お飾り妻は天井裏から覗いています。

七辻ゆゆ

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そこに素晴らしいものがあると信じて。

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「ありがとうございます。これが鍵です。ごゆっくり」

 顔を見ないようにしながら鍵を押し出すと、どうも、とかすかな声が聞こえ、二人は奥に消えていきました。
 少し遠くで扉の閉まる音を聞き、私はカウンターに『満室』の札を出しました。

 ここは逢い引き部屋です。一年前、クリフト様と「私の」子供が生まれ、私は産後の肥立ちが悪く、領地に静養に出たということになりました。いずれ死んだことになり、子供の本当の母親が夫人として立ち回ることになるのでしょう。
 それについて私が何を思うこともありません。貴族としてろくに教育を受けていない私が、伯爵家跡取りの母として社交界に出ることは、現実的に無理だったでしょう。

 父には領地でつつがなく暮らしている、と手紙を送っています。父は私が平穏無事に暮らしていればそれでいいようです。私にとって悪い父ではないですが、貴族としてはやはり向いていなかったのでしょう。

 そして今、私は、逢い引き部屋で働いています。
 満室になってからが私の楽しみです。もう客を入れる必要がないので、自由にしていられる時間です。

 私は掃除道具を持って部屋の並ぶ廊下を歩きます。どこもまだ退室の時間ではありませんから、さほど急ぐ必要はありません。

 どこからにしましょうか。
 やはり先程入ったばかりのこの部屋でしょうか。

 私は部屋についている覗き穴に目を押し付けました。部屋の中で犯罪行為が行われていてもいけないので、従業員は不審に感じたら覗くことが出来るのです。
 ですがこのようなシステムは、客もなんとなく知っているものです。おかげで私がこの職にありつけたとも言えます。私のような大人しく見える女が好んで人の情事を覗くとは思われず、客の印象がいいのです。

 実際にはこうして、満室のたびに覗き込んでいるのでした。人の印象など当てにならない、おまえが言うなと言われそうではありますが。

『やっと触れられた……っ』
『ええ、ずっとこうしたかった! まるで地獄みたいな日々だったわ!』
『君に触れさえすれば天国だ! さあ、君を見せてくれ!』

 若い方々というのもあって、実に情熱的です。こんなところを使うくらいですから、後ろ暗い関係なのでしょう。彼らにとって日常が地獄でも、彼らの周囲にとっては彼らが悪魔なのかもしれません。

 お二人は時間を楽しむ気持ちは全くないようです。服を紙切れのように脱ぎ捨て、獣のように睦み合っています。私達がいつもしっかり存在していると思っている布は、あのように薄いものなのでした。

『ああっ! キャス、素敵だ。君だけを愛している』
『私もよ! あなた、あなただけいればいいの、ああ、ああ』

 互いを高めるように声をあげながら、二人は世迷い言を口走っています。本当に互いだけいればいいのなら、こんな場所に金を払って睦み合ってはいないでしょう。
 けれどきっと、そんなことはこの二人もわかっているのです。
 ここにいる間だけの、肉欲の愛なのでしょう。

 私は目を見開いてそれを見つめます。
 かつてラーミア様とクリフト様の睦み合いを、私は見ませんでした。それは汚らしい陰部だと感じていたからです。
 けれど近ごろは、思うのです。

 もしかするとこうしている時だけが美しく、言葉を交わし、微笑み、理解し合うなどということこそが、醜いのかもしれないと。
 それらは後天的なものです。必要だから身につけただけで、真実、人の姿ではないのです。微笑みや優しさにはいつも嘘がちらついています。

 うう、ああ、と理性を失った声が聞こえます。
 一方でこちらはどうでしょうか。あまりにも刹那的で、そして、偽りようのない肉欲なのでした。肌は濡れ、熱は長いこと収まらないのです。

 私は体をぶつけあう醜い姿を、着るものをすべて失った美しい姿を目に焼き付けました。無意識に指先が動きます。これをどのように書くか、自然と考え始めているのです。

 垂れ落ちていく液体を描きましょうか。
 それともぶつかり合う肌の音を?
 浮かび上がっては消える、肌の上の筋肉の文様を?

 どれも素晴らしい考えでした。そのどれもを余すことなく書きたい。できるならば。そして、今作も多くの人に読んでもらいたいのです。
 私はだめな人間です。人を不幸にしてしまった人間です。ほんとうの真実がわかりもしません。ラーミア様とクリフト様の物語は、もうどうしても完結させる気にならないのです。

 けれどそんな私の書くものに共感してくれる人がいる。それがとても嬉しくてなりません。

 小説はありがたくもそれなりに売れ、お金だけの話ならば、私はこんなところで働く必要はありません。けれどここで働かなければ、私はもう何も書けないかもしれません。
 みっともないことをしていると思います。
 それでもただお飾りの妻でいた頃よりも、ずっと幸せで、胸を弾ませているのです。

 ……疲れてきた彼らの動きが弱くなり、間をつぶすように愛をささやき始めました。私はその部屋の前を離れ、次の部屋を覗きに行きました。
 そこに素晴らしいものがあると信じて。
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