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「ぐ、ぼぁ……っ」
沼のように粘度のある血を吐き出して、毒見の女が倒れた。
「ひっ!?」
「医者を」
「な、なっ」
「毒が入っていたのでしょう。ラードル様、その食事は口にしないでください」
「た、食べるわけがないだろうっ!」
毒見はびくびくと痙攣している。
身長が低く、細身の女性だ。その方が毒の回りが早く、発覚が早いということで、そのような女性が選ばれることが多かった。
彼女がどのような理由でこの仕事をしていたかはわからない。だが、重大な仕事を全うしてくれた。
恐らく助からないだろう。
「よくやってくれました。遺言は残してありますね? もしもの時にもきちんと報酬は渡されますから、安心してください」
「ひゅっ……ひゅっ」
彼女は返答などできないようだが、わずかに頷いたようにも見えた。
毒見が仕事を果たしたとき、すでに命がないことが多い。なので遺言にある相手に報奨を渡すことになっている。直接金を渡すこともあれば、病気の家族が治るまで面倒を見る、ということもある。概ね、できる限り叶えられる。
上位貴族は平民を塵芥のように思っているが、捧げられた忠誠にはきちんと報酬を渡す。そうでなければ成り立たないことを知っているからだ。
「患者は!?」
「こちらに」
すぐに医者がやってきたが、既に手遅れだった。どんなに早くとも助けられなかっただろう。せめてと彼女の血を丁寧に拭っただけで、医者は帰っていった。
ツァンテリは細く、長く息を吐き、冷たくなっていく彼女の頬に触れる。
「ご苦労さまでした」
護衛と侍女、そして生き残った毒見の者たちは、わずかに俯いて黙祷するように数秒を過ごした。
それから顔を上げる。
「新しい食事をお持ちします」
「ええ」
毒の入っていた料理はすべて廃棄になる。簡単な食事になるだろうが、出陣中なのだから、今までの食事が豪華すぎたくらいだ。
死体が運び出され、新しい食事が入ってくる。
そして新しい毒見が、その食事に手をつけた。ツァンテリは彼女たちがしっかりと飲み込んでいるのを確認する。恐怖から体が受け付けないことも珍しくないのだ。
「お待たせいたしました、ラードル様」
彼は青ざめて震えていた。
本来なら毒見係の後始末も彼がするべきなのだが、慣れていないのであれば無理もない。
しかし食事は摂ってもらわなければならない。毒に怯えてやせ細った男の姿など、王に相応しくないからだ。
「ラードル様」
「しっ……死んだんだぞ! 毒が、毒が入っていたんだろう!」
「はい。ですが、毒見がおりましたので事なきを得ました」
「なぜ君は、そんな平然としているんだ!」
ツァンテリは眉を下げて微笑んだ。
「この国では、残念ながらよくあることです。毒見が亡くなったのは残念でしたが、よく仕事を果たしてくれました。謝礼金は彼女の望む相手に支払われますので、どうぞお気に病まれることなく」
「そうじゃないっ、そんなことはどうでもいい! ね、狙われたのは君か!?」
「わかりません。両方かもしれません」
「誰がやったんだ!」
「まだわかりません。料理に関わったものを拘束しておりますが、なにぶん王都の屋敷ではありませんので、隙は大いにあるかと思います」
一部の毒は銀食器などで調べられるが、すべての毒がわかるわけではない。調査には限界がある。
上手く尋問することで聞き出したり、持ち物から毒物が見つかることもある。しかし確実とは言えない。
「で、では、また」
「ラードル様、毒見がおりますので、心配いりません。すぐに影響が現れない毒もありますが、そういった毒は継続的な摂取をしなければ抜けます。それを考慮して、同じ料理人、同じ食材で毎日食事をつくることはないようにしています」
これらはかつてツァンテリも侍従に説明を受けたことだ。その時も、ツァンテリの前で毒見が倒れて血を吐いたのだった。
あの時、自分は何を思っていただろう。悲しんでいただろうか。
思い出せない。毒見の女の、カッと開いた目ばかりを覚えている。
「どうぞご安心ください。この件が終わり、王城に入ればいっそう危険は減ります」
「……片付けてくれ、こんな……こんな状態で食えるものか」
「あなたは王になられるお方です」
「……」
「違うのですか?」
ゆらぎのない瞳に見つめられて、ラードルは震えた。怯えた。人形のように従順な女、それを育てた者たち、そうさせたこの国の現状に、はじめて実感を持ったのだった。
ラードルは次の王を生むことを求められて、この国にやってきた。野望はある。実質的な血の継承者がツァンテリだとしても、その夫なのだ。公爵家の次男では望めないような立場になれる。
困難もあるだろうと覚悟していた、つもりだった。
その困難とは、命令を聞かないものが現れたり、政敵が現れたりといったことだった。今回の国境の件だって、自分が素晴らしい才覚を見せられると信じていたのだ。
しかし目の前で血を吐き、生まれた死体の生々しさ。
沼のように粘度のある血を吐き出して、毒見の女が倒れた。
「ひっ!?」
「医者を」
「な、なっ」
「毒が入っていたのでしょう。ラードル様、その食事は口にしないでください」
「た、食べるわけがないだろうっ!」
毒見はびくびくと痙攣している。
身長が低く、細身の女性だ。その方が毒の回りが早く、発覚が早いということで、そのような女性が選ばれることが多かった。
彼女がどのような理由でこの仕事をしていたかはわからない。だが、重大な仕事を全うしてくれた。
恐らく助からないだろう。
「よくやってくれました。遺言は残してありますね? もしもの時にもきちんと報酬は渡されますから、安心してください」
「ひゅっ……ひゅっ」
彼女は返答などできないようだが、わずかに頷いたようにも見えた。
毒見が仕事を果たしたとき、すでに命がないことが多い。なので遺言にある相手に報奨を渡すことになっている。直接金を渡すこともあれば、病気の家族が治るまで面倒を見る、ということもある。概ね、できる限り叶えられる。
上位貴族は平民を塵芥のように思っているが、捧げられた忠誠にはきちんと報酬を渡す。そうでなければ成り立たないことを知っているからだ。
「患者は!?」
「こちらに」
すぐに医者がやってきたが、既に手遅れだった。どんなに早くとも助けられなかっただろう。せめてと彼女の血を丁寧に拭っただけで、医者は帰っていった。
ツァンテリは細く、長く息を吐き、冷たくなっていく彼女の頬に触れる。
「ご苦労さまでした」
護衛と侍女、そして生き残った毒見の者たちは、わずかに俯いて黙祷するように数秒を過ごした。
それから顔を上げる。
「新しい食事をお持ちします」
「ええ」
毒の入っていた料理はすべて廃棄になる。簡単な食事になるだろうが、出陣中なのだから、今までの食事が豪華すぎたくらいだ。
死体が運び出され、新しい食事が入ってくる。
そして新しい毒見が、その食事に手をつけた。ツァンテリは彼女たちがしっかりと飲み込んでいるのを確認する。恐怖から体が受け付けないことも珍しくないのだ。
「お待たせいたしました、ラードル様」
彼は青ざめて震えていた。
本来なら毒見係の後始末も彼がするべきなのだが、慣れていないのであれば無理もない。
しかし食事は摂ってもらわなければならない。毒に怯えてやせ細った男の姿など、王に相応しくないからだ。
「ラードル様」
「しっ……死んだんだぞ! 毒が、毒が入っていたんだろう!」
「はい。ですが、毒見がおりましたので事なきを得ました」
「なぜ君は、そんな平然としているんだ!」
ツァンテリは眉を下げて微笑んだ。
「この国では、残念ながらよくあることです。毒見が亡くなったのは残念でしたが、よく仕事を果たしてくれました。謝礼金は彼女の望む相手に支払われますので、どうぞお気に病まれることなく」
「そうじゃないっ、そんなことはどうでもいい! ね、狙われたのは君か!?」
「わかりません。両方かもしれません」
「誰がやったんだ!」
「まだわかりません。料理に関わったものを拘束しておりますが、なにぶん王都の屋敷ではありませんので、隙は大いにあるかと思います」
一部の毒は銀食器などで調べられるが、すべての毒がわかるわけではない。調査には限界がある。
上手く尋問することで聞き出したり、持ち物から毒物が見つかることもある。しかし確実とは言えない。
「で、では、また」
「ラードル様、毒見がおりますので、心配いりません。すぐに影響が現れない毒もありますが、そういった毒は継続的な摂取をしなければ抜けます。それを考慮して、同じ料理人、同じ食材で毎日食事をつくることはないようにしています」
これらはかつてツァンテリも侍従に説明を受けたことだ。その時も、ツァンテリの前で毒見が倒れて血を吐いたのだった。
あの時、自分は何を思っていただろう。悲しんでいただろうか。
思い出せない。毒見の女の、カッと開いた目ばかりを覚えている。
「どうぞご安心ください。この件が終わり、王城に入ればいっそう危険は減ります」
「……片付けてくれ、こんな……こんな状態で食えるものか」
「あなたは王になられるお方です」
「……」
「違うのですか?」
ゆらぎのない瞳に見つめられて、ラードルは震えた。怯えた。人形のように従順な女、それを育てた者たち、そうさせたこの国の現状に、はじめて実感を持ったのだった。
ラードルは次の王を生むことを求められて、この国にやってきた。野望はある。実質的な血の継承者がツァンテリだとしても、その夫なのだ。公爵家の次男では望めないような立場になれる。
困難もあるだろうと覚悟していた、つもりだった。
その困難とは、命令を聞かないものが現れたり、政敵が現れたりといったことだった。今回の国境の件だって、自分が素晴らしい才覚を見せられると信じていたのだ。
しかし目の前で血を吐き、生まれた死体の生々しさ。
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