐに亡くなってしまっていたら、さすがになかった話だろう。そういう意味では、王の命があることは王家派にとってわずかな幸いだった。

 アベルト王子の新しい婚約者は、サティ男爵令嬢だった。
 乳母の娘だという。ツァンテリは王子の乳母が男爵夫人だったことに驚いたが、王はやはり人を見る目はあったのかもしれない。乳母を抱き込むことができれば、王子は簡単に亡き者とされていたのだから。

 ツァンテリは上品にワインを飲みながら、もう実質、彼らは夫婦のような暮らしをしているのかもしれないと思った。
 王がいなくなれば、アベルト王子は唯一の王家のものだ。跡取りをすぐに求めても不思議ではない。

 想像してみようとしたが上手くいかない。

 アベルト王子について、ツァンテリはほとんど何も知らないのだ。どういったものを好み、どんなふうに女性に対応して、どんなふうに笑うのか、知らない。
 だから彼と男爵令嬢のことも想像できない。

 ただ、一緒にいられることは羨ましいと思った。
 隣にいたときの安心感は、他の誰ももたらしてくれない。

「ツァンテリ、前のとは違って、次の婚約者はきちんとした血筋の男だ。安心して彼に従いなさい」
「はい、お祖父様」

 何も聞いていなかったが、自分の婚約の話が始まっていたらしい。どうであれツァンテリは頷くだけだった。
 何も期待などしていない。
 ただ、やはりアベルトのことを思っていた。

「さて、めでたい話はここまでだ。みな気を引き締めて聞いてくれ。トゥンテ辺境伯領地の国境に、アズラージアの兵が集まっている。国境を超えてくるわけではないが、こちらを伺っているそうだ」
「そんな」
「攻めてくるつもりなのか!?」
「まだそこまでの段階ではない。辺境伯も話し合いを試みている。しかし、物資を持ち込み、基地を築こうとしている様子があるようだ」

「王が倒れたことを知ったのか……?」
「かもしれないな。王家は隠しているつもりのようだが、こちらも簡単に知れた情報だ」
「役立たずどもめ……」

 さんざん無能無能と王家を馬鹿にしている彼らだが、実際に無能すぎると困るのだ。せめて他国の侵略を阻止する程度はしてもらわなければ。

「だがこれは好機でもある!」

 公爵は力強く言った。

「他国の侵略を退けたとなれば、国民は必ず味方につく。その者こそが次の王にふさわしい」
「な、なるほど」
「間違いない!」
「だが、損害が出ては……」

「なに、国境に兵を集め勇を見せれば、アズラージアの兵などすごすごと引き下がるだろう。もし国境を超えてきたとしても、所詮は小国の兵、苦も無く打ち取れるはずだ」

 彼の目には輝かしい未来が見えているのだろう。公爵は孫娘に向かって言った。

「ツァンテリ、将来の夫とともに辺境へ行け。なに、おまえはついていくだけで良い。おかしなことはするなよ。次の王を産む大事な体なのだから」
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